イスラムとヨーロッパ 風刺画問題


この問題はマジで難しい。個別の論点(表現の自由)だけで判断できない。さまざまな角度(歴史とか社会状況とか)から考えなきゃならない話だと思う。

世俗的ってのはヨーロッパ社会の特徴。 政教分離も徹底してるし。だから、宗教に対して厳しい。風刺も皮肉も冷笑も普通にアリってことが前提みたい。

ナチス擁護や反ユダヤ主義や歴史修正主義やヘイトスピーチにはやたら厳しいんだけど。事実上、これらのネタについては、表現の自由が存在しないみたい。というか、それくらいいいだろってのまでダメみたいね。それってフランスとかドイツだけの話?実はよく知らない。その割には右翼さんが元気なような気もするけど。その割にはじゃなくて、そのせい?






そんで、今回の騒ぎの発端になったデンマークの新聞って、前にもモメてたみたいね。↓

預言者モハメッドの風刺漫画を巡る論争



ところで、こんな記事があった。↓

Danish satirist, a Muslim, sees laughs ebbing away

デンマークのムスリムの風刺漫画家の話。最近、デンマークでは右翼の台頭がすごいらしい。政治家までが過激なこと言い出してるから、コメディアンや風刺家にはツライみたい。ベタすぎて風刺できねーよ、ってことかな。偽善は風刺できても、露悪趣味は風刺しづらいってことかな。あからさますぎて。



日本の新聞記事で一番気になったのはこれ。↓

疑問、悩みあったが… ムハンマド風刺画の作者ら告白


気になった部分はここ。↓


風刺画を最初に掲載したデンマーク紙ユランズ・ポステンは、メディアがイスラム教に遠慮して自己検閲をしていることに抗議する目的として、風刺画の作製を依頼したという。

これに対し、漫画家の一人は「断れば自己検閲に加担する憶病者と言われるし、描けば無責任にイスラム教への憎悪を流布することになる」と、悩んだ末に引き受けたことを告白。

四人は、同紙の政治姿勢について「扇動的な反動主義者の集団だ」と批判した。


「メディアがイスラム教に遠慮して自己検閲をしていることに抗議する目的」・・・・って、こういう表現って日本でもよく見かける。イスラム教のところを他のものに置きかえてみれば。憎悪を煽るような表現をすることへの自己正当化によく使われる。ただただ特定の宗教やら民族やら人種やらを侮蔑・嘲笑したいだけなんちゃう?とか思ってしまう。


ま、それは置いておいて、ヨーロッパのこういう文脈の背景には、オランダの映画監督のゴッホがイスラム過激派みたいなのに殺された事件もある。その事件以降、イスラムの問題にメディアはおよび腰なんちゃう?って話。僕には検証のしようがない話。

もっと遡れば、サルマン・ラシュディの小説「悪魔の詩」の問題がある。ラシュディはこの小説によってイランに死刑を宣告された。イギリス人(パキスタン系)なのに。日本語への翻訳者が殺されたって話も。(wikipedia「悪魔の詩」



Publishing those cartoons was a mistake

↑のコラムはメディア論を語ってる。リバタリアン理論と社会的責任理論があって、この論者は後者の立場から、風刺画掲載を批判。アメリカやイギリスの媒体でのコラムを見ると、ほとんどが風刺画掲載に批判的なような気がする。

というか、みんな、とりあえず関係者全員を批判しとけってノリ。掲載側には、ムスリムたちがどういう反応するかわかってるくせして、あえてそういうことするなよと。暴れてるムスリムには、ヨーロッパの世俗文化を理解しろって。みたいなかんじに。

一方、ヨーロッパ(大陸)やオセアニアのメディアは、表現の自由、世俗文化擁護の立場から、同じ風刺画掲載ってとこまでやってるみたいね。

まあ、最初にこの風刺画を掲載した新聞の意図は、おそらく、ただイスラムを嘲笑したかっただけだろうから、その意図は擁護できない。けど、掲載の行為自体は擁護するしかないのかなあ。難しいねえ。


つーか、欧州の右翼とイスラム原理主義の強硬派は、ほんとに「文明の衝突」にしたくてしょうがないんだと思う。イランの大統領なんて大喜びしてるし。自分を西洋文明と勇敢に闘う英雄に演出しようと前からしてたし。フセインがちょっとだけ狙ってたポジション。フセインは実のところ欧州世俗的な人だったけど、アフマディネジャドは素でイスラムを掲げてるし。

アフマディネジャドはこの出来事を利用して大はしゃぎしてるけど、 こんな雰囲気じゃ、もしイラン攻撃なんてことになっても、欧州市民の 反発が弱まりそうでヤバイ。
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by mudaidesu | 2006-02-07 23:57 | 世界


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