ねじ曲げられた桜 
 

大貫美恵子

「花見」の研究で桜を探っていたら、こんなことになってしまった。

特攻隊員たちの日記に表現された、・・・、あまりにも悲劇的で強力な、かくれもない理想主義と学ぶことへの情熱・・。こういった優秀な若者たちの命を絶ってしまった日本の軍国主義に対する怒りが・・・、日本以外では国粋主義の狂信者としてしか知られていない彼らを、世界中のできる限り広い範囲の人々に紹介したい・・・。どうしてこのような聡明で知的な若者が、全体主義国家が遂行した戦争で戦ったのか、そして全体主義国家によくみられる現象である美的価値の果たした役割はいったいなんなのか・・・




本書は、日本の絶対主義的政治体制下において政策がどのように「美化」されたか・・、シンボルとか理想を「美化」することによって、政策がいかに国民に抵抗少なく受け入れられていったか、という過程について


特攻隊員の知的世界についていえば、中国の知的伝統、ギリシャ・ローマの古典、キリスト教、マルクス主義、そしてロマン主義との交流によってつくられた世界観。

ナショナリズムや愛国心というものは、対外交流を持たない排他的国民によって産出されたものというイメージとは全く反対に、グローバルとローカルの活気溢れる交流の産物、つまりコスモポリタニズムなのである。


ドイツ・リタリアのファシズムは、芸術だけではなくキッチュを主流にした「美的価値」を利用した。日本の桜の美しさは、ハイカルチャーの視覚的芸術・演劇・文学を通して賞揚。しかし、軍部によって利用された桜は、農民にも都会人にも身近な山、公園、川辺の桜であったので、これは民族全体によって信奉されるべきナショナリズムの象徴しとしては理想的な選択

象徴(例:桜)、象徴の美化、儀式

マルクス主義者、キリスト教徒、インテリの青年たちがどのように考え、・・・・

戦争・戦死を美化。散る桜の花は命を犠牲にした兵士を表象するものとされた。

桜の花の意味が、「天皇に対する犠牲として若い兵士が桜のように散る」という意味にどのようにして固定化せれていったのかを理解すること

政治的目的のために「美意識」がどう人を動かしうるか


結局、若者たちを特攻という運命に赴かせてしたまったものは、彼らの美的価値の希求、つまり彼らのロマン主義と理想主義であったのではなかろうか。彼らは読書を通じて自分たちの世界観と美的価値を作り上げた。


桜の花の象徴的意味の豊かさと複雑さ・・・象徴的意味のフィールドにおける複雑さは、この花の軍事的利用の成功の鍵


桜の花と米との象徴的関係、米の相応物としての桜の花・・・生産力の美的価値

女性の隠喩としての桜の花、 女性としての桜の花・・・生殖力の美的価値

花見における愛の謳、歌愛の祝賀、壮麗の祝賀・・・花見
桜の花が恋する男性にとって女性を表すなら、花が愛そのものを、男女の親密な関係を表象する象徴となっても当然であり、桜の花は、愛の象徴として、日本の歴史を通じて花見にはっきり表現される

歌舞伎における桜の花と生命の賛美、人生の謳歌・・・歌舞伎

死と再生としての桜の花



もののあわれの美的価値―咲く桜から散る桜へ

人生の無常とはかなさに対する「あわれ」という観念を展開・普及させたのは『源氏物語』
『源氏物語』の桜の花の中に現れる象徴としての強力な喚起力によって、「あわれ」は日本人のエトスに

後世において桜の花の意味・表象としてもっとも重要になる、「若くして死ぬからこそ美しい人生」ということの象徴としての「散る桜の花」が、この時代において明確に現れ、時代を下がるにつれて、階級を越えて日本人の間に浸透していった


「花が人の血を狂わせる」という表現で知られているように、歴史上一貫して桜の花は狂気と結び付けられてきた。

社会の規範的なレベルにおいて、桜の花は、米と同様に、生産と再生産を、つまり自己と社会にとってもっとも重要な生産原理を意味する。これに相反するもの、つまり、狂気、アイデンティティの喪失と変容、稚児そして芸者をその対極にあるもの。そしてこのように文化的に構築されたさまざまな現象や行為も皆、桜の花で象徴される。

即ち、桜の花は既存の文化・社会とは異なる世界の美を表象している。パラドックスの概念こそが桜の花の象徴的意味におけるもっとも本質的なものであることが明らか。花は死そ前提とした生、あるいは生を前提とした死、その両方を表象している。

桜が規範的秩序を美化したものであるなら、反秩序をも桜は美化する。桜の花の美しさが「脅威」であるのは、これが、ネガティビティという根源的な力の美的表現であり、一般に認められた認識の存在的不安定性を我々に想起させるものであるからかもしれない。


文化的ナショナリズムと桜の花の美的価値

国花としての桜が、外国人対日本人全体を表象するという現象は、すでに9世紀に始まっている。

梅(中国)から桜

日本人の隠喩としての桜の花は、他者とのディスコースの中から生まれた

桜の花は、個人、日本社会における種々の社会集団、日本と日本人全体、の三つの異なるレベルで重要な象徴になった



肉食=「開化」

天皇がはじめて肉を口にしたのは、1872年1月24日だといわれている。

福沢諭吉は肉食を提唱。


肉についてのタブーの厳しさは、屠畜がいわゆる「賤民」の役回りであったことを考えると明白である。

天皇制が、稲作農耕による政治経済と、米を象徴的中心とした農耕的宇宙観を基盤としていたことを考えると、天皇自らによる肉食の導入は、象徴構造の視点からみると驚くべきこと


外国人顧問による草稿と大日本帝国憲法はある一点において決定的に相違する。それは、ロエルスを含めた外国人顧問全員が、歴史的・法的に何の意味もないと頑なに反対したにもかかわらず、明治の政治家たちが第一条を入れ込んだこと。日本の王権に「万世」という無限の古さを与える第一条は、天皇の正当化をするのに是非とも必要だった。



桜の花の軍国主義化

どの時期においても桜の意味は複数共存し、その様相は非常に複雑であるが、全体としては、軍国主義、帝国主義、植民地主義が徐々に進行するに従って、政治的・社会的コンテキストの中で規定される桜の意味は変容していく。

桜の花の意味の変化を二段階に分けると、次のようになる。


第一段階 

競合・・・封建的日本の象徴としての桜の花 vs 明治初期の新日本の象徴としての桜の花


第二段階

ナショナリズムを表現する三つの意味の共存
A.文化的ナショナリズム・・・大和魂の象徴としての咲いている桜
B.1、政治的ナショナリズム・・・日本人兵士の象徴としての咲いている桜
  2、政治的ナショナリズム・・・戦没兵士の象徴としての散る桜



桜の花の象徴的意味が生を寿ぐ祝祭として古代日本ではじまったように、・・・咲いた桜は、武士道に表現された大和魂を表象する花として始まり、それが、桜を国花として使う長年の習慣へと繋がっていく。靖国神社においてすら、桜の花は最初「陽性」であり、咲いた桜は、相撲、花火、フランスのサーカスとともに、戦没兵士の異例のためであった。また、咲いた桜とその蕾は、軍の徽章として兵士の武勇と若さを表現したものだった。

しかし、日本の軍国主義化が加速し、外国との戦争により多くの犠牲を必要とするにつれて、「天皇即国家への犠牲」は、理想的な兵士のモットーとなった。日清・日露戦争以前でも同様であったが、軍国主義が強化されるほど威力を増した。この過程において、桜の花は戦死を美化するために導入された。戦死した後は、靖国神社で復活する、つまり、パッと咲いて散る桜の花のように、若者は天皇のために自分たちの命を犠牲にするが、天皇が参拝「して下さる」靖国神社の桜の花に生まれ変わることを約束されたのである。軍国「美談」や「玉砕」というような表現の操作も戦死を美化する戦略として利用されたが、桜の花はこの過程において重要な役割を演じた。咲いた桜は戦没兵士の生まれ変わりとなったのである。


特攻隊員の手記

佐々木八郎

佐々木の強烈な愛国心は、マルクス主義、ロマン主義など、当時の世界的思潮の影響の下に築かれたものであった。日本の偉大さや独自性を謳った偏狭なものでなく、こうしたコスモポリタンな知的視野を土台としていた。彼は、軍国主義に反対し、日本の戦勝とそれに湧く社会の風潮を強烈に批判した。また、理想主義の一形態としてのマルクス主義の立場から、日本とその敵国とを呑み込みつつあった資本主義を批判した。彼はこうした信念に基づき、日本と世界とをシュヴァイツァーの人道主義と宮沢賢治の理想主義に彩られた新時代へと先導すべく、米国や英国のみならず日本そのものさえをも破壊しようと決意していた。

現在の視点から見た場合、佐々木の思考は矛盾を孕んでいるかのように映る。彼の基本的な立場は、「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーに反するものであった。しかし、同時に彼は、その一部の影響を受けていたようでもある。若き日の佐々木は乃木将軍に心酔し、資本主義に対するものとして武士道を挙げ、時に忠孝一致を支持するような発言をするなどの傾向が見られる。こうした矛盾は、軍事政府が、彼のように才気に満ち、批判的な精神を持った若者の中にさえ、「天皇即国家への犠牲」と軍国イデオロギーを再生産することに、少なくとも部分的には成功していたことを示唆するものであるが、・・・、結果として、彼が天皇のために死んだのではないことは明らかである。・・・・、ある目的のために献身するという行為に価値を見出したいという、佐々木の必死の願いによるのかもしれない。

彼が自らの隠喩とした散りゆく桜の花びらは、「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーの中で定義された桜ではなく、日本文化一般における桜の象徴的意味に由来する。佐々木にとって桜は、強い喚起力を持つ象徴であった。だがそれは、天皇のための犠牲を意味するものでも、戦没兵の化身として存在するものでもなかった。桜は何よりも、美しいさをその核に据えた、彼の理想主義の象徴だったのである。



林は日本の敗戦の時期を正確に予言し、また古き日本の敗戦を望みさえした。が、それでも彼は日本を「祖国」と呼び、深い愛国心を抱いていた。したがって、彼は日本に新たな生命を吹き込み、再建することを自らの使命と考えていた。

林の愛国心は、自らのマルクス主義解釈の上に築かれたものであるという意味で、佐々木と似ている。二人は共に、資本主義と軍国主義の病に侵された日本の破滅を願い、新たな日本のために

中尾武徳

文学、哲学を問わず、中尾の議論は高度に洗練されており、また日本と、ギリシャ、ラテンの古典や人類学までをも含む西洋の哲学と社会理論の、徹底的な理解に基いていた。著者にとっては、この中尾の手記が、もっとも解釈の難しいものであった。最初にこの7百項の書物を読んだとき、著者は、主に「天皇即国家への犠牲」や帝国主義的イデオロギーを擁護すると思われる箇所が眼にとまり、彼は保守的または国粋主義的な特攻隊員であると思った。彼の理知的かつ哲学的な思索と、捉え難いほどに微妙な表現の奥底に、複雑さ、葛藤、苦悩などが隠されていることを著者が理解したのは、三度四度と読み返してからのことであった。とりわけ、運命への深い悲しみを秘めた彼の詩が、意味を持ち始めた。最期の時まで彼の心を離れることのなかった苦悩の深さがわかるのは、こうした詩からである。彼は、単純な極右の国粋主義者とはかかけ離れた人であった。

いろいろな意味で、中尾の例は、政府による「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーの普及努力とその成否がいかに複雑な過程であったかを、もっとも良く示すもの

彼の手記に桜の登場が少ないことは、注目に値する。天皇への自己犠牲について書く彼が、「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーに内含された桜に言及することは、当然予想されるから

和田稔

他の特攻隊員の場合と同様、和田が抱いていた軍隊と軍隊生活へいの軽侮の念は、逆に学徒兵こそが愛する祖国を救えるのだという確信へと繋がっていった。

他のエリート学生たちと同様に、和田は、世界の文明の枠を理解していた。彼の政治哲学は初期の頃から非常に進歩的であった。・・しかし、和田は、佐々木や林のようなマルクス主義者ではなかった。

林市造

キリスト教と「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーとを共存させようとする彼の葛藤からは、キリスト教徒であった隊員たちを理解するための有効な手がかりを得ることができる。終局的には天皇のために死ぬとは言えない、という彼の言葉は、政府による兵士たちに対する「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーの浸透が達成されていたという見方を覆す、もっとも明確な証言


これらの隊員たちは皆、行動においては「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーを再生産していた。しかし、思考においてそれをそのまま再生産していた者は一人としていなかった。

・・彼らの行動を促した最大の要因は、理想主義と愛国心の二つである。

桜が、もっとも進歩的な学徒たちにも重要な象徴であった。これは桜が、多様な意味を持つ複雑な象徴であったため、兵士たちが複雑な思考過程に応じて異なる意味や感情を付与しえたからである。但し桜は、常に「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーの文脈で用いられたわけではない。しかし、もっとも進歩的な者さえもが、戦没兵または自らを、「天皇のために」ではないにせよ、「散りゆく桜」と呼んでいることは、明治以来の政府によるプロパガンダの力が一方ならぬものであったことを示している。

1946年の戦没学生への追悼演説において、東大総長南原繁が、彼らを「桜花咲きのさかり」に死んだと言っているのは注目すべき事実。南原はまた、彼らを「益荒男」とも呼んでいる。・・・キリスト教徒として日本、ナチスのイデオロギーに反対し続けた南原自身が、無意識のうちに、「天皇即国家への犠牲」のイデオロギー宣伝のために用いられた用語・概念を、戦後そのまま継続して使った


愛国心と理想主義とは、彼らを志願へと突き動かした真の理由であった。しかし、燃えさかる生への欲求を抱えながらも死以外に選択肢のないことを自覚していた彼らにとって、それらは、あくまでも理論的「口実」にすぎなかったのかもしれない。


グローバルな知的潮流を源泉とする愛国心

特攻隊員たちはマルクス主義や歴史的唯物論に対し洗練された理解を示し批判もしてはいるが、結局のところ、彼らにとってマルクス主義は、資本主義や物質主義に対抗するための武器を供給する理想主義の一形態であった。

資本主義そのものを体現する英米だけでなく、資本主義により腐敗してしまった日本をも破壊し、それによって新しい日本を導き出すことを願ったのである。こう願った者は何も彼ら二人だけではない。ナショナリズムを侮蔑し、労働者が世界を統一することを期待していたマルクスにとっては皮肉なことだが、こういった若い特攻隊員にとってマルクス主義は、理想主義、即ち精神的な砦を意味するばかりでなく、彼らの愛国心を知的に正当化するものともなった。



隊員がこれらの文学や哲学作品を熱心に読んだこと、日記や手記において論じた内容の正確から察するに、彼らは読書を、1個人と社会、2生と死と死後、という二つの重要な疑問を熟考するための、はとんど唯一の手段とみなしていた。最初の疑問に対する答えが、二番目の生死の選択を決定するわけであるから、この二つの主題が密接に絡み合っていることもまた明白である。即ち、もし個人を優先させるなら、当時の日本の状況を無視することも可能であったかもしれない。そしてそれは生を、つまりは愛や出世を求め家族や友人と楽しむことを意味した。しかし、もし社会の成員としての義務を優先させるならば、日本のために犠牲にならなければならなかった。要するに、後者は死を意味したのである。隊員は皆、この二つの疑問を前に苦悩している。現実には彼らに選択の余地はなかったからこそ、隊員は4名とも「運命の選択」の問題を哲学的自己探求にすり変えているのだ。これは彼らがもはや後戻りできない地点に達してしまっていたことを無視するためのおそらく唯一の方法であったのであろう。



桜の花の一つの意味からもう一つの意味へとやすやすと変移できるのは、それぞれの意味が個々に独立した意味の分類体系に既定されたものではないからである。桜は、死を前提とした生、生産(米の相対物)や生殖(若い女性)、非生殖(芸者や稚児)、男性を前提にした女性、またはその逆も表現する。しかがって、意味が広大な意味のフィールドの端から端へと変わっていっても、例えば、生から死へと変わっていっても、その変容は自然なものに思えるのである。


メコネサンスは、ある象徴が大量殺人の武器に変容するうえで、重要な役を果たしている。ここで需要なことは、メこねサンスは人を警戒させることなく機能するので、人々は変容に気付かず、これを「自然」なことと受け取る。もしくは自分たちの好きなように象徴の意味を読みつづける、ということ。これは、正に桜の花のように象徴の意味のフィールドが、豊富かつ複雑で、広範であるため。



これらの若者たちは、全面戦争に突入していく社会の中で、「天皇即国家への犠牲」のイデオロギーと悪戦苦闘した。彼らは西洋の「文明」と植民地主義が同時に日本の波打ち際に打ち寄せるという特別な時代に短い人生を送った。彼らが運命にかかわる決断をした時に重要な要因となった愛国心は、西洋から導入された個人の自由、人権、その他さまざまな自由主義概念を一方とし、同様に西洋から導入された資本主義、唯物主義、物質主義、植民地主義を他方とした、哲学的な鬩ぎ合いの中から生まれでた複雑な産物である。彼らのもがきは、ドイツ人法制学者をして憲法を起草させ、その中に日本人特有のアイデンティティを刻み込もうとした明治の政治家たちが経た過程に類似している。明治の政治家と特攻隊員の共通点は、その両方ともが強烈な愛国心の持ち主であるとともに、知的追求に関してはコスモポリタンであったということである。
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by mudaidesu | 2006-01-16 02:18 | ナショナリズム


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