人道的介入・・・正義の武力行使はあるのか


人道的介入・・・正義の武力行使はあるのか

最上敏樹


前・・・国々が相互にそういうルール(国家間)を守りあっていさえすれば、国の中でいかにひどいことが起こっていようと、「平和」は保たれていることになっていた。国際法的に見るなら、それは、侵略と戦争の違法化、武力行使の禁止、他国への干渉の禁止、主権の尊重といった原則の確立強化を意味する。

重さと悩ましさの根源は、その問いかけがはらむ倫理性にある。フランスの哲学者ポール・リクールは、「人の苦しみはそれを見た者に義務を負わせる」という言葉でこの倫理性を表現した。




難問の難問たるゆえん。リクール的局面において、絶対倫理と絶対平和とが鋭く緊張関係に立つ

「何かをしなければならない」と「何をしてもよい」との間には、限りなく大きな隔たりがある

大きな隔たりの間にある無数の選択肢のなかから最も適切なものを選ぶという、すぐれて実践的な平和追及作業こそが求められる


国々が独断でおこなう「人道的介入」には、言葉の崇高さにもかかわらず、なにかしらうさん臭さがつきまとう。・・歴史的に見て、うさん臭い例が

ナチス・ドイツ・・・チェコスロヴァキア領併合・・・ドイツ系住民が・・抑圧されていると

米国のグレナダ侵攻(1983)・・・在外自国民保護?・・・国連総会決議・・この軍事侵攻が「国際法のあからさまな違反」


むずかしい事例

インドによるパキスタンへの武力介入(1971)
ヴェトナムによるカンボジアへの武力介入(1978)

動機の一部に人道的な要素はあるものも、それ以外の動機も不純物のように混じりこんでいる

タンザニアによるウガンダへの介入(1979)




ソマリア・・・過剰な介入? ガリ気合い入りすぎ?

ルワンダ・・・過少?・・早い時期に非武力行使型の兵員および文民警官を派遣していたなら

スレブレ二ッツァ(ボスニア)

アナンの罪責告白・・・モスレム人たちが、1993年の武装解除に応じて差し出していた武器をセルビア人とわたり合うために返却してくれと言ったとき、UNPROFORはそれを断った・・・「格別に不見識な決定」・・・NATOの空爆に対する消極姿勢をはじめ、事務局の主たる担当者たちは多くが武力行使に消極的だった・・・セルビア人に対して武力行使しないと公言するなど誤っている。維持すべき平和などない場所で、平和維持のためのルールだけ守ろうとしていた

アナンの重い結論は二つ。ひとつは、以上もろもろの「過ち」の根源は「中立性と非暴力性」という国連の基本理念そのものの中にある、という断定。こうした理念は、ボスニアのような紛争には「まったく不適切」だという。・・・セルビア人勢力は「野蛮な犯罪」をおかしたし、彼らがつくっていたのは「非道な人殺し体制」だった。そういう人間たちが「ジェノサイドを試みるとき、中立性にこだわるのは誤り」

もうひとつ、ボスニアの問題は「道義的な問いかけ」でもあったと。・・・あのような蛮行を働いた人間たちは、私たちに「世界には悪が存在するのだということを思い出させてくれた」。であるなら、「紛争を解決すべき国連の世界的任務は道徳的判断から切り離されるものではなく、むしろそれを必要としている」。



紛争解決と道義の実現とを重ね合わせ、道義を実現して「悪」に立ち向かうためには中立的であったり非暴力的であったりしていてはならない、と簡単にいえるかどうかが問題。スレブレ二ッツァのように「悪」が明確とは限らない。

「悪」をつくりだすための情報操作。ヒトラーやナチスの比喩。


コソボ・・・ややこしい


ユーゴ空爆を批判する意見の中には、コソボのアルバニア人を守るのが目的だというならなぜ地上軍を投入しなかったのか、・・・道義的な要求。結局は「空爆オンリー主義」「死者ゼロ主義」を貫いた。



市民的介入の論理

「介入の義務」という言葉を最初に使ったのは、国境なき医師団(MSF)の創設者のひとり、ベルナール・クシュネルたち

MSF・・・掲げている標語は「人道的な救済の権利」。「国境なき医師団は、普遍的な医学倫理と人道的救済の権利の名のもとに、何ものにも妨げることなく、その職務を中立と公平な立場でおこなう。」

MSFの活動は、人道的救援のあり方を根本から変えた。・・「MSFはすべての関係当事者が認可を与えるまで行動を起こさない、というやり方を拒否する」

人道的活動を武力行使と結びつけることには批判的。

むろんそれは、単なる軍事アレルギーなどではない。軍のかたわらで仕事をすることはある。そして何より、ルワンダで虐殺が始まったころ、MSFは赤十字とともに、虐殺をやめさせるための武力行使を求めているのだ。

アムネスティ・インターナショナルも武力行使を完全には排除しない。ピエール・サネ国際事務局事務総長はこう言っている。「アムネスティは武力の行使を否定していない。法は執行されねばならない。・・正義のために武力を行使することに反対しない」

サネ・・「人道的介入に従事する個人および非政府組織の動機に疑問はない。・・・しかしながら、各国政府の動機に関しては重大な疑念がある」・・・「国際社会による意思決定が、果たして正義をその決定要因としているのかどうか疑問な点がある」・・・「もし、介入するという政府の意思決定が正義の探求によって動機づけられたものであるならば、なぜ、言葉に表せないほどの不公正な状態にまで状況が悪化することを許してしまうのだろうか」

予防の重要性

和解へ・・・真実和解委員会


日本

平和憲法に肯定的な立場の人々もまた、こういう状況での平和貢献とは何であるかについて、十分に突きつけて考えてきたようには思われない。人道的介入について言えば、NATOによるユーゴ空爆(コソボ問題)という、合法性にも正統性にも乏しい例だけを引き合いに出して、「あのように力を誇示し、力による平和を求めるのが人道的介入の正体であり、平和憲法を持つ国はその種の活動で手を汚してはならない」と言って片づける傾向さえ見られる。
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by mudaidesu | 2006-02-09 23:24 |


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