<戦前>の思考  柄谷行人 2


自由・平等・友愛

スミス・・・cheapな政府をいったのではなく、国家が不要。・・・・ルソーは「自由の思想家」と呼ばれますが、彼は「国家の思想家」でもある。



フランス革命では、まるでそれらが簡単に両立するかのように、「自由・平等・友愛」が唱えられた。もちろん、実は「自由と平等」の矛盾がすぐに露呈。「自由」は、いうまでもなく、封建的な諸制限の撤廃であり、突きつめていくと、私的所有権の確保。ブルジョア階級にとってはこれで十分。しかし、問題は「法の前での平等」が達成されたとしても、具体的に富の平等が達成されていないことにある。フランス革命において、第四身分と呼ばれる職人・労働者などの市民が参加。彼らの闘いなしには革命はなかった。ところが、この革命は、彼らの要求を黙殺することで終わっている。19世紀の革命思想(社会主義)は、ここに胚胎していると、よくいわれる。つまり、この革命で実現されなかった「平等」を実現しようとするものとして、「社会正義」があらわれたというわけ。

しかし、フランス革命が「自由」を実現したというときに注意しなければならないのは、それがイギリスの「自由主義」とは無縁。・・・・ロべスピエールにおいて、自由の観念は・・絶対的な専制政治に転化してしまう。少数の人間が「真理」を握り、彼らが万人を代表することに。ここには権力の制限としての自由という視点はない

フランスは今日に至るまで、つねに官僚(国家)が支配する国家。自由主義はそこではつねに否定されている。

したがって、フランス革命以後の「社会主義」にかんしては、二つに分けなければなりません。つまり、国家によって分配的平等を実現しようとするものと、自由主義によってそうしようとするものとに。後者を代表するのがプルードンであり、一般にアナーキズムと。アナーキズムとは、「無政府」状態を志向するのではなく、いわば国家がない政府を目指すもの。・・プルードンはイギリスの古典経済学の影響を受けている。たとえば、ハイエクのような現代の自由主義者がアナルコ・キャピタリストと呼ばれているのは、それらが同根であることを示す

共産党宣言・・・国家の廃絶と私的所有の廃止・・・アナーキスト

マルクスは、この点においてアナーキストであり、国家主義者ではない。実際、マルクスは「国有化」などいったことない。それをいったのはレーニン。


自由を確保すれば不平等が生じ、平等を追求すれば自由が失われるという矛盾に対して、自由主義者ハイエクは、自由と平等の矛盾が時間的に解消されると。しかし、それには、経済が成長していることが前提。ハイエクは、進歩するために自由が必要であるといいますが、同時に、自由のためには進歩が必要。なぜなら、プラス・サムが実現されないなら、貧富の差は耐えがたいものになる



ドイツ国家資本主義の優位は、普仏戦争(1870)における、プロシアのフランスに対する勝利によって、象徴される。そして、その裏面において、フランスの敗戦によって生じたパリ・コミューンの敗北がある。この敗北は、1848年以来の、いいかえれば、『共産党宣言』以来の運動の終焉を意味しています。以後、「社会民主主義」が革命運動の主流になった。たとえば、プロシアのフランスに対する勝利にかんして、ニーチェは、勝利したのは文化ではなく、国家にすぎないといっている。別の観点から見れば、パリ・コミューンの敗北も同様のことを意味。それは諸個人の「連合」に対して、「組織」「党」「システム」が勝利したこと・・・革命運動のなかで、「国家」が勝利したことを意味

その結果、「社会民主主義」が社会主義運動の最も支配的な形態となった

インターナショナリズムの矛盾が露呈したのは、第一次大戦において。各国の社会民主党は参戦を支持。社会民主主義が国家に依拠する以上、不可避。

社会民主主義にとって代わったのは、自然成長的な大衆運動とは別次元にある「前衛党」を主張したレーニン主義。・・・ここにおいて、「国家」の支配が全面的となる。


ネーションの起源としての「友愛」

友愛が、それまでの家族、部族、エスニックなどの共同体、あるいは宗教的な共同体における連帯と違って、それらが崩壊したあとの個人によって見出されるもの。

ネーションは、そのような友愛の一形態。

いいかえると、ネーションの起源は「友愛」。

しかし、「友愛」がネーションとなるとは決まっていない。友愛は、共同体、国家、教会というような集団から離れた個人の間に成立するもの

ネーションは、いわばインターナショナルだった

ところが、同時に、フランス革命は、われわれがいうナショナリズムをも形成した。ナポレオンの「帝国」において鼓吹された。「国民教育」によって「フランス人」が形成


「友愛」にかんしてもやはりイギリスを参照。友愛は、アダム・スミスによって、sympathyというかたちで見いだされる。スミスはレッセ・フェールで放っておけばよいと考えたのではない。明らかにそれは貧富の差をもたらすから。それを緩和するものとして、彼は共感を考えた。というより、彼は、そうした共感が存するところでのみ、市場経済の自動調整機構(見えざる神の手)がうまく働くと考えた



ファシズムは「美学」であり、現実に達成されないものを実現しているかのように思い込ませる装置


ナチズムが人を魅惑したのは、将来に向かって現在を耐えるのではなく、「今ここ」で現在の諸矛盾を解消してしまうような幻影を与えたから。特に、ハイパー・インフレで没落した中産階級にとって待つということはできない。それは「ユダヤ的」プルジョア思想であり、共産主義思想であると。

その場合、自由と平等の矛盾を乗り越えるのは、いわば「友愛」としてのネーション以外にありません。むろん、それは実体的なものではなく、美学的なもの。ベンヤミンはファシズムは「政治の美学化」であると。ナチズムは、ラクー=ラバルトの言葉では「国家審美主義」


このように、自由・平等・友愛という要素は、資本主義の現実的な局面において、さまざまなかたちであらわれます。むろん今後においても、それはあらわれます。なぜなら、それらの矛盾はけっして解消されないから。私の予感では、「共産主義」への幻滅が甚だしい以上、今後の危機いおいて出てくるのはファシズム以外にありません。

この際に注意しておきたいことは、ファシズムの言説を、粗野で無知で悪質な言説、軍国主義的な、国粋主義的な言説というふうに理解しないでもらいたい。それでは、今後にありうべきファシズムを理解できない。戦前においてもファシズムには相応に魅力があり、圧倒的な支持があった。もし今後にファシズムがあるとすれば、けっしてかつてのようなファシズムとして出てこないでしょう。それは「民主主義」として出てきます。さらに、そのときに抵抗しうるのは、社会民主主義者ではなくて、頑固な自由主義者だけであろうということを付け加えて



近代の超克


日本の経済的自由主義者としては、石橋湛山。論文「大日本主義の幻想」は・・・植民地を放棄せよ。小日本でよい。自由貿易でやればよい。自主的に植民地を解放すれば、朝鮮や台湾も積極的に日本と協同的にやるだろう。これはアダム・スミスにもとづいた自由主義です。・・・漱石も・・イギリス的自由主義


戸坂潤・・・文学的自由主義は、一見意外にもファシズムに通じる道を有っている

私が先に「美学」といったのは、そういう「文学的自由主義」。「文学界」という雑誌が代表していたのは、左翼の運動が壊滅し、さらに、政治的・経済的自由主義自体が追い詰められていく、その状況下で「文化的自由主義」に依拠する立場であるということ。「近代の超克」の会議は、人が読みもせずにいってるほど、悪質なものでなない。むしろ、戦争中にこのような発言が可能であったことに驚くほど。いいかえると、「文学界」という雑誌は、唯一といっていいほど、言論の「自由」を保持しようとしている

昭和10年頃には「近代の終焉」という言葉が流行していた。それは、今日「歴史の終焉」ということがいわれるのと類似しているのですが、それというのも、当時、マルクス主義の運動が完全に弾圧されていたから。小林秀雄が作った「文学界」は、左翼が壊滅した後に、自由主義をベースに知識人の抵抗の拠点を目指していたといえる。・・・しかし、「文学界」が、自由主義の拠点にならざるをえないということこそ、この時期の自由主義が文学的自由主義でしかありえないことを意味している。つまり、ここでの「自由」は、現実的な自由主義がまったくないところでそれを想像的に実現するもので、まさに「美学」的であるほかない


日常的あるいは政治的にさまざまな矛盾があるとき、その矛盾を乗り越えてしまうのが「美学」。

竹内好・・・「『近代の超克』は、いわば日本近代史のアポリア(難関)の凝縮えあった。復古と維新、尊皇と攘夷、鎖国と開国、国粋と文明開化、東洋と西洋という伝統の基本軸における対抗関係が、総力戦の段階で、永久戦争の理念の解釈をせまられる思想課題を前にして、一挙に問題として爆発したのが「近代の超克」論議であった。」

しかし、これらの現実的アポリアを「思想」的に乗りえるのは、「美学」のみ。もちろん、美学にもいくつかのタイプがある。一つは、ヘーゲル的な弁証法。つまり、矛盾を実践的に止揚していくという弁証法。それがなぜ美学的なのかというと、矛盾する二項が本来同一的であるということが想定されているから。いわゆるマルクス主義は、ヘーゲル主義の亜流。しかし、このような弁証法は、少なくとも、たえず前提に実現すべき目的をもつことになる。また、現実的な変革や進歩を唱えることになる。

ところが、このようなマルクス主義が壊滅した後に出てきた「美学」は、もはや何かを積極的に実現すること自体を斥ける。カントは、美はインタレスト(利害・関心)を離れたときに成立するといっているのですが、いわばロマン派以後の「美学」は、現実的なインタレストの拒否こそ美を実現するのに不可欠だとみなすわけ。保田興重郎のいう「ロマンティシェ・イロニー」。保田にとっては、現実的な矛盾を現実的に乗り越えていく「弁証法」こそ否定されなければならない。

要するに、保田のいう「弁証法」とは何かを現実に達成しようとする姿勢であり、それに対抗するのが「イロニー」。むろん、彼はそれを日本の戦争に対しても振り向ける。彼にとっては、さまざまなイでオローグがいう戦争の目的や実現は、否定されるべきもの。彼にとっては、日本が戦争に負けても構わない。ただ、詩がそこに実現されるならば。


現実的矛盾に対する、もう一つの態度・・・西田幾多郎の「無の論理」。簡単にいうと、それは、ヘーゲルのように矛盾を闘争によって乗り越えていくということを否定するもの。人が矛盾として見いだすものは、実は浅薄な見方によるもので、根底的に、それは「絶対矛盾的自己同一」として統合されているというわけ。この論理によって、あらゆる矛盾が「止揚」されてしまう。しかし、これも「美学」的なもの。


西田において、むろん、京都学派においてはなおさらのことですが、この「論理」が現実的な矛盾を「論理的」に乗りこえるものとして活用されたこと。

たとえば、国家統制経済は、自由主義と共産主義、あるいは個人主義と全体主義の両方を乗り越える「協同主義」として「解釈」される。また、大東亜共栄圏は、近代国家とソ連邦型国際主義の両方を乗り越えるものとして「解釈」される。つまり、どんな矛盾があろうと、それは「すでに」止揚されているわけ。この「論理」はあらゆる既成事実を肯定することになる。頭のなかでは、それはすばらしく美化される


小林秀雄は、大東亜戦争の意味づけ(解釈)を斥ける。「歴史というものはわれわれ現代人の現代的解釈などびくともするものではないーーーということがだんだん解って来たのです。そういう所に歴史の美しさというものを僕は、はじめて認めたのです」。「歴史の美しさ」という言葉・・・大東亜戦争は、いかなる理屈によって解釈するのでなく、それを「運命」として参入することによってのみ「美」となるわけ。それはすでに「末期の眼」で見られている

小林秀雄は、「文学界」を作った時点では抵抗の可能性を考えていたけれども、この時点では、もう諦念に達していた。彼は、ただ京都学派をふくむ戦争イデオローグを批判し、この戦争で死ぬほかないような人々の立場に立って、何とかそこに「自由」を見いだそうとしていたのだ、ということができる


彼らの差異や対立が、根本的に「美学」的なもの・・・そこに、フランスとドイツ、あるいは文学と哲学の争いが見られる・・・この会議で一様に、ヨーロッパの「深さ」について考察している彼らが、敵である英米にかんしては、無視またはまったく軽視しています。それはそこには「美学」的なものがないから

「美学」は、現実的な矛盾を想像的に超え統合するものだといいましたが、逆にいえば、「美学」は、現実的な矛盾を現実的に乗り超えることが出来ないところにおいて、支配的になる。



双系制をめぐって

日本はプレモダンかポストモダンか

日本型資本主義。映画「ブレードランナー」。

要するに、将来の世界をすでに実現している国、あるいは人間として、日本を見いだす見方がある一方で、主体がないシステムだから前近代であるとう非難。いいかえれば、一方はポストモダンであると評価し、他方は、プレモダンであると批判。表裏一体。


ルイス・フロイスという宣教師が書いた「ヨーロッパ文化と日本文化」・・・フロイスは1563年から92年、95年から97年に日本に滞在。日本とヨーロッパを比較して、箇条書き

・ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と尊さは貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ結婚もできる。

・ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有される。日本では各人が自分の分を所有してる。時には妻が夫に高利で貸し付ける。

・ヨーロッパでは妻を離別することは罪悪である上に最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって名誉を失わないし、また結婚もできる。

・ヨーロッパでは夫が妻を離別するのが普通である。日本ではしばしば妻が夫を離別する。

・ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことは極めて大事なことで、厳格に行なわれている。日本では、娘たち両親に断りもしないで幾日でも一人で好きなところへ出かける。

・ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては家から外で出ない。日本の女性は、夫に知らせず好きなところへ行く自由を持っている。


網野善彦・・・それは江戸時代になっても変わっていない。


民俗学者が明らかにしたことですが、江戸時代どころか、昭和の戦前ぐらいまで、農村では、若衆宿や娘宿というような制度があった。それは、男女が別々に合宿して、異性を選ぶというようなシステム。もちろん自由にセックスするわけです。

私の考えでは、西洋的=儒教的なインテリ以外の諸階層を見ると、日本には性的な「抑圧」いうものがあったとは思えない。



一口でいうと、丸山真男がいうのは、日本の思想には「超越者」が欠けている。・・よくわからない。明らかなことは、それがキリスト教というようなものとは直接は関係ない

それは宗教の性質よりも、その宗教を受け入れた形態にある。「超越者」は、人がそれを好んで積極的に受け入れた場合、超越的でない。人々の願望や意志に従属しているから

超越者への信仰には、「自発的」な選択によるのではなく、むしろそうした「自発性」が否定されるような過程がなければならない。

内村鑑三・・・「余は如何にしてキリスト教徒になりしか」・・・神を強制しないが、人間はする。強制され屈服。

しかし、外発的な強制があったがゆえに、且つそれに対する抵抗があったがゆえに、彼の信仰は、たんなる「自発性」とは違って、確固たるものになった。


西洋においても、他の地域においても、世界宗教が受け入れられるというときには、必ず、こうした強制と抵抗が起こっている。竹内好・・・日本人が西洋化に「抵抗」を示さなかったのは自己がないから。「自己」(主体)は、強制と抵抗のなかで形成・・・精神分析では「去勢」

日本国憲法・・・去勢
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by mudaidesu | 2006-01-23 05:12 |


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