昨日、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」の2時間後に観た。実は観るつもりはなかった。正直「いまさらもういいよ」とか思ってた。でも、井筒監督が「虎ノ門」で「観にいけ!」って言ってたし、興行成績に貢献しよう!と思って行った。たいして入ってないかと思ったら、小さいところだけど毎回超満員みたい。 「ホテル・ルワンダ」公式ページ 「ホテル・ルワンダ」日本公開を応援する会 思ったより淡々と普通に描いててびっくりした。アーティスティックにしようとしてなかった。やはりまだ10年前ということで、題材が生々しすぎだからだろうか。 でも、旧ユーゴを描いた作品はアーティスティックというか、映画映画してるというか、芸術してるというか、そんなかんじなのを何個か観たな。やっぱ、「ホテル・ルワンダ」は「おまえら、知れ。とりあえず、知れ。」って作品なんだと思う。そこそこ知られてる旧ユーゴとはまた違うのかな。旧ユーゴについての映画は、そこそこ何があったか知ってるヨーロッパ人向けだろうし。 ま、世の中、ワイロとコネっすね。やっぱ。 なんておバカなことも考えてしまったが、まず最初に気になったのは「ゴキブリ」。虐殺を煽動する役割を果たしたラジオの人が、ツチ族の人たちを「ゴキブリ」と呼んでいた。虐殺に関わった、または虐殺容認のフツ族の人たちも、ツチ族を「ゴキブリ」と。 「日本人の劣等感と優越感? & 欧米リベラル」でも書いたけど、これも典型的な「悪魔化」。特定の人種なり民族なりを「悪魔化」することによって、憎悪したり嫌悪したり嘲笑したり傷つけたりしても良心の呵責を感じずにすむ。というか、敵は「悪魔」なんだから、逆に正義の行為になる。昔から争いごとにおいて、繰り返されてきた手法。 我らが愛する日本にもこういう人↓がいる。 ここ↓でものすごいこと書いてる。 中宮崇の 世相日記「些事争論」 (あまりに酷いんで直リンやめた。見る人は「あえて」どうぞ。) http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=312071&log=200503 この中宮崇は売れっ子言論人。このサイトが本人のものならね(そうだろうけど)。「正論」や「諸君!」でしょっちゅう文章書いてる。日本の良心と知性を代表する大手新聞社と出版社が出してる雑誌で。産経新聞と文藝春秋。(西尾さんのプチ懺悔!?) 別に産経や「諸君!」が嫌いなわけじゃない。それらにも役割はあると思う。ためになる文章もたくさんあると思う。好きな論者の文章があったりもする。多少のレイシズムやヘイトスピーチな文章が載るのもしょうがないかなとまで思う。しかし、↑のようなものを書く人間に役割はないと思う。 映画の話に戻ると、やはり僕は日本人としての視点から観てたような気がする。やっぱ、国連軍の兵士や赤十字の女の人が気になった。こいつらすげーよと。「イラク人質問題」について書いてるし。「イラク人質問題 8 動揺」で、「イラクなんかに行く、情熱も怒りも勇気も度胸も使命感もなんもない。そんな自分だからこそ、そういうものを持った人間たちがあんなことになっちまってと動揺した」と書いたとおり。 「ニッポン 旧ユーゴ 虐殺 国連」で、国際社会が旧ユーゴの人々を見捨てたことについて、「国際社会、何やってんだよ!バカヤロー!だ」と書いたけど、この映画もそういうノリだった。僕らに向けて作られた映画。 日本じゃ、軍事介入しろや!って主張が左派から出てくることはないと思うけど、というか、日本にそのケイパビリティがどうせないんだけど。欧米だと、左派から出てくる。 最近はネオコンの登場もあってややこしくなってるけど、アメリカでも、もともとリベラル派の方が好戦的だった。好意的に解釈すれば、世界の人々のために、積極的に世界と関わろうとする傾向があった。 クリントンのときもそういうノリが一応あった。クリントン政権そのものにというより、クリントンにプレッシャーをかける人々の間にそういうノリがあった。冷戦も終わったし、これからは国益だのバランス・オブ・パワーだのリアリストみたいなこと言ってないで、リベラルな国際関係理論に基づく外交やってきましょうよ、みたいな。困ってる世界の人々に手を差し伸べていきましょうよと。 アメリカの右派にはもともとリアリストが多くて(ここんとこネオコンが乗っ取っちゃったけど)、世界のゴタゴタに顔突っ込んでも得にならねーから、やめとこーぜ、みたいなノリ。ベトナム戦争やイラク戦争に反対したように。(リアリストのリアリズム イラク戦争反対) でも、ソマリアで失敗しちゃったんで、リアリスト的な議論が幅を利かせてた。 だから、旧ユーゴでゴタゴタ起こっているとき、アメリカ政府は無関心を装ってた。というか、どうしようもねーだろ、めんどくさすぎ、へたに手出してもどーにもなんねー、って感じだったんだろう。で、リベラル派から、「見捨てんのか!なんとかしろやコラ!」と非難轟々。で、「クウェートと違って旧ユーゴにゃ、oilがねーからかコラ!」と。 で、そんなとき、サラエボの市場での惨劇(by 戦車の砲弾)の映像をメディアが撮ることに成功して、それがお茶の間に流れ、世論が沸騰。「かわいそう」という声が広がり、欧米政府も無視できなくなり、真面目な対策を考えるようになった、と言われてる(実際は知らない)。 この構図は、ソマリアでも同じだったらしい。一部の人たちの間では、「どうにかなんねーのかよコラ!」という話にはなっていたが、アメリカ政府・国際社会に行動を起こさせるまでにはなってなかった。で、やたら痩せ細って、餓死寸前のかわいそうなソマリアの子どもたちの映像がお茶の間に届くようになって、世論が沸騰・・・。 で、ルワンダだけど、ルワンダの場合、虐殺開始から短期間でもの凄いことになってたんで、↑のような「コラ!」系の批判は後になってから。虐殺の様子が徐々に明らかになっていくにつれて。で、「なんで助けにいかんかったんだコラ!」と非難轟々。「旧ユーゴと違ってルワンダはアフリカだからか!黒人だからかコラ!」と。 映画にも出てきたけど、「ジェノサイド」という言葉を公的機関はなかなか使おうとしなかった。これは旧ユーゴでもそう。「ジェノサイド」ってのは法的概念で、ジェノサイドが起これば、ジェノサイド条約締約国には介入する義務が生ずる。(ジェノサイド条約) まあ、そんなわけで、「やる気」さえあれば、国際社会・アメリカはルワンダの虐殺を止めることは可能だったという言説が支配的だった。面倒だからそんなことするべきじゃない(とストレートには誰も言いませんが)、みたいなリアリストの言説はあった。けど、それも、やる気さえあれば可能だった、という前提は共有してた。国連やアメリカ政府さえそう。 でも、その「前提」に異議申し立てした人がいた。アラン・クーパーマンという人がこんな論文書いた↓。なんかすごく話題になったそうで。その後、これについて本も書いてる(「The Limits of Humanitarian Intervention: Genocide in Rwanda」)。 Rwanda in Retrospect (サマリーだけど) この論文に対する反論と、クーパーマンの返答。↓ Shame: Rationalizing Western Apathy on Rwanda まあ、長くなるし(面倒なんで)細かい説明はしないけど(すみません)、クーパーマンによると、虐殺を止めることは不可能だったと。小規模(5千程度)の軍事介入で虐殺のほとんどは止められたって言説が主流だったけど、それはムリだと。クーパーマンは、綿密に虐殺がどのように進展していったかを調べ、展開可能な部隊のロジスティックも細かく分析してる。そして、欧米諸国が大量虐殺に気づいてすぐに大規模軍事介入していても、時間的に手遅れで犠牲者の1/4程度(本では)しか救えなかっただろう、と結論づける。 まあ、1/4程度も救えたなら軍事介入をすぐすべきだったと思うけど。 で、このクーパーマンって人が学校の先生の知り合いで、この話をしにきた。この人が言ってたのは、こういう論文書いたせいで、冷酷な奴だと思われて困ってると。誤解してほしくないんだけど、ほんとにそういう犠牲者たちを救いたいからこそ、こういう研究やってるんだと。いかに効果的な人道介入ができるか、それを研究したいんだと。 言っとくけど、僕にはよくわかんない。この人の議論は説得力すごくあるんだけど、検証できないし、理解の範囲を越えちゃってるし。 ところで、この映画を観ると、ああいうことがもしまた起こったら「軍事介入しろや」と思う人は多いと思う。僕もそう思う。僕が確信的な9条改憲になったのはルワンダ虐殺について知ってから(イラク戦争のせいでまた迷いまくりだけど)。 人道介入問題はほんと根源的な問題ですよ。他所の他人の戦争にどういう姿勢をとるべきか。アメリカの戦争なら、反対することにも意味がある。こちらの声がアメリカに届く可能性はゼロじゃない。けど、ソマリアやルワンダで起こったようなことにはどうすべきか? アメリカの中では、単純化すれば、リアリストはほっとけ、アメリカの国益に支障がでるようなことにならない限りは。リベラルは、どうにかしてやれ、止めにいけ。 日本の護憲派はやはり「ほっとけ」ではないだろうか。国益に関係ないからじゃなくて、実際に介入するのはアメリカ中心だから、アメリカの軍事活動に反対みたいな。 外野が口出すと収まるものも収まらない、収集つくまでほっとけ、それが結局、一番人道的なんだ、みたいな考えもたしかにある。けど、多くの人が死んでいくのを放っておくのか。 人道介入の話になると、「正しい戦争」はあるのか?という問題にもなってくる(「憲法9条改定論議の整理」)。日本人としては、そこは譲りたくないところって気もする。まあ、特に日本人にとっては、絶対倫理(人道介入)と絶対平和(憲法9条)のせめぎあい。 ただ人道介入には胡散臭い例がけっこうあったし、 「何かをしなければならない」と「何をしてもよい」との間には、限りなく大きな隔たりがある。大きな隔たりの間にある無数の選択肢のなかから最も適切なものを選ぶという、すぐれて実践的な平和追及作業こそが求められる。(引用不正確な可能性も) 最上敏樹のこういう言葉みたいに、冷静に考えないとね。最上さんは一応護憲の人。護憲本を「9条の会」の人たちと一緒に書いてたし。この人は、とても冷静で思慮深く丁寧な議論をする人。僕みたいに結論を急がない。いろんなことを考えさせられる。 映画に出てきた将軍について検索したら、2ちゃんにこんなスレ(三年半前)が。↓ 【国際】ルワンダの100万虐殺で、主犯とされるビジムング将軍が無罪を主張 そのBBCの記事↓ Genocide suspect pleads 'not guilty' BBC この人、ルワンダ軍のトップだったんだね。だいぶ動き回ってたけど。・・・・でも、検索続けたら、なんかビジムングってルワンダに多い名前みたいね。もしかしたら別人かも。 で、ちゃんと国際法廷のページをチェックしてみた。 International Criminal Tribunal for Rwanda english→CASES→Status of Casesを見ると、ビジムング(BIZIMUNGU)が二人いた。Casimirの方の起訴状(indictment。なぜか斜め)をチェックすると、この人は将軍じゃなくて役人みたい(つか、閣僚)。 そんなわけで、映画に出てきた将軍は↑の記事の人だと判明。まだ裁判中みたいね。 ちなみに、ルワンダの国内法では死刑があるけど、国際法廷には死刑がない。だから、国際法廷で裁かれる位の高い人は死刑を免れて、国際法廷が物理的(法廷の規模の問題)に扱えないような末端の人たちは、国内での裁判(それもけっこう適当な)で死刑になってしまう。そりゃ、不公平じゃねーの?って議論もある。(僕は死刑反対だけど。) つづき。↓ 共感と暴露と動揺と切断処理 ホテル・ルワンダ
by mudaidesu
| 2006-02-10 00:26
| 映画
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