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砕かれた神  ある復員兵の手記


渡辺清 (マリアナ、レイテ沖海戦に参加、戦艦武蔵沈没にさいし奇跡的に生還)


昭和20年9月

これだけの大戦争におさまりをつけるためには、いずれ敵方から・・・報復を受けるだろうが、・・その塁が天皇陛下におよぶことだけは・・避けねば

天皇陛下が敵の手にかかるようなことはまずないだろう・・・そのまえに潔く自決の道を選ぶだろう。



実は、おれは降伏詔書を発布された直後に天皇陛下は自決するのではないかと思った。敗北の責任をとる手段といえば・・それ以外ない。開戦の責任者である以上、そうするのがむしろ当然だと考えた

ただ、「8月15日」の時点で天皇陛下があえて自決を避けられたのは、それによって敗戦の混乱と不安をいっそう大きくするという<聖慮>によるものだったかも

天皇の名によっておびただしい人命が失われたのだった。畏れおおいことだが、この責任は誰よりもまず元首として天皇陛下が負わなければならない。


東条・・・陸軍大臣だった当時、自ら「戦陣訓」・・・この訓令を破っているのは、ほかでもない当

の本人ではないか。軍人の最高位をきわめた陸軍大将が、商売道具のピストルを撃ちそこなって、敵の縄目にかかる。これではもう喜劇にもなるまい。

東条はこの失態によって、彼自身の恥だけではなく、日本人全体の恥を内外にさらしたようなもの



天皇がマッカーサーを訪問(9月27日)。・・新聞にも五段ぶちぬきでそのときの写真が大きく出てる。

それにしても一体なんということだ。こんなことがあっていいのか。「訪問」といえば聞こえはいい。しかし天皇が自分のほうから人を訪ねたことがあったろうか。日本人にしろ、外国人にしろ、そんなことは明治以来ただの一度もなかったことだ。拝謁といえばいつの場合でも「宮中拝謁」だった。相手はきまって向こうから足を運んできていた。・・こともあろうに天皇のほうから先方を訪ねているのだ。・・・「出てこいミニッツ、マッカーサー」と歌にまでうたわれていた恨みのマッカーサーである。その男にこっちからわざわさ頭を下げにいくなんて、天皇には恥というものがないのか。いくら戦争に敗れたからといって、いや、敗れたからこそ、なおさら毅然としていなくてはならないのではないか。まったくこんな屈辱はない。人まえで皮膚をめくられたように恥ずかしい。自分がこのような天皇を元首にしている日本人の一人であることが、いたたまれぬほど恥ずかしい。

マッカーサーも、おそらく頭をさげて訪ねてきた天皇を心の中で冷ややかにせせら笑ってたにちがいない。軽くなめてかかったにちがいない。その気配は二人の写真にも露骨にでていいる。モーニング姿の天皇は石のように固くしゃちこばっているのに、マッカーサーのほうはふだん着の開襟シャツで、天皇などまるで眼中にないといったふうにん、ゆったりと両手を腰にあてがっている。足を開きかげんんいして、「どうだ」といわんばかりに傲慢不遜にかまえている。天皇はさしずめ横柄でのっぽな主人にかしずく、鈍重で小心な従者といった感じである。

だが、天皇も天皇だ。よくも敵の司令官の前に顔が出せたものだ。それも一国の元首として、陸海軍の大元師として捨て身の決闘を申し込みに行ったというのなら話はわかる。それならそれで納得もいく。・・・それくらいの威厳と気概があってほしかった。

・・・いずれにせよ天皇は、元首としての神聖とその権威を自らかなぐり捨てて、適の前にさながら犬のように頭をたれてしまったのだ・・・それを思うと無念でならぬ。天皇にたいする泡だつような怒りをおさえることができない。

おれにとっての<天皇陛下>はこの日に死んだ。・・・



昭和20年10月


おれのこれまでの天皇にたいする限りなき信仰と敬愛の念は、あの一葉の写真によって完全にくつがえされてしまった。

このごろの新聞やラジオが・・・アメリカは民主主義のお手本だと・・・。日本が平和な文化国家として立ち直るためには、この際もろもろの過去の行きがかりを捨ててアメリカと手を取りあって仲良くすべきだといっている。こういう場あたり的なご都合主義を敗け犬の媚びへつらいというのだろう。それほど仲良くする必要があるのなら、はじめから戦争などしなければよかったのだ。

俺はアメリカとの戦いに生命を賭けた。一度賭けたからにはこのまま生涯賭け通してやる。誰がなんと言おうと、アメリカはこれからもおれにとっては敵だ。


「一億総懺悔」・・・みんなが懺悔したら、けっきょく懺悔にならないのではないか。敗戦の懺悔と

言うなら、天皇をはじめ戦争を起こした直接の責任者や指導者たちが国民に向かって懺悔するのが本当だろう。それをウヤムヤにしておいて、敗戦の責任を一億みんなのせいにしてしまうんは、あまりに卑劣だとおれは思う。


ついせんだってまで天皇さまさまでいたのに、一朝にしてにべもなくマッカーサーさまさま・・・つまりその時の一番力のあるものに身を寄せたがる。・・・アメリカに占領されたことも、なんとも思ってないらしい。そしてふた言めには「時勢が変わった」といって、すべては時勢のせいにして省みるところがない。・・・戦争中「バスに乗りおくれるな」という標語がはやった。



昭和20年11月

彼はおれの坊主頭をみながら、「お前も早くのばせよ。そんな坊主頭じゃ娘っ子にゃあもてないぞ。

民主主義は頭の毛からっていうからな・・・」と言って・・・・、おれはずっとこのままでいるつもりだ。毛唐の真似なんかしたくない。


教師・・・もうケロリとしている。おまえに・・悔いて沈黙してるならまだしも、ついせんだってまでお先棒をかついでいた軍国主義に臆面もなくさかしらな批判を加え、民主主義だの文化国家だのと説教をたれる。自分が演じていた舞台の幕はとうにおりてしまっているというのに、またぞろ口をぬくってしゃしゃり出ようとする。いつも人前に立って、号令をかけ、旗をふりたがるその厚かましさと無責任・・・。・・・けっきょく汚れた手袋を裏返しにはめかえただけではないか




考えてみると、偉いと言われている人ほどこんなものだったのかもしれない。言うことと、やることのちがいに矛盾を感じないからこそ、かえって平気で人の上に立って立派なことを言っていられるのかもしれない


邦夫・・・お礼参り・・・軍隊にいる間理由もなくいじめたり、殴ったりしたやつのうちを一軒一軒まわり歩いて、・・・片っぱしから気のすむほど殴り倒してきた・・・山口から青森まで・・・「どいつもこいつも軍隊じゃでっかい顔こいていやがったけど、娑婆じゃみんなホトケさんみたいにおとなしくおさまってたぜ」


人間宣言・・・こんな一方的な勝手な言い分が通るとでも思っているのだろうか。読みようによっては、天皇はこれまで現人神にまつり上げてきたのは、ほかならぬ国民であって、天皇の知ったことではないというふうにもとれる。・・・あこぎな下工作であり、・・居直り宣言


昭和21年2月

天皇を責めることは、同時に天皇をかく信じていた自分をも責めることでなければならない。


昭和21年3月

「私は日米の工業力のちがいを統計的にもちゃんと知っていましたから、この戦争ははじめから勝ち目はないと思ってましたね。・・ほぼ私の予想通りでしたよ」と自慢している・・・大学教授に失望

それにしても戦後こんなことを自慢して偉ぶるのが急に出てきたような。・・・敗けるとわかっていたのなら、なぜそのときにそれを言ってくれなかったのか。もし・・こわくてそれが言えなかったのなら、いまもだまっていてほしい。

いまになってそういう立派な口をきけるのは、何人かの共産党員・・・


おれは一度も支那の土は踏んだことはない。だが、そこに居合わせたら、おれだって何をしでかしたかわからない。・・・弾の下では誰しも自分が自分でいられなくなる。あとさきの見さかいもつかなくなるほど狂ってくる。


おれは誰になんと言われようとも、アメリカに屈服するつもりはない。日本はアメリカに降伏したかもしれないが、それは国と国との取り決めであって、おれの知ったことではない。かつて敵だったアメリカはこんどもおれにとって敵だ。永遠の敵だ。


昭和21年4月

天皇への手紙・・・天皇から受けたことになっている金品の明細書のようなもの・・棒給、食費、被服、・・・以上が、私がアナタの海軍に服役中、アナタから受けた金品のすべてです。総額4,281円05銭になりますので、端数を切りあげて4,282円をここにお返しします。お受け取りください。

私は、これでアナタにはもうなんの借りもありません。
by mudaidesu | 2006-01-17 03:37 |


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