共感と暴露と動揺と切断処理 ホテル・ルワンダ


ホテル・ルワンダ」のコメント欄で触れたコレについて。↓

『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない!  この人を見よ!


ちなみに、以前、町山さんがこの映画について書いた文章。↓    


『ホテル・ルワンダ』を観て、「アフリカは悲惨だな。先進国が何かアフリカのためにしてやれることはないか」と思うのは、間違っている。この映画は、そういう風にも作ることはできたが、テリー・ジョージ監督(アイルランド人)はそう作らなかった。国際社会や政治の問題としても描かなかった。・・・

わかりやすく言ってしまうと、「アフリカのことは置いといて、とりあえず、これを観た一人一人が各人の生きている場所で隣人を愛してください。一人一人がポールさんになってください。普段の日常から。それが始まりです」ということですよ。・・・

ポールさん自身は英語版DVDの付録で『ホテル・ルワンダ』を見た人に求めることとして次のように言っている。「ルワンダを教訓にして、この悲劇を繰り返さないで欲しい」。つまり、ルワンダへの寄付ではなくて、あなた自身の生きる場所でルワンダの教訓を活かせ、と言っている。・・・(こういうことは)世界中のどこでも起こるし、これからも起こるだろう。・・・

『ホテル・ルワンダ』という映画が観客に求めているのは、アフリカへの理解や、国際社会の対応よりもまず、観客一人一人の中にある排他性、つまり「虐殺の芽」を摘むことなのだ。

「ホテル・ルワンダ」と「帰ってきたウルトラマン」





映画の観方は人それぞれだとは思うし(僕がこの映画について以前書いたものの内容も↑とはまったく違うし)、観た人が同じメッセージを受け取って同じように考えなきゃならないとはまったく思わないけど、こういうこと書いていた町山さんの脱力と絶望はよくわかる。

まあ、僕としてはああいうのに慣れきっちゃって麻痺して不感症になってるから、あんまり衝撃は受けなかったんだけど。やっぱ、残念だなあと思ったのはコメント欄に書いたように↓。


問題のブログを荒らしてる連中もひでーぞ。内容はともかくイラク人質とかを叩いてる連中と傍からみるとかわらんぞ。大人数で個人を叩くことに快感を覚えてるなら、このブログ主をバカにできない。

数人が優しく諭して、それでわかってもらえなかったらほっとくしかないだろう。大人数で叩かれたからって考えを変える奴なんてほとんどいない。直接会っての信頼関係のある対話ならともかく、ネット上でのあんなコミュニケーションで考えを変える人なんていない。逆に、被害者意識がつのって頑なになる可能性のほうが高い。逆効果。自分の「叩きたい」という欲望を満たすってのが目的ならしょうがないけど。



で、この町山さんの文章とこのやり取りに関して、あちこちでいろんな議論が起こってるみたい。ちょっと本人にはかわいそうだけど、非常に大事な題材ではあると思う。

これこそが「ホテル・ルワンダ」だし、誰でも多少は持ってるだろう「内なるルワンダ」「虐殺の芽」について。そういう意味で、↑で書いたように、コメントスクラム的なのは非常に残念。多かれ少なかれ、あんたらにも同じようなところあるよと。「内なるルワンダ」「虐殺の芽」を自覚したいもんだと。

人種・民族に基いた迫害だけじゃなくて、思想・信条・信仰に基いた迫害ってのもあるよと。ガーーーーっと行くのはどうかと。「アンチ・レイシズム無罪」って態度はどうかと。「愛国無罪」やイラク人質バッシングの根底にあるものと変わらんと思う。

批判と迫害の間にはものすごい距離があると思うけど、コメントスクラム的なことをしたいって欲望があったり、それで快感を得てるのであれば、僕としてはコワイ。たしかに、みんなでやっつけたい!とか、みんなで正義の鉄槌を下したい!みたいな欲求はだれにでもある。僕にも、そういう征服感や支配感みたいなものを味わいたいという、欲望みたいなもんがないとは言い切れないから余計にコワイ(どっちかっつーとSだし)。



ちなみに、「町山さんの行為は『晒し』であり、迫害を煽動してるようなもので、あれこそが『虐殺の芽』だ」ってな批判もあるけど、この場合の「どっちもどっち」ってのには同意しない。コメント欄でガーーっと「つるし上げ」やってる人には「どっちもどっち」が当てはまると思うけど。

町山さんのあの文章まで「どっちもどっち」で片付けるのはやりすぎだと思う。相対主義的な発想は好きだけど、そこまでなんでもかんでも「どっちもどっちで」すませたら、「批判」ってものが存在できない。(たしかに、町山さんって少々攻撃的というか、クセのある人だけど。)



朝鮮系の人が「朝鮮人虐殺」の例を出すってのが「恣意的」だし「偏向」だって思う気持ちもわからんでもないけど、朝鮮系だからこそ、自分の属性だからこそ、それを語るべきだと思う。(町山さん自身のアイデンティティ認識は「普通の日本人」だろうけど。いや、日本人だからこそ、この映画と繋げて、日本で起こった朝鮮人虐殺を語るべきかな。)

日本人だからこそ、核兵器や戦争の話なら、原爆や空襲を語るべきだと思うし。ネイティブ・アメリカンだったら、旧ユーゴのムスリムなら、パレスチナ人なら、ユダヤ人なら、・・・まあいろいろあるけど。

たとえば、アメリカの学校の授業で「戦争の被害」について調べなさいってことになれば、日本人だったら原爆被害についてやることを当然期待されたり。ベトナム系、ベトナム人だったら、ベトナム戦争被害だったり。「人種差別」についてだったら、日系アメリカ人には、日系人強制収容についてやることを期待されたり。そういうもん。

自分たちが語らなかったら誰が語るのか。

属性にこだわるべきじゃない、属性なんてくだらねぇと思ってる僕がこんなこと言うのは矛盾してるけど。まあ、僕も「日本人」って属性にはめちゃくちゃ愛着あるし。

まあ、周りのそういう期待ってのは、抑圧にもなるんだけど。○○人なら○○人らしくしろ、△△しろ(するな、ってのも)ってのはうざいもんだし。好きなこと、興味あることやらせろよと。(だから、僕自身は日本ネタはあえてほとんどやらなかった。)


もちろん、属性うんぬんは別にして、僕も「ホテル・ルワンダ」から「朝鮮人虐殺」を考えるのは妥当だと思う。というか、妥当すぎ。映画の「ゴキブリ」で僕がすぐに連想したのはアレだし。細かい違いは探せばいくらでもあるだろうし、どこに同じものを見るかってのは人それぞれかもしれないけど。


ところで、ある事象を普遍的な文脈で語るか、差異にこだわって別物とするか、ってのはややこしい問題。ある人は「南京大虐殺」や「ホロコースト」を普遍的な文脈で語り相対化して、「いつでもどこでもあることで、大騒ぎするほどのことではない。」みたいなことを言う(北朝鮮側の拉致問題に関する言説なんかもそうかも)。加害者側を免罪するために。けど、同じ人が、「ルワンダ虐殺」と「朝鮮人虐殺」を同じ普遍的な文脈で語ることを拒絶するような。「一緒にするな!」と。また、「ホロコースト」を超特別なものと考える人(特に被害者)も、相対化・矮小化に怒り、他の虐殺と「一緒にするな!」と言う。



あと、町山さんの文章が、(差別問題でお約束の)「糾弾調」で気に入らない人もいるようだけど、そう思う気持ちもよくわかるし、たしかに戦略的に考えれば、違うやり方もあるかもしれない。けど、当事者(町山さんの属性はそう)からの訴えかけってのは、自分の身を削りながらってなところもある。

やっぱ傷つくだろう。

町山さんはあの文章を読んで傷ついたかもだし、自分でいちいち反論を書くことによってさらに傷ついたかも。アホだなあと切断処理してスルーしたほうがはるかに楽。余程のことがない限り、そういう人を後ろから撃つ、みたいなことはしたくない。


僕自身は、幸運にも、自分の属性のせいでヘイトスピーチを直接向けられた経験はない。

でも想像してみる。公の場で、自分の属性がマイノリティの場で、ヘイトスピーチを浴びせられたらどうだろう。やっぱ、アホだなあと切断処理してスルーしたほうが楽。でも、闘うと決断して、あえて町山さんのように魂の叫びを発したとする。そのとき、叫び方、発し方がイマイチと言われるとツライ(後で個人的に言ってくれるなら歓迎だけど)。シネボケウンコとか発したならまだしも。いや、うんこぉっ!は平和の象徴か。

やっぱ、差別の問題では傍観するような、必死に訴えようとしてる人を揶揄するような立ち位置は取りたくない。というか、自らこういう問題にあえてコミットしようとする人に、そうじゃない(基本的にはまさに傍観者である)僕が「はしご外し」みたいなことはしたくない。




まあ、とにかく、いろんな論点があるし、普通に同感ってのもあれば、うーんってのもあるけど、


既に変化は起こってしまったのだ。声を荒げて「変化など起こらない」と主張せねばならぬほどに、それは強いちからを加え、刻印を残した。

あわててパンフレットに書かれた町山氏の文章から、瑕疵を見つけなければならないほどに、恐怖したのだ。自らの信奉が揺らぐことに不安がなければ、なぜその対象を誹謗中傷せねばならないのか。

「エンタテインメント」は免罪符ではない。



これと同じこと思った。(あとのカレーの話は微妙だけど(笑)。おもしろいけど。)

あの人があそこまで必死に、町山さんの一文や町山さんの属性に敵意を剥き出しにしなければならなかった理由はコレだと思う。自分の中にルワンダの虐殺と同じものを見てしまったからこそかもしれない。その発見には最初は無自覚だったかもしれない。やっぱ、そういう発見は不快だし。気持ちよく「いい映画だったなあ」と満足して終わりだったかも。

でも、パンフレットの町山さんの一文のせいで無自覚ではいられなくなった。不快になったし、「恐怖した」。町山さんに暴露されてしまった。

だから、「ちがうちがう!ちがうんだ!」と否定しなければならなかった。フツ族のツチ族への憎悪と日本人の朝鮮人への憎悪は違う。ツチ族虐殺と朝鮮人虐殺は別物。町山の一文は朝鮮人特有の被害者意識のせいだ。とかなんとか切断処理を施さなきゃと。 

やっぱ、めちゃくちゃ揺すられたんだと思う。動揺しまくった。こういう動揺って無駄じゃないと思う。この動揺って「西尾幹二とネタとかベタとかロマンとか」で書いたようなものとは、またちょっと違うものだと思うし。

結局、この人はものすごい反応しちゃったし、その後も、さらなる町山さんの暴露に直面して、またもやアクロバティックな切断処理で自分の動揺を打ち消そうとしたけど。でも、これはしょうがない。ああいう「攻撃」受けたら、まず最初にするのは「防御」。

でも、そのうち、落ち着いたら微妙な変化が起こるかも・・・って思うのは甘すぎ?(そういう変化を妨害するのがコメントスクラムのような「つるし上げ」なので非常に残念。さらなる憎悪しか生み出さない。)
 
一応、拉致被害者や被害者家族の境遇を、他者を思いやる感受性はあるわけだし。たとえ、日本人という自分の属性のためだけだったとしても。




話ちょっと変わって、アメリカで「ホテル・ルワンダ」が爆発的に広がった(?って話だよね)のはなぜだろう。もちろん、「スーパーパワー」「世界の警察官」であるアメリカの市民って自覚もあるだろう。

(「ホテル・ルワンダ」を観た日本人には、「欧米や白人」の身勝手や人種差別を嘆くけど、日本や日本人の問題として捉えないってところもあるかも。日本にはどうこうする物理的な能力はないけど、日本はやっぱ大国なんだし、欧米先進国と同じくらいの責任はある。と思う。)

だけど、「ホテル・ルワンダ」を観てるときに思ったのは、「ああ、アメリカ人ってのはこういうのをよく知ってるんだ。他人事じゃないんだ」。

数十年前までは似たようなことがあった(今でもか)。民族浄化や大量虐殺まではいってないけど(だから「アメリカで起こったことは別だ!」と「切断処理」も可能)、ツチ族が感じたであろう「恐怖」や「無力」を知ってる。映画で描かれた「緊張感」を体験してる。レイシズムに直面したときの「やるせなさ」や「悔しさ」をよく知ってる。

↑で、「どこに同じものを見るか」にちょっと触れたけど、アメリカ人は「ホテル・ルワンダ」を観ながら、自分たちの経験を思い出し振り返ったんだと思う。

(というか、こういう「恐怖感」や「無力感」や「やるせなさ」や「悔しさ」はすべての差別や迫害に当てはまる。一番こういうのに無縁で鈍感なのは、先進国でマジョリティの立場をエンジョイしてる男性だろう(いみじくも、「あの人」が「若い女は優遇されてるとかいうけど、やっぱ、か弱い立場なんだと思う」と言っている)。僕自身、身をもって体験したことがない。映画や本などメディアを通してしか知らない。他人事としか知らない。)


アメリカ人は、レイシズムによる、恐怖感や無力感、やるさなさや悔しさ、こういうものをマイノリティだけじゃなく、マジョリティの側も知ってるし、自分たちの問題として共有してきた経験がある。自分で体験したり目撃した人もいるし、映画などを通して自分のものとしてきた人もいる。

レイシズムを描いたいろいろな作品があるけど、映画「ミシシッピ・バーニング」なんかでもそういうのが描かれてる。黒人たちの恐怖感や無力感がひしひしと伝わってくる。観てるこっちは、めちゃくちゃ悔しいしやるせなくなる。


もちろん、アメリカにも、間違って「ホテル・ルワンダ」を観て動揺してしまい、アクロバティックに切断処理してるレイシストがいるかもしれない。欧州やオセアニアのネオナチさんにもそういう人がいるかもしれない。「ホテル・ルワンダ」だけじゃなくて、「ミシシッピ・バーニング」や「アメリカン・ヒストリーX」などの映画を観て、なんか感じて動揺して切断処理してる人は世界中にたくさんいるかも。それはそれで無駄じゃないかもと思う。


別に、「映画や表現が世界を変える!」なんてことはまったく思わない僕だけど、暴露して不快にさせ動揺させるってのは、映画や文章の持つ力でもあるし、創る人や書く人の役割でもあると思う。

つーかね、自分がひねくれもんだし、シニシズムいっぱいだし、やる気ねーし、あきらめちゃってる奴だとつくづく思うからこそ、そうじゃない人、もっと前向きな感性を持って、いろいろ実践してる人やものはやっぱ応援したい。「はしご外し」はしたくない。



つづき→「ホテル・ルワンダ」ネタ
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by mudaidesu | 2006-03-01 22:17 | 映画


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