国家の罠  佐藤優


率直に言ってゴルバチョフ派の党官僚は好きになれなかった。「ペレストロイカ」、「グラースノスチ」とか「人類共通の価値」というゴルバチョフが演説で使う用語を多用するが、ことばが浮いている。ゴルバチョフ派の党官僚には信念がなく、時流を見るのに長けた連中が多すぎる。霞が関の小狡い官僚に似ている。

これと比較して、「ソ連共産全体主義体制を叩きつぶすのだ」と公言sるバルト諸国の民族主義者やエリツィンの周囲に集まっていた急進民主改革派の人々はことばと行動が分離していないので好感がもてた。

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同時に、政治的には急進改革派やバルト諸国の民族主義者と対極に位置する共産党守旧派の人々は、ソ連型共産主義の理念を心底信じていた。この人々にとっての共産主義とはソ連国家に対する愛国主義と同義で会った。 国のために生命を捨てる覚悟のできている人々という印象を持った。(クーデター派にもっとも食いこんだのが佐藤。お互いの信頼関係でもって。)



冷戦後の外務省の潮流

1、親米主義・・・現実主義的、中露と余計なゲームをしない
2、アジア主義・・・現実主義的
3、地政学論・・・現実主義的、共が消滅、よって反共も消滅、ロシアと接近


小泉後、一変。

一つ目。→親米主義一本に

田中真紀子が宗男(地政学論)・ロシアスクールを葬り去った。
次、田中失脚により、アジア主義後退。チャイナスクールも。
親米主義・・・9.11以後、冷戦の論理に近い。


二つ目。ポピュリズム現象によるナショナリズムの昂揚。

田中女史が国民の潜在意識に働きかけ、国民の大多数が「何かに対して怒っている状態」が続くようになった。怒りの対象は100%悪く、それを攻撃する世論は100%正しいという二項図式が確立。ある時は怒りの対象が鈴木宗男であり、ある時は「軟弱な」対露外交、対北朝鮮外交である。

このような状況で、日本人の排外主義的ナショナリズムが急速に強まった。私が見るところ、ナショナリズムには二つの特徴がある。第一は、「より過激な主張が正しい」。もう一つは、「自国・自国民が他国・他民族から受けた痛みはいつまでも覚えているが、他国・他国民に対して与えた痛みは忘れてしまう」という非対称な認識構造である。

三つ目。官僚支配の強化。



イスラエル(100万人のロシア系ユダヤ人)のロシア情報の質の高さ。

ロシア系ユダヤ人
ロシア・ソ連では「ユダヤ人」としてのアイデンティティを強く保持。
イスラエルでは「ロシア系」としての自負。


西村検事
国策捜査は「時代のけじめ」をつけるために必要。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです。

民主党・山本譲司事件も「時代のけじめ」。


なぜ鈴木宗男 

内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線
外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換

パラダイム転換へ







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本自体はまとまりがなく、あっちいったりこっちいったり。まあしょうがない。

佐藤さんはなかなか個性的な人。非常に面白い人。テレビで映像を見たときから、この人変わってそうと思ったけど。ただちょっと、鼻につくところも。本の性格上(=自分の正しさの主張)しかたないが。

なんか、この人、ハードボイルド小説の主人公になったようなノリ。世の中を冷めた視線でみたり。そして、ときおりやたらと熱く正義を語る。いかに自分が国益や鈴木のために・・・利他的な人間かを。

これで、女が出てくれば小説になった。


ただ、この人の分析力はすばらしい。

外交官の仕事も天職だったのかもしれないけど、物書きのもあってそう。もう、売れっ子になりつつあるけど。


連合赤軍事件で死刑確定になった坂口弘についての話が印象深かった。囚人たちからも看守たちからもかなりの尊敬を受けてるらしい。

「保釈になった後、私がいちばん最初に買い求めたのはこの隣人の書いた獄中手記だった。その本の中で、隣人がソ連・東欧崩壊を真摯に考察し、自らの過去にそれを重ね合わせ、新しい世界観を作ろうとする努力が感じられた。・・・隣人の思索が過去の哲学・思想史の成果を踏まえ、とても真剣で、高い水準のものであることがわかった。

私は外交官として二十年間を過ごしたので、もののの考え方は保守的だ。政治的に三十一房の隣人とはは考えを異にする。しかし、私にとって、重要なのは、あの閉ざされた空間のなかで、真摯に自分と、そして歴史と向かい合う三十一房の隣人の姿なのだ。一言もことばを交わさなかったが、私は獄中でこの隣人から多くのことを学んだ。」



佐藤の疑問・・・ネオリベと排外主義的ナショナリズムって両立しないんじゃ?矛盾しない?

***これについては、ちょっとだけそれますが、まあ、基本的には同じ問いだと思うんで、

宮台真司によると、

『ネオリベで言えば、再配分を否定するから「小さな政府」となり、「小さな政府」で担えないから伝統的共同体や性別役割分業を「保守」する。 古典的右翼とネオリベの違いは、前者が「伝統共同体の護持→小さな政府→集権的再配分の否定」となるのに、後者が「集権的再配分の否定(財政逼迫)→小さな政府→伝統的共同体の護持」となる点。似ているが魂が異なる。』

右翼思想からみた、自己責任バッシングの国辱ぶり
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=98&catid=4

だそうです。「大きな政府」は社会不安・犯罪などには再配分政策で対処しますが、「小さな政府(ネオリベ)」は再配分政策じゃフリーライダーを増やすだけで逆に社会不安が増大する、犯罪には断固たる処置(強攻策)で対処し、不安の増大には伝統的共同体的道徳(愛国心や信仰)などで対処する、みたいなことも宮台さんは言っております。
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by mudaidesu | 2005-10-16 23:54 |


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