イラク人質問題 4  江川紹子 & ネタ


このネタはあちこちで出回ってたんだけど。


戦禍の狭間、見捨てられた命 “ストリート・チルドレン”に日本人女性が救いの手
 
北海道千歳市出身・高遠菜穂子さん(33)
バグダッドで少年たちを単身救済「医者でもない私ができることを」
 
【バグダッド=岩田智雄】イラクの首都バグダッドで、米軍の掃討作戦や武装勢力のテロ攻撃の陰でイラク人社会からも国際社会からも見捨てられ、すさんだ暮らしに身を沈めている青少年たちがいる。彼らはサダム・フセイン政権の弾圧や度重なる戦争で家族を失い、廃虚となっている雑居ビルの地下室に集まってきた。そんな“ストリート・チルドレン”に、北海道千歳市出身の日本人女性、高遠菜穂子さん(三三)が単身、救いの手を差し伸べている。

産経新聞2004年1月6日


この報道は事実なんでしょうか?本当に産経新聞はこんな記事書いたのでしょうか。僕には確認できないけど、実は、小林よしのりさんが自分の本でもこの記事に触れていたんだよね。だから、よしりんを信用します。

ちなみに、そのよしりんの本はこれ。「ゴー外!!〈1〉翻弄されない視座をもつ―小林よしのりの痛快“こき下ろし”SPECIAL」。「イラク人質バッシング」批判本。

この記事を書いた岩田さんは、人質事件をどんな気持ちで見てたんだろう。この記事の直後から、バンコクあたりに移ったようだけど。




江川紹子さんが書いてたものを引用。


・・・・

読売新聞の4月10日付社説。以下のように書いたのは、事件発生の第一報から24時間も経っていない時期のはずである。

3人にも問題はある。イラクでは、一般市民を巻き込んだテロが頻繁に発生している。それを承知でイラク入りしたのは、無謀な行動だ。3人にも、自らこうした事態を招いた責任がある

同じ日の産経新聞・産経抄は、こう書いた。

誤解を恐れずにいえば、“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人の日本人に対していわねばならぬ言葉だ。イラクでは日本人外交官も殺害されて治安悪化は深まっていた。外務省は再三、最高危険度の「退避勧告」を行ってきたのである。

三人のうち一人は週刊誌に写真や記事を売り込むフリーのジャーナリスト、もう一人もフリーライターの若者。女性だけはイラクの子供たちへのボランティア活動に従事していた。同情の余地はあるが、それでも無謀かつ軽率な行動といわざるをえない。・・・

読売新聞は、4月13日付の社説で家族に対しても批判をしたうえで、こうたたみかけた。

3人は事件に巻き込まれたのではなく、自ら危険な地域に飛び込み、今回の事件を招いたのである。自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係諸機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である
 

私も、いずれ「自己責任」については、きちんと議論をしなければならないと思う。

ただし「危ない所に行ったのは自分が悪い」という言い方には、私は与しない。そうした考え方は、人が助けを求めているのに、「自分さえよければいい」と見て見ぬふりをする風潮につながる。困っている人がいれば何とか手助けがしたいと思う気持ちは尊いものだし、困難な現状が明らかにされていないのであればそれを伝えるために行くことこそ、ジャーナリストの役割だと思うからだ。
 
ただ、行くからには、自分の安全を確保しなければ、本来の目的も完遂できない。だからこそ、安全対策には万全を期す必要があり、その点で3人の行動がどうだったのか、検証する必要はある。そして、そこから学ぶべき教訓を引き出すことが大事だ。
 
そのためには3人から直接、彼らがどういう情報を得て、どのような判断をし、どういう安全対策をして出発したかなどを聞いてみる必要がある。そのうえで、彼らの行動について総合的な評価ができる。
 
同時に、国の一連の対イラク政策が果たして適切なものであるか、そうした政策が彼らの活動にどのような影響を及ぼしたかについても総合的に検討したうえで、民間人の行動に関する自己責任と政府の責任にあり方を、きっちり議論するべきだと思う。
 
しかし、3人の命が危機に瀕し、事実関係も未だはっきりせず、彼らが何の弁明も説明もできない状況の中で、彼らの「自己責任」を云々することはフェアではない。 


もし今の状況下で、読売新聞があくまで「テロが頻発している」→「イラク入りしたのは無謀」→「本人が悪い」と決めつけるならば、同新聞は1991年6月に雲仙普賢岳の噴火災害で自社のカメラマンが亡くなった件についても、カメラマンと編集部の「無謀」を糾弾しなければならない。

なぜなら、当時火砕流は「頻発」しており、火山の専門家からの「警告」も出ており、行政の「避難勧告」も発せられていた。そんな中で発生した大火砕流によって、読売新聞社のカメラマンと彼が乗っていたタクシー運転手も死亡した。このタクシー運転手は、問題の大火砕流が発生する前に同僚から無線で早く逃げるように促された時に、「自分だけ逃げられない」と答えている。
 
そして、彼らの遺体を収容するために、火砕流が頻発する危険な中を、自衛隊員が命がけで現場に入った。遺体の収容作業中にも、大規模な火砕流が発生し、自衛隊員たちがあやわ、という場面もあった。
 


私は、読売新聞社を始め、当時現場にいたメディア関係者は結果として判断ミスを犯したと思う。それは教訓として、私たち取材者が共有すべき財産として、生かすべきものだ。
 
その一方で、ギリギリの状況まで被写体にカメラを向け、火砕流に襲われながらそのカメラを体で守り、最後に撮った写真を守ったそのカメラマンのプロ意識に、私は心を打たれたし、その姿を記録に止めたいと思って原稿も書いた。
 

読売新聞社もまた、カメラマンの最後の写真を大々的に掲載し、その死を悼んだ。自己責任だから、自衛隊員を命の危険にさらしてまで遺体を収容しなくていい、などとは言わなかった。
 
当然だろう。しかし、今回の社説を是とするならば、読売は自分たちのカメラマンの死についてこう書かなければならなくなる。
 
読売のカメラマンは火砕流に巻き込まれたのではなく、自ら危険な地域に飛び込み、あの事態を招いたのである。しかも、タクシーの運転手まで巻き添えにしたのである。自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけたことを深刻に反省する、と。
 

これは私の意見ではない。私自身は、いろいろ教訓にすべき点はあるとしても、最後まで現場で被写体と格闘していたカメラマンの思いを尊いと思う。なのに、読売の論説流に考えると、その尊い志までが、こんなふうに貶められてしまう。
 

身内に対しては思いやりがあり、最も人の情に篤いと思っていた新聞社が、今回の件では事実関係も明らかにならないうちから、被害者を論難するような決めつけをしたことが、本当に悲しい。いつから日本のメディアは、自分に直接縁のない者に対して、こんなにも冷たくなってしまったのだろう。
 
また産経抄は、以前私がいろいろと危険な中でもオウム真理教を追及したと、とても褒めてくれたことがある。そのコラムがなぜ、フリーのジャーナリストは「週刊誌に写真や記事を売り込む」などという嫌味な書き方をするのだろうか。
 

彼らの行動が、本当に「無謀で軽率」なのかは、実際にどういう判断に基づいてどのような行動をとったのか、分ってからでなくては論評できないではないか。
 
こうしたメディアは、心配している家族の目に触れるかもしれない。にもかかわらず、「いわぬこっちゃない」などと刺激的な文言を使うのは、どういう神経だろう。

・・・・

いわゆる「自己責任論」について
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_28.html
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by mudaidesu | 2005-12-03 01:11 | イラク人質事件


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