対話の回路 小熊英二対談集3 赤坂憲雄 上野千鶴子 姜尚中


赤坂憲雄

小熊

戦後の知識人をいろいろ調べたのですが、吉本さんの国家論は、やはり吉本さんの世代に特徴的な国家論だったと思いました。「戦前=皇国イデオロギー」と一枚岩に認識されがちですが、御真影が全国の小学校に配布されたのは昭和の初頭で、皇国教育が非常に強まるのは1930年代からです。また同時に15年戦争が始まって、「天皇のために死ぬ」というのが青少年の唯一の未来像のようになった。敗戦時に20歳だった吉本さんから、同じく敗戦時に10歳だった大江健三郎さんあたりまでの人たちが、その影響をもろに受けた世代だった

この年代の人は、反戦思想も自由主義もマルクス主義も完全に弾圧された時代に育ってますから、そういう思想にぜんぜん接触する機会がないまま、「日本=天皇」という考え方が非常に強く刷り込まれた。





赤坂

いまはもう誰の目にも村はあるはずもないし、民俗も幻想にすぎないことがはっきりしてしまった。小熊さんは『<癒し>のナショナリズム」で、「つくる会」の人びとは個人のエゴイズムを強く否定して共同体を主張するのだけれども、共同体として国家しか想定してない。あるいは、国家と調和する家族や地方しか想定してない。それは彼らが、村落共同体というものをもはや感覚的に知らないからではないかと指摘している。だから、牧歌的に、国家という共同性に身を預けることを肯定してしまう。

(→だからこその都市型保守)

小熊

あの本にも引用したように、「つくる会」の理事だった西部さんも、もう伝統というものは具体的に示すことはできない、だから「伝統を守れ」と「主義」として言っているのが自分の立場なのだ、と。保守主義というより、一種のニヒリズムですね。西尾さんだって、もとはニーチェ研究者です。「国民の歴史」も、かつて人間は神や仏といった自分以上の存在を信じることができたが、いまはそれを信じることができず、空虚さを抱えて生きざるを得ないという言葉で締めくくられている。

赤坂

「健康なナショナリズム」という言葉をもし使うならば、柳田國男こそ、その最大の寄り所になると思う。柳田は普通選挙法の制定にも関心を示し、国家を支える「公民」をいかにつくり出すかに執着した。

小熊

民俗学者の大月隆寛は、「つくる会」に加入するにあたって、「つくる会に助太刀する理由」で、これは柳田の意思を継ぐ行為だと宣言しています。つまり、自分はこれまでの「オヤジの言葉」で書かれた歴史を打破して、「女子供」に通じる言葉で歴史を書きたいのだと。「知識人と民衆」という対立図式の現代版

あれを読んだとき、大月さんの言ってることはわからなくはないと思いましたが、どうしてその実現の場所として「つくる会」なんかを選ぶんだ、というのが正直な印象でした。

赤坂

僕にいわせれば、大月さんはあの教科書が出たときに、民俗学者の眼から見てきちんと批判をすべきだったんですよ。あの教科書のどこに、「女子供の歴史」への眼差しがありますか。まさに家長の視線で捉えた、古めかしい歴史の記述そのものでしょう。

小熊

網野さんも、あの教科書が出たときに、民衆や女性への視点がまったくないと批判されましたね。それから色川大吉さんは、「つくる会」の人たちの「従軍慰安婦」問題の論じ方に、なぜ大月は怒らないのだと言っていたようです。「つくる会」周辺の人びとは「慰安婦の管理に軍が関与したという文書資料の証拠がない。被害者の証言など当てにならない」と主張したわけですが、国家の文書より民衆の証言を重視するのが民俗学のはずじゃないか、と。



小熊

柳田が、稲作にしても文化にしても、中国から朝鮮経由でやってきたとはあまり言いたがらなかったのは事実。むしろ稲作や日本民族は、南方から来たんだと漠然と言ってた。

これは、一つには同時代に中国・朝鮮からの民俗の渡来を言う人たちが、喜田貞吉をはじめとして「日鮮同祖論」に流れて、植民地支配や同化政策と結びついていたことを、横目で見ていたからでは。また推測ですが、中国や朝鮮からの文化伝来の問題に言及すると、それと天皇の関係を述べなければならなくなる。

小熊

天皇家やその周辺の文化が中国・朝鮮の影響を強く受けていることは明白ですし、いくら稲作は南から来たんだといっても、天皇家も南方から来たと強弁することは苦しいでしょう。喜田貞吉や北一輝などは、天皇家も朝鮮から来たんだと言ってしまいますが、柳田の一国民俗学の体系は崩れてしまう。


小熊

私がアジア観についていちばんひどいと思った近代日本の知識人は、岡倉天心です。彼は自分の都合で「アジア」の境界をどんどん変えてしまう。


小熊

縄文文化とか記紀神話をナショナル・アイデンティの核にしたいという論じ方も、ある部分は残っていくでしょう。でも、それが保守論壇を一枚岩に覆うほどになるとは思えない

「つくる会」のなかでも、藤岡さんや坂本多加雄さんは神話や古代文化には関心がなくて、もっぱら明治国家を誉めそやす。小林よしのりさんは明治国家にもあまり興味がなくて、特攻隊の賞賛が中心。・・そのうちに、高度成長を「黄金時代」として絶賛するような人も出てくるかも。

赤坂

使えそうなものを、それぞれの人がばらばらに引っ張り出しているわけですか。それなら、最後は天皇も出てくるかもしれない

小熊

ありえるかもしれません。現時点では天皇は重要なファクターではなくなりつうあるのがトレンドだと思いますが、有効な材料が何もないとなったとき、また持ち出される可能性はある


しばらく前までは、右派の側が「単一の日本」を出してくるから、対抗する側はそれを相対化するために、「いくつもの日本」や「アジア」を対置するという図式があった。ところがいまは、保守や右派の側もばらばらで、単一の物語をつくれない。いわば保守論壇のほうも、「いくつもの日本」の状態に突入している。そういう構造をつかんで対処しないと




上野千鶴子 「民主と愛国」をめぐって

上野

分析の水準が三つありますね。一つは個人史の水準、もう一つは同時代の読者がどう受けとめたかという批評の水準、そして三つめにそれが異なる時代に再文脈化された時にどういう解釈の変容を受けたかという水準、この三つがうまく組み合わされてる

上野

この本の功績の一つは、戦争を通じて世代体験の文節化と世代内部での個人の固有性が結び付けられていること。歴史的に巨大な出来事があったとき、それをどのような年齢で経験したかで世代の分岐点が決まります。・・・それだけでなく、同じ経験を同じような年齢で経験しても、その受けとめ方には個性がある

この本でくり返し参照点として出てくるのが戦争体験ですが、語られた戦争体験だけでなく、語られなかった戦争体験が、実は戦後思想を決定していたことがうまく説明。丸山真男を始めとした敗戦時に30代だった世代が戦争体験を語らなかったことの重さと、戦後生まれの世代が戦争体験を持たないことの意味の大きさが、両方とも影絵のように炙り出され、それによって戦争体験の巨大さが逆に浮かびあがる仕掛け

語られなかった戦争体験の重みや悔恨、そしてその悔恨が獄中非転向の共産党幹部へのコンプレックスを生み出し、戦後思想の布置を決定したことを行間に踏み込んで論じてる。

上野

憲法ナショナリズムの章は、今日のナショナリズム論の文脈から読むと非常に教育的というか、この章だけでも独立して右翼の改憲ナショナリストに読んでいただきたいものですね。

小熊

私もこの本は右翼の方に読んでいただきたいですね。


上野

9条の非武装が、アメリカの圧力に抵抗しようがない占領下での、保守リアリズムに他ならなかったということや、その保守リアリズムであった非武装中立が革新の理想主義に転換していったこと、そして吉田茂のような保守リアリストが憲法といういわば「敵の武器」を使ってアメリカの圧力と闘ったこと。このへんは、言われてみればなるほどと思うことばかりですが、選択的に忘却されていること

小熊

55年体制が成立した後の、保守と革新の睨み合い状態のなかでは、あまり大っぴらに言ってはいけないことに属した話だったのかも

上野

印象的だったのは、あなたがある概念やボキャブラリーを同時代の文脈に差し戻していく読みを実践するなかで、戦後の知識人たちが古いボキャブラリーの読みかえによって、つまり敵の武器を使って闘っていたということを、何度も主張していること


上野

それともう一つは、時代の文脈が変わることによって、同じ言葉でも時代ごとに異なる意味が付与されていって、以前の意味が理解されなくなる。この本以降は、「民族」「市民」「近代」「世界市民」のような言葉は、いつの、誰の、どの文脈における用語法かをいちいち聞き返さないと、ナイーブには使えない

小熊

この研究をはじめてから、新聞などで「戦後」とか「市民」とか「民族」とかいう言葉を、個々の論者や記事がどういう意味で使っているか意識しながら見てきましたが、およそ無茶苦茶。

小熊

ナショナリズムに関していえば、定義はむずかしい。なにせナショナルと呼ばれる現象には、いろいろありすぎる。だから考えた結果、「民族」とか「国家」とかいう言葉を使って何かを表現している状態をナショナリズムと呼ぶしかない、と

小熊

私のいうナショナリズムの読みかえというのは、かなり広い範囲のものです。たとえば私の解釈では、べ平連で出てきた「国家を超える市民」という言葉も、ナショナリズムの読みかえだろうと思う。場合によっては、ナショナリズムを批判するのも、ナショナリズムの読みかえだろうと

上野

そこまで言うなら、ナショナリズムは公一般を指すジェネリックな概念になってしまう。私だってナショナリストだということになります。

小熊

だけど、「日本にナショナリズムが台頭してきて嘆かわしい」と考えるのは、ある意味では一種のナショナリズムですよ。国の状況を憂いているわけですから

小熊

ここでいう「ナショナリズム」というのは、「国とか民族を単位にしてものを考える」という程度の意味

好むと好まざるにかかわらず、近代社会は国を単位にして転がっている部分が大きい。政治にしても、国という単位は無視できない。そうした状況で何かを語ると、どうしても国という単位で語ってしまうのは、不愉快な制約。ですがそういう社会のなかで生きている以上、逃れられない部分。・・我々はナショナリストたらざるをえない制約を抱えている、

逆にいうと私は、ある種のナショナリズム批判の方法は、ナショナリストを他者化しすぎる危険性がある。いわば「彼ら」を立ち上げてしまう。

「われわれはナショナリズムを批判する、われわれはナショナリストたちのように『われわれと彼ら』という図式はつくらない」


小熊

「われわれ」と言っても国家ばかりじゃなくて、「地方」とか「女」とか、いろんな単位がありえます。そういう「国家」や「民族」以外の「われわれ」を語る行為まで、「ナショナリズム」と呼ぶ気はない。

上野

この本には巨大な不在があって、女性の論者がほとんど出てこない。それについて、(小熊は)「・・女性によるものは少ない。・・・「代表的」とされる論調を検証対象にした結果、・・・、<ナショナリズムと「公」をめぐる言説とは>「天下国家」をめぐる言説、俗な表現をすれば「男子はきかに生きるべきか」をめぐる言説であるといってもよい。・・・・本書は結果として・・・一種の男性学という側面も・・・」

小熊

あまりに気負って「天下国家」を論じているというか、少々辟易するような論調が多い。丸山真男とかを読んでいると、気持ちはわかるけど、ここまで一人で背負わなくてもいいじゃないか、誰もあなたにそこまで頼んでいないから、と

上野

江藤淳を読むときの違和感もそれ。そんな「治者の責任」なぞ誰もあんたに頼んだわけじゃあるめえが、って。「公」という言語を介してしか自我の安定を確保できないのが「男という病」だと。

上野

なんでこんなことに血道をあげるのかという違和感を、私は抑えることができない。小熊さんも同じ感覚を共有するとしたら、あなたは「男」ではあっても、「公」をめぐる言説から離脱していくような「女・子ども」の感性を持っている「男の子」だったということ?

小熊

辟易する、やりたくないという感性が部分的にないと、こういう相対化の作業はできないですよ。そういう感性のない人だったら、完全に肩入れして酔ってしまうのじゃないかな。「丸山先生のあとを継いで正しい国民主義を再興しよう」みたいな結論になってしまうかも。それが悪いとはいわないけど、やりたかったのはそういうことではない。あの本の末尾で述べた「ナショナリズムの読みかえ」というのは、「正しいナショナリズム」を提唱しているというよりは、「国家を超える思想」に読みかえることもできるかもしれない、ということ



姜尚中

小熊

言葉の無効性。人びとがなぜ「つくる会」にひかれていくのか考えてみると、政治とか公共性、小林よしのり風にいえば「公」と「私」を論じるための既存の思想なり言葉なりが、人びとの心に届かなくなっていることが大きいと。冷戦が終わり、社会主義が失墜したのと並行して、従来のいわゆる「戦後民主主義」の言葉が効力を失い、「公」を語る言葉の空白状況がある。それにとまどっている人たちが、「公」を語る言葉を求めて、「つくる会」にひかれているのではないかと。

そうだとすると、そもそも「戦後民主主義」の言葉、戦後に「民主」なり「愛国」なりを語ってきた言葉は、どんなふうにできあがり、どんなふうに無効化していったのかを調べなくてはと

小熊

「戦後民主主義」は文字通り「戦争の後」の思想、つまり戦争体験を経て生まれたものだから、戦争体験のない世代の時代には形骸化せざるを得なかった。

だから「戦後民主主義」を理解しつつも、それへの違和感を踏まえて、言葉を再編しないと

だけど「つくる会」の人びとや、『敗戦後論』を書いた加藤典洋さんなどは、戦後思想の流れをろくに理解せず、自分たちが知っている時代になって形骸化しあものを「戦後民主主義」だと思いこんで、それを乗り越えたつもりになっている。そんなことは不毛だから、かつて「戦後民主主義」がどういうかたちで生きていたのか、ちゃんと再確認してから越えようじゃないかと。



戦後の保守主義というのは、いまどこに行き着いているの

小熊

敗戦直後に「オールド・リベラリスト」と言われたタイプの保守主義は、高度成長で壊滅したと思います。あのタイプの保守主義は、良家に育った教養ある文化人が、一般大衆とは違う特権を守りたい、ほとんど生まれながらに存在する階層や教養の格差を維持したいという思想。それは、「自由競争で強い者が勝てばいい」という最近の新保守主義の思想とも、「日の丸を振ればみんな日本人」という国民国家の思想ともかなり違う。

そのあとに出てきた保守主義・・・。大衆社会のなかで自分のアイデンティティが不安になり、その心の空白を埋めるために「国家」を持ち出してくるという思想の元祖が、江藤淳。

「つくる会」の人びとも、不況のなかで生活に手ごたえがないし、若者は携帯電話をかけて癪にさわるし、アイデンティティが不安なので、とりあえず「国家」とか「現実」とか言っているという印象。実際に、「新しい公民教科書」を見ると、若者が携帯電話をかける写真が口絵に載っていて、それと阪神大震災で救助活動する自衛隊の写真が対比してある。前者が個人主義とエゴイズム、後者が「公」に奉仕する精神の象徴だというわけ

小熊

「つくる会」・・・あえて一言でいうなら、ポピュリズムというのが比較的ましな形容だろうと。私がやや近いものとしてイメージするのは、エーリッヒ・フロムがいう「自由からの逃走」みたいな印象

小熊

丸山真男が戦前日本について述べている図式では、日本の草の根右派運動は「無法者」として体制を揺さぶって、全体をより右に動かす役割は果たしたけど、それ自体が政権をとることはなかった。なぜナチスのように大衆運動として広がらないかというと、戦前の日本はドイツのように近代化が進んでいなくて、ムラ社会に代表される農本主義的な中間集団が強かった。だから人びとがバラバラな個人になっているという状態ではなく、大衆社会化も進んでいなから、ナチスのような大衆運動にならなかったという。ところがいまではそういう図式が崩れて、日本でも大衆社会型のポピュリズムが出現するようになったとはいえる。
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by mudaidesu | 2005-10-24 01:31 |


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