ポピュリズムの最大の供給源はどこか 


渋谷望

「論座」一月号。以下引用。

「総中流社会」・・またこの言説も、日本的経営論と同様、たんなる現状認識ではなく、イデオロギー的なメッセージを含んでいた。つまり、「総中流社会」の実現によって、階級的な対立は消え去り、日本は「豊かな社会」になるだろうというものである。日本的経営論が自分の帰属する企業への忠誠心を要請していたのに対して、「総中流社会」論は、企業中心社会としての日本共同体を肯定することを要請していた




重要なのは、これらの言説(「勝ち組・負け組」言説)は「中流(以上)」として自己認識する者が自分たちのポジションの正当性を納得させるために用いられている点。つまりこれらの言説は、格差社会において自分が依然として中流以上である理由を提示する。たとえば、「私が勝ち組なのは、負け組よりも”実力”があり、彼らよりも”成果”を出しているからだ」などのように。これらの言説は自己納得のイデオロギーとして機能する。あるいは端的に自信や自己肯定の材料を提供するのだ。

「勝ち組・負け組」言説は、たしかに一方で社会に不公平や不平等が広まっていることを示唆することもできる。しかし同時に、それが「公正な競争」の「結果」という印象を与える場合もある。公正な競争であれば負けた者はしぶしぶ納得するし、勝った者は自分に自信を持つだろう。



そもそも、「競争」や「勝ち負け」というこの新しいイデオロギーは、他に選択肢がないからという、あくまで消去法的な選択であり、グローバル化ないし国際競争という外的な要因によって選ばされた選択である。それはかつてのイデオロギーの弊害を内在的に批判しながら、納得して選択したものではけっしてない。それゆえどこかよそよそしい。


私たちはある人物が節操なく自分の信条を変えてしまうことを「転向」と呼ぶ。その意味で「総中流」言説から「格差」容認言説への変化を「転向」と呼んでもいいと思う。

ただし「転向」したのは具体的人物ではなく、日本のなかで支配的な地位を占めている「中流(以上)」の階級総体である。この階級の「集合的意思」とでもいいうるものが「転向」した


その勝敗を左右するのはけっして「実力」ではない。考えられるなかで最もマシな例は「運」であろう

この淘汰のプロセスを表すのには、「勝ち負け」というより「排除」という言葉のほうが適切だろう。この語は不公正や理不尽といった意味合いをいっそう喚起するから

このことは「排除された者」というよりも、「排除した」本人がいちばんよく知っているはず。つまり自分たちが勝ち残ったのは実力などではなく、何か別の不透明な原理によるのだと

彼らが誇ることのできるのはせいぜい「結果」にすぎず、その「結果」にいたる排除のプロセスを誇ることはできない。


自分のなかの一貫性やつじつまが失われ、自己の存在を肯定することができないとき、ひとは存在論的な安定性を失う。それは一般に精神的な病の条件とされる。ようするにマトモでいることが難しくなるのだ。そしていまの日本におけるマジョリティー階級全般がそのような条件のもとにある。となると構造的な問題だ。しかも現在、この絞り込まれた「中流以上」は、この自信のなさを否認し、自信のあるふりをし続けなければならない。これは救いがたいほどキビシい。

抑圧された者の被害者意識につけこみ、彼らにとってわかりやすい「敵」を作り出し、それを叩くことによって政治的人気を得る、このおなじみの手法を「ポピュリズム」と呼んでおこう。だが、ポピュリズムを支持するのは「負け組」の「特権」ではない。「勝ち組」とみなされている者だち・・・つまり生き残った「中流以上」・・・にもポピュリズムを受け入れる精神衛生上のメリットは十分ある。われわれを脅かしている「敵」の存在は、「転向」と「排除」の後ろめたさをチャラにしてくれるし、何よりも「敵」を叩くことによって、失われた自信を取り返せそうな気がするからである。しかし、取り戻せるのは倫理的な自信ではなく、一時的なスカッとした気分か、外見的な代用品にすぎない・・・何であれ毅然とした態度はカッコいい。

「総中流」時代の「新中間層」は、経済至上主義であり、消費文化志向であり、没政治的であったといえるかもしれない。つまり彼らは良くも悪くも保守的であった。これに対して、「ポスト総中流社会」といえる現在、「排除」によって絞り込まれつつある新しい「新中間層」はたしかに政治的であり、ラディカルとさえいえよう。しかし、彼らが政治に求めているのは、理念のようなポジティブなものではなく、自らの倫理的基盤の欠如・・・自信のなさ・・・の埋め合わせをすることであり、その意味で過剰なほど政治的である。そしてこの期待に応えるのがポピュリズムといえる。

この意味で、ポピュリズムの最大の供給源となっているのは、「排除された者」というよりは、自分に自信のない「勝ち組」・・・「中流以上」というマジョリティー・・・なのではないだろうか。
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by mudaidesu | 2006-01-06 00:21 |


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