対話の回路 小熊英二対談集2  網野善彦 谷川健一

網野善彦

小熊

進歩史観というか、マルクス主義の発展段階論の単純適用というものへの違和感というのは、60年代からもう出てきていたわけですね。


網野

50年代後半から。農業が発展して、「封建社会」が発展するのが、歴史の「進歩」であるとする見方に対する疑問がそのころから出てきました。

やはり、漁民、漁村の歴史を調べているうちに、それまでの発展段階論では決して処理がつかない別の世界が確実にあるという確信を持つ






小熊

国民的歴史学運動では、「民族文化」や「民族の自覚」が強調された。中国共産党が民族主義、つまり帝国主義の植民地支配に抵抗する民族主義によって革命を導いたことにならって、日本共産党も「アメリカ帝国主義」からの独立をうたう民主民族戦線も掲げ、日本でも民族主義をもりたてることが必要だと左派が唱えていた時代だった。



網野

当時の私は、「民族」は古く遡って考えるべきだという、いわば「民族派」でした。これは当時の日本共産党の分裂とも関係してくるので、民族は近代に形成されると主張したのが「国際派」といわれており、私のいう「民族派」は「所感派」といわれてた


小熊

「民族派」・・・「民族文化」というか、「人民の文化」というか、「民衆の生活」というか、そういうのを重視した側面


つまり、発展段階が近代になったから「民族」ができました、民衆の文化や伝統もこんなに「創造」されましたといった見方は、あまりに図式的である。天皇崇拝とか民族意識も明治になってから教育されてできたものだということを強調すれば、一面においては天皇制は根の浅いものだという批判にはなるけれども、下手をすれば、民衆は政府の意のままに教育可能な木偶のようなものにすぎないという描き方になる。それは民衆の自律性というか、民衆が政権交代などとは関係なくもっている文化や生活・・・を軽視した観念的な考え方だ、という批判がありうる


網野

当時から「民族派」の見方と皇国史観はどこが違うという批判があり・・・・。ただ「民族」や「天皇」を単純に、近代の産物だというかたちで切って捨てるこはできないと

自由主義史観を私が「戦後歴史学」の「鬼子」と言ったのはそのへんに関係



網野

<影響を受ける>といってよいかわかりませんが、津田(左右吉)さんも清水(三男)さんも、それまでの左翼マルクス主義者が切って捨ててきた問題に目を向けていることに強く興味を持っていたことは間違いありません。

津田・・・歴史の根底に、「生活」のはたらきがある・・。それは感性を通じてでなければとらえられないものがあるとして、「科学」という言葉を象徴的に嫌った


小熊

近代日本の保守のなかにもいろいろある・・・、インテリ左翼の観念性を批判するのだと称して、普通人の「生活」という言葉を持ち出す保守という流れ  文学方面では小林秀雄とか福田つねあり、あるいは江藤淳

まあこういった文芸評論方面の保守の人たちのいう「生活」は、左翼以上に観念的な場合が少なくないと思うけど、ただ言葉のうえで「生活」というだけではなくて、実際に民衆生活のことを学問研究で重視する「保守」の学者たちがいる。歴史学でいれば津田左右吉、あるいは民俗学の柳田國男・・。こうした人々の場合、左翼の観念性も批判するけれど、民衆生活の実情を無視した政府の強権的姿勢も批判したりしますから、単純に「保守」とも言い切れない部分

そこで問題なのは、津田左右吉の場合などがいちばん顕著なのですけれど、民衆の生活感情に根差すと、天皇への愛情が自然とわいてくるという主張が行なわれること。。天皇への崇拝は、明治政府が教育で上から植えつけたとか、近代になったから民族意識として発生してきたとかいったものではなくて、民衆の文化や生活のあり方、つまり「民族文化」そのもののなかから生まれてくるのだと。しかしこうしたタイプの歴史家のとらえ方のほうが、左翼の公式的歴史観よりも、むしろ天皇の問題の本質に迫っている。あるいは、左翼が切り捨てた問題を彼らなりにつかまえて、われわれに突きつけているいると、このように網野さんは考えたのかな

網野

ほぼそう。そこのところをつきつめない、天皇など絶対にひっくり返せないだろうと思った。マルクス主義歴史学は60年代以降は「科学的歴史学」と言うようになりました。私は「科学的」という言い方を決して全面的に否定はしませんが、それだけではつかみきれない問題が実際に存在する



小熊

そもそも網野さんによれば、『無縁・公界・楽』とは西欧でいえば「自由・平和・平等」に相当する原理の、「「日本的」な表現にほかならない」とされてますね。それは西欧の思想にくらべれば体系性や明晰さを欠いた、いわば不器用なかたちなんだけれども、「日本の民衆生活そのものの底からわきおこってくる、自由・平和・平等の理想」を、仏教用語に託して、精一杯に表現したものであると



網野

昭和天皇については、私自身は許しがたいと思っていますし、戦争の責任は文句なくあると思っていますから


小熊

なぜ近代を画期として強調するかといえば、やはり、民族や天皇の超歴史性を批判したいから
しかし、それでは限界があると

網野

そう。

小熊

網野さんは天皇を批判しているつもりでも、むしろ天皇の起源を後ろに引っ張る役割をしているのだと批判されたとしたら、どう対処なさいますか。

網野

私が天皇に関する論文を書いたときにもまさしくそうした批判、つまり天皇を「超歴史的」にとらえているという批判が圧倒的でした。しかしそうした批判の背景として、一つには日本の近代についての過大評価があると思います。「明治維新」に対する過大評価は、司馬遼太郎から右翼・左翼を含めて、非常に深く浸透していますね。


「百姓は農民と同義ではない」ということにも関係するけど、江戸時代を圧倒的な農業中心の封建社会と評価することの誤り、その見直しに自信が持てるようになったから。そうなるといままでの近世社会の評価は大きく異なりますし、それに連動して、近代史のさまざまな事件や政治・経済の評価も、全部考えなおさなければ

つまり「農民」が90%の社会のなかで「明治維新」が起こり、明治政府はあずか数十年え急速に日本を近代化、工業化したという議論はまったく成り立たないので、これは明治以降の日本近代の過大評価といわざるをえない。つまりその前提にある江戸時代の見方がおかしいので、いま流布している明治の評価はまったくつくられたイメージだと思います


網野

実際、「百姓」は「アジア的隷属民」や「封建的隷属農民」ではなく、基本的には「自由民」であり、しかもそのなかに非常に多様な生業を営む人々がいた。田畠で穀物を栽培する狭義の農業の比重はこれまでの定説の80ー90%より非常に下がり、おそらく30-40%に。もしもそれが事実として認められたとすると、歴史的な諸事件、さまざまな時代の動きの評価がどう変わってくるか


小熊

網野さんと「自由主義史観」の関係というのは、なかなか複雑

網野さんの話は、別のかたちの「日本のほこり」という歴史観につながる可能性がある。

網野さんが「つくる会」についてのインタビューにお答えになられているものを読みますと、西尾幹二さんなどのほうが「自虐史観」だと述べています。彼らのいうよりも、もっと江戸時代の人々の識字率とか、女性の経済能力とか、そういったものは高かった。それを知らないから、明治国家を過大評価するんだと

しかがって、網野さんの歴史観は、天皇と結びついた国家の誇りではないけれども、日本民族の誇りといいますか、日本民衆の誇りといいますか、「日本人の誇りといいますか、それと結びつく可能性はもっていると思います

網野

明治維新、近代の日本を江戸時代に対してあれほど明るく評価していることを含めて、自由主義史観はむしろ根本的には戦後の左翼の歴史像ともオーバーラップしてくるところがある


網野

(西尾の著作)これが「国民の歴史」だといわれたら、「詐欺」といっても言いすぎではないと思います。私からすれば、日本列島に生きてきた人々の姿をなんと貧しく、つまらなく、狭いものに描いているのもだと

小熊

ただ私が「つくる会」をめぐる論争、とくに歴史学者の側の批判を見ていて、これでいいのかなと。
要するに非常にアカデミズム的といいますが、「戦後歴史学の研究成果を無視」とか、「素人談義」といった批判のしかたが多い

向こうはこう主張している。歴史は専門家の独占物ではない、「世間一般の人間」のコモンセンスで歴史を語って何が悪い、むしろ素人の発想のほうが「専門の歴史学者の歪んだ議論」よりも優っているのだと。こういう相手に向かって、歴史学者のほうは、「史料批判の手続きを踏んでいない」とか「歴史研究の蓄積を踏まえていない」といった、いわば学会内の論理で批判した。あれでは、かえって火に油を注ぐようなもの


小熊

国民歴史学運動で提起されたことのなかで・・・・、「国民のための歴史」、つまり民衆のための歴史というコンセプトがある。アカデミズムの内部で出世するための歴史を書くのではなくて、民衆のために役立つ歴史を書くのだと。


網野

たしかに「国民の歴史」というとらえ方自体、つまり頭から「日本の歴史」といってあやしまない立場には、違和感がある




谷川健一

オグマン、倍くらいの年齢の人に喧嘩売りすぎ。そのくせ、自分のこと聞かれると、自分のことはわからないんですよ、とか言って逃げるし。でも、オグマンは、闘う男なんですね。「民主と愛国」も「つくる会」に対抗するために、自分がもっともっとわくわくするもんつくってやろうと思ってそうだし。

リンク 民主と愛国



谷川

パスカル・・・実在がはっきりしてる神は神ではない。隠れている神を復権するのは人間次第である。万人に見えるような神は神ではない。そうしたパスカルのニヒリズムに強くひかれた

日本の皇国史観にはどうしも同調できない。当時人々は天皇を神とみなしていたが、そうは思えない私はキリスト教に向かいます。・・・プロテスタントはどうも性に合いませんでした。この宗教には沈黙がない。よってカトリックへ



けど、カトリックは日本の風土に対する理解が非常に希薄であることがわかってきた。もともと私がカトリックにひかれたのは、プロテスタントは言葉だけを重んじ、風土的な思想や感情を切り捨てていたように思えたから。しかしカトリックにおいても日本の歴史や、人々のなかに根付いている民族の体験が抜け落ちているような気が


谷川

カトリックの世界観はとてもたまらないものにみえてきた(ダンテとか)。暗い死者の来世のイメージから逃げ出したくなった。それで沖縄に通うように


沖縄で考えられている死者の国は「ゆうどれ」といって、夕凪のような穏やかな世界。・・・死後の人びとが喜ぶに相応しい平和な世界がそこにある。



谷川

人類の普遍性をうたうカトリックならば、戦争に抗議して殉教する姿勢があってもいいのに・・・。結局は戦勝国のカトリック(まだ中国に勝っていたころ)なんだなと

ところが一方で、戦争に負けている中国では、カトリック教会が傷ついた人びとの安息の場に。逃げてくる者をかくまったり、逆に捕まったものを逃がしたりと、教会が命がけで民衆を守ろうとした。結局、日本の教会や聖職者は国策に協力しているだけ。その一方では、日本が戦争に負けても勝ってもどうでもいいというようなことを言う。


小熊

カトリック教会は日本に愛着がないのに、日本の国策に協力していく。その逆をいくならば、日本にこだわるなかで、日本の皇国思想を越えるものを見つけたいと・・・民俗学へ

谷川

そう。カトリック体験で外来のイデオロギーや思想に対する警戒が


谷川

民俗学へ傾斜していく背景には、皇国史観への反発やカトリックとの決別と同時に、マルクス主義の人民史観に対する反感もありました。人民を被害者

過去に遡るほど人民は迫害されてきたというなら、前に生まれたものは丸損で浮かばれません。


小熊

天皇制を相対化するために古代史や沖縄、金属を研究する。・・・しかしなぜ、日本にこだわる、日本に再接近するというかたちで、日本を越えようとしたのか。

谷川

インターナショナルな世界でもなく、ナショナルでもない世界を、日本の中に捜し求めた


谷川

柳田さんも書いているけど、沖縄本島の知識人はいつも東京を見ていて、東京の知識人はいつも外国を見ていると。では宮古島はどうかというと、沖縄本島ばかりを見て、多良間島を忘れている。その多良間島も、宮古島ばかり見て、水納島を忘れて・・・・・

どこでも小さいものは忘れられてしまう運命にあると柳田さんは嘆いている。

小熊

そういう権威や上昇志向の連鎖構造の外にある人たちが、谷川さんにとっての庶民

網野さんが描く、民衆が移動してゆく社会とは、だいぶ異なりますね。


谷川

違う。私が関心をひかれるのは、移動できない、取り残された者の悲しみ
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by mudaidesu | 2005-10-20 12:49 |


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