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<純粋なるもの>への回帰願望  ぺ・ヨンジュンという思想 


小倉紀蔵(韓国哲学者) 『論座』11月号

同意するしないは別にして、なかなかおもしろかったのでメモしといた。


いわく、「ぺ・ヨンジュンを代表とする韓国のスターたちは皆、理知的で謙虚だし、ファンに対する愛情が深い。家族を大切にするし、国を大切にする。背負っているものが大きいから背筋がピンと伸びている。言葉遣いも美しいし、生き方がストイック。それに比べると、日本のスターって言葉遣いも汚いし、ファンに対しても傲慢。全然理知的じゃないし、背負っているものが何もない。だから感情移入できない」。韓流にハマっている女性たちの声を最大公約数でまとめてみると、こうなる。

彼女たちはヨン様をはじめとする韓流スターを「神聖なるしるし」と見、それと対比させて日本のスターを「俗悪な存在」と見る。

その背景には、日本のテレビが長い間中高年の女性をターゲットとして設定してこなかったことに対する、無意識的な怨念のようなものがある。

しかしそれだけではなく、今の日本が抱えている「時代精神」的な問題に対するひとつの「答え」を、彼女たちが発見した、という側面が非常に強い

それは1970年代後半から始まり、すでに四半世紀続いている「日本型ポストモダン」という「時代精神」に対する明確な否定であった。

ポストモダン(脱近代)においては、理性や主体というのもが否定される。なぜならそれらはモダン(近代)の負の産物だからである。理性や主体の追求が、結局は他者に対する排除・否定という近代の病を生み出すことになった、とポストモダン思想は考える。

今の日本のスターたちは基本的にポストモダン型だから、公的な場において主体的な構えで理性的・優等生的な「他者から期待される」言葉を発するということをしない。そのようなモダンなコミュニケーションをずらし、解体し、無化することがかっこいい、という「脱構築の教育」をされているからである。

ところがこれに対して韓国のスターは皆、モダンである。

民主化や国民国家の形成というモダンなプロジェクトがまさに今進行中の韓国社会において、「俳優」という社会的に尊敬されない職業にある者は、必要以上に主体的で理性的な姿勢を強要される。

その振る舞いが、日本のポストモダンに飽き飽きしていた層に熱狂的に受け入れられたわけだ。

韓国ドラマが「ベタ」なのと同様、韓流スターもまたきわめて「ベタ」な存在である。これを別の言葉でいえば、「純粋」である。

「純粋」をめぐって今、この日本で何かが音を立てて変化しているのである。

すなわち日本型ポストモダンにおいては、「原理」「原型」「理念」などというものからどれだけ遠く離れた位置に自分を置けるか、ということが「純粋性」をはかるものさしであった。それこそがポストモダンだったのである。

ところがモダン韓国では、「原理」「原型」「理念」などにどれだけ忠実であるかということが「純粋性」をはかるものさしである。このモダンで「ベタ」な感覚が今、日本で再び希求されている、ということなのだ。「セカチュー」などの純愛なるものが受けるというのも同じうねりである。

国民国家の形成が終わってしまい、宗教人口も多くない「非ベタ」なポストモダン日本の中で、「モダンでベタな排他的純粋性」を強く求める層が「ベタな韓国人」に吸引されているというわけだ。



韓流ファンやぺ・ヨンジュンの「家族」を見ていると、今回の総選挙における小泉首相をめぐる女性たちを想起する。

小泉首相はどこに演説に行っても、中高年女性から熱狂的な声援を受けた。

それは彼の政治の「中身」とは全く無関係に、この閉塞した状況を一気に変革してくれそうなモダンな姿勢と言葉に対する支持だったのだろう。まっすぐで「純一」なるものしか、このこんがらがって腐りかかった日本を救えない、という時代認識による負託なのである。


小泉首相は自民党をぶっこわすといった。プレモダン(前近代)のネポティズム(身びいき)的、ないし村社会的利権構造を温存する自民党を破壊するという、きわめてモダンな政治家が、小泉首相である。

これに対して「ヨン友」たちが「ヨン様」に負託しているのは、腐りかかった日本のポストモダン的閉塞感をうち破るモダンなロマンティシズムである。

つまり「小泉人気」も「ヨン様人気」も日本をもう一度「モダン」な社会に戻そうとする運動である点において一致する。そして主体性を持った、モダンで「立派な」人間像に対する期待は、国家観にも通ずる。要するに、自立した「普通の=モダンな」国家に日本が変身することへの期待である。

韓流ファンと話していて気づくのは、彼女たちの歴史認識には産経新聞的なものが意外に多いことである。「韓流→モダンな主体性→歴史認識で右寄り」という図式が、ここにできあがる。

小泉首相もぺ・ヨンジュンも、自らの外部に「敵としての悪または腐敗の領域」を広く持っている。すなわちこのような「排除すべき対象」の力が強いうちは、ふたりのカリスマの力も衰えることはないのである。


おまけ。いまさらの話ですが一応。

韓流・出版事情 by ハン・キホ

韓国出版市場に吹いている「日流」

2004年に韓国で翻訳出版された日本書籍は4257冊。これは翻訳合計10,088冊。(総出版点数35,394冊)の42%。アメリカ2684冊。江國香織、村上春樹、吉本ばなな、といった作家は一部の韓国作家を除き、韓国で最高の人気作家だと言っていいほど。
by mudaidesu | 2005-11-12 03:30 |


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