女 男政治家 小泉 男 女政治家 3 + フェミ


女 男政治家 小泉 男 女政治家

女 男政治家 小泉 男 女政治家 2


で、またまた↑の続きで、「愚直と不良 - 女性票を奪い取った小泉首相のセックスアピールのこの部分ですが↓


女たちも昔のように家庭で専業主婦をしているわけではない。社会に出て、多くの人と人の間で経験を積んで生きていて、価値観や感性も昔のものとは変わっている。むしろ小池百合子や藤野真紀子のような生き方の方が理想なのだ。


女性が小泉さんのセックスアピールにやられちゃっただけでなく、女性が刺客女性候補たちに純粋な憧れを抱き共感した、と。このへんどうなんでしょう。

小池さん的生き方は象徴的ですね。能力がありながらも、決して、目上の男に正面から歯向かわない。うま~く立ち回ることができる。小池さんに惨敗した民主党の鮫島さんが、「細川と小沢を利用し捨てた女」と表現してましたね。「悪女」とまで言ってたような。(この発想もどうかと思いますが。)

こういう女性を一般女性がどう感じたのでしょうか。


以下、超適当に女性を一般化しちゃいます(だから、すべての女性という意味じゃないですよ)。すみません。最近の女性は保守化してるのかなんなのか、体制に順応してるのかなんなのかよくわかりませんが、男と正面衝突しても得にならない、とか思っているような。昔と違って、上手くやれば、男に気に入られれば、だし抜けば、得ができる、みたいに思ってたり。


上野千鶴子と小倉千加子が対談本「ザ・フェミニズム」でこんな話してたような気がします。今の日本社会は、女性にも、能力があって上手くやれば上に行ける道はそれなりにできた。だから、従来型のフェミはウケないのでは。昔は、女性が上に行ける道が全然なかったから、女性が団結してシステムと闘えたかもしれないけど、今は状況が変わってきてる。昔は、フェミだろうとなんだろうと女性は女性でみんな疎外されてた。今は、女性だからといって必ず損するわけではない。やり方次第では、勝ち組になれるチャンスが女性にもある。すると、勝ち組女性は、フェミ女性と一緒にされたら逆に損する。自分を上に吸い上げてくれる男に嫌われちゃ損損。

昔は、フェミは女の味方だったけど、今は、フェミが表面的には邪魔だったり。勝ち組女性は、勝ち組になりたい女性は、フェミに近寄るな、一緒にされたらかなわん、とか思ってそう。


社会のシステムがこうなってきたことはいいことなのか?こういうノリで上に行こうとする女性刺客候補に象徴されるような女性はどうなのか?昨日、私は女性刺客候補が嫌いといいましたが、はたして彼女たちを責められるのか?いろいろ思うことはありますが、踏み込みません。(ちなみに、女性(や黒人やマイノリティ)にもチャンスがある→社会に問題ない、とはまったく思いません。 ここで紹介したこの傑作でちょっと触れられてますが。)


ところで、こういう形で女性国会議員が増えるのがいいのか?

田嶋陽子さん。子供のときからなんか好きでした。今回の選挙で、なんか小泉応援団員になってましたね。「TVタックル」では、やたらと小泉さんに好意的だから、「田嶋どうした?」「いつもと違うぞ」「冴え渡る田嶋」みたいな文字がずっと出てました。小泉さんに好意的だと「冴え渡る」になるんだから、あのTV番組も偏向してますね。偏向上等の私なんで、それはそれでいいと思いますが。つか、あの番組はSAPIOあたりを意識してますね。それで成功してます。テレ朝NO1の視聴率。

で、田嶋さんですが、こういう形で女性国会議員が増えるのは大賛成と言ってましたね。どういう形でもいいよと。逆に利用してやれよと。実際、有能な人たちなんだから、素直に喜ぼうみたいな。


で、形は別にして、そもそも、女性国会議員が増えるといいのか?

↑でちょっと触れた「ザ・フェミニズム」で、上野千鶴子がこんなことを↓。


リベラリズムはフェミニズムの敵である。リベラル・フェミニズムはただの改良主義。世の中の枠組みは決して壊さない。一番わかりやすいリベラル・フェミニストの目標は、過少代表性を改善しようとすること。国会議員の半数を女性にとか。日本の国策フェミニズムもそう。夫婦別姓も女帝も。軍隊にも半分の女性。・・・(リベラル・フェミとラディカル・フェミその他フェミとの違いは)近代の枠組みを認めるか認めないか。(引用は不正確)


そして、ちょっとそれますが、こんなことも↓。


福祉国家のフェミニズム(法的な結婚をする人もいるけれど、それは半分以下で、未婚で子供を産んでも社会が面倒みてくれて、結婚をしてもしなくてもよくて、ゲイでもレズビアンもふつうに生きていける社会)

国策フェミニズムの行きつく先はそこ。福祉国家は分配平等を求める思想ですけれど、分配平等には原資が限られていて、一定の集団の中でしか実現しない。となれば排外主義に結びつきます。具体的に言うと、難民排除、外国人排除、国籍条項の厳格下、これしかシナリオがない。その道を選ぶ人たちもフェミニストの中に出てくるでしょう。もっとも彼らは、その選択に、排外主義やナショナリズムが結びついているとは自覚してないでしょう。もっとナイーブで善意の人たちだろうから。


じゃあ、どうすりゃいいんだよ!と言いたくもなりますが、めちゃくちゃうならされました。ここも踏み込みません。私のレベルをはるかに超えてますんで。でも、フェミニズムの理論ってすばらしいですよ。すごく頭の体操になる。国際関係理論の勉強ではじめてまともにフェミニズム(国際関係)理論に触れたんですが、めちゃくちゃ感動したのを覚えてます。ポスト・モダニズムとかもそう。ちゃんと理解してるかどうかは別にして、なんか感動した。

私自身は、フェミニズムやらその他のアンチ・近代主義的な思想・理論を完全に理解してるわけではまだないので、一応、近代主義的リベラルのままですが。「今の日本には近代の貫徹が必要」みたいなこと言ってる宮台真司が好きですし。

すると、私は上野に言わせると「フェミニズムの敵」ですね。中途半端にフェミに理解を示すリベラル男は、実はフェミにとって害、ってのはわかるような気がします。


荒川区での男女共同参画社会理念を巡って、ゴリゴリ保守の林道義さんと論争(成城トランスカレッジ!北田×林論争リンク集。)した北田暁大さんのこの論考が非常に興味深い。エイミー・タン原作、オリバー・ストーン製作の映画「ジョイ・ラック・クラブ」について、そしてフェミニズムと男についてです。


《露骨な家父長》、《やさしきリベラル》、《正しいリバタリアン》・・・。この三つの男性像は、フェミニズムが一貫して対峙してきた/関係してきた男たちの精緻な理念型である。

自由主義以前の相において暴力=権力を行使する《露骨な家父長》は当然のこととして、とりわけ第二波以降のフェミニズムは、「フェミニズム的」な主張に表層的な理解を示す自由主義者たちに対して、徹底した警戒心をもって接してきた。

機会の平等を云々して男女間の社会的資源の不公正を隠蔽するリバタリアンも、やさしい面持ちで「フェミニズムへの理解」を語り、その実女性を他者化しているだけのリベラルも、社会の根底をなす家父長制(と資本制)を温存させているという点においては、《露骨な家父長》とそう遠い場所にあるわけではない。

それどころか、自由主義者たちは、フェミニズムという思想=運動を「理解」することによって自らの(より「普遍的な」)言語空間のなかに接収してしまうぶん、《露骨な家父長》以上に隠微な政治性を具現しているとすらいえよう。

フェミニズムの浸透と相俟って意匠を変えながら、執拗に近代社会に回帰し続ける《家父長的なもの》-フェミニズムの実践と理論は、そのしたたかな実定性を粘り強く分節化してきた。『ジョイ・ラック・クラブ』は、そうしたフェミニストたちの格闘をパフォーマティヴに指し示した一つの寓話なのである


全文はこちら↓

オトコの美学  フェミニズムを賭金とした男の言説の闘争地図 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2948/otoko.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2948/otoko2.html
第三回はどうなっちゃったんでしょう?


ザ・フェミニズム 上野千鶴子vs小倉千加子
家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平 上野千鶴子
(どっちも、ただところどころをただ抜粋しただけです。)



ちなみに、政治と女性と戦争と平和については、こちらも↓

<フランシス・フクヤマ>論争 リベラル ネオコン フェミ

「もし女性が世界政治を支配すれば、世界は平和になるはずだ!」みたいなこと言ってボコボコにされちゃうネオコン(?)系・超大物のフクヤマさんです。



女 男政治家 小泉 男 女政治家
女 男政治家 小泉 男 女政治家 2
女 男政治家 小泉 男 女政治家 4
[PR]
by mudaidesu | 2005-09-18 23:56 | ニッポン


<< 映画  NANA    中島美... メインページ 女 男政治家 小泉 男 女政治家 2 >>