東浩紀と北田暁大の嫌韓への言及をメモ


基本的には「95年以後の日本社会論を発信せよ」の話と同じなんだけど、や踏み込んでる。「論座」の文章読んだときに、「コミュニケーションそのものはそうだけど、実際にコンテンツが影響力持っちゃってるじゃん、それによって傷つく人もいるし」と思った。いや、東も「リアリズムの欠如」を憂いてるみたいなところはあったけど。

で、↓では、微妙にそういう問題意識はあるようで、ちょっとだけ触れてる。



東:

また別の話になりますが、ニューヨークを訪問したのは、嫌韓の記事がニューヨークタイムズの一面に載った*2直後でした。ですから、「嫌韓というのがヤバイらしいですね」と聞いてくるひとが何人かいました。たしかにヤバイ(笑)。ヤバイのですが、彼らと我々では、同じ「ヤバイ」でも意味が違うわけです。僕は、サイバーカスケードや繋がりの社会性―― connection-oriented sociality と英訳しましたが――が、嫌韓の背景にあると説明してきました。しかし外国から見ると、それは単なるヘイトスピーチです。「日本には韓国を嫌う人間がこんなに大勢いるのか。とんでもない」という話になってしまう。このように、形式的な繋がりが内容の主張として受け止められてしまうわけです。僕たちは、今後そういう誤解を解いていく必要がある。・・・


北田:
 
私も最近ソウル大学との共同遠隔講義*5があって、ちょうど東さんと同じようなことを感じました。以前書いた2ちゃんねる論を少々いじって話をしたのですが、嫌韓厨の話がどうしても出ざるを得なかった。結果的には「日本の若い人たちの間で、これだけ韓国嫌いが広まっているのか」という内容定位型の反応しか返ってきませんでした。語学力の問題もありますが、繋がりの社会性のような文脈はなかなか伝えられないと改めて感じたんですね。ただ詳しく話してみると、韓国にも似たような傾向はあるようです。多かれ少なかれ、そういった傾向は日本だけのものではない。日本の場合はなぜそんなにナショナリスティックな方向にいくときに盛り上がるのだろうかという疑問は残りますが、それは日本に特殊な現象でもないようです。


東:

ところで、リテラシーを高めるという観点から見ても、嫌韓厨の現象は面白いと思うんです。嫌韓そのものはカスケーディング現象です。しかし、日本国内でも、世代によってはcontent oriented(内容志向的)なコミュニケーションしか知りませんから、これを内容として捉えてしまう。たとえば右寄りの雑誌は、形式ではなく内容として嫌韓現象を見ます。アメリカや韓国から見たら当然そう見える。つまり、繋がりの社会性として生み出された結果が、まったく別の文脈からは単に内容として見られてしまい、大きな社会問題を起こしてしまう。こういう誤解は国内でも国外でも起きています。おそらく今後もこういう現象は起きてくるでしょう。そのときには、こうした現象のティピカル(典型的)なものとして、嫌韓の問題は位置づけられると思います。

これを阻止するためにはリテラシーの向上が役立つ。それはそうですが、と韓国やアメリカの人に対して2ちゃんねるのリテラシーを高めろといっても仕方がない(笑)。


北田:
 
東さんがおっしゃったことは、現実に起きているわけですね。高齢者向けの保守系メディアと、2ちゃんねる的なノリというものが、ほとんど利害は一致していないにも関わらず、なんとなく結びついてしまっているわけです。そのとき外に向けて2ちゃんねる的なリテラシーを持って覗いてくださいというのは、どう考えても無理な話です。教育したり説明したりして伝わるものでもないと思いますし、致し方がない。ただ、これがコンテンツに定位したまま伝わってしまうのは問題です。韓国やアメリカといった外部はそうとしか受け止めてくれないのであれば、その説明責任はどんな人が負っていくのでしょうか。


東:
 
誰かが説明しないとまずい。北田さんにも担っていただきたいものです(笑)。

ただ、たとえ説明したとしても完全に伝えるのは難しいでしょうね。北田さんや僕の本が翻訳され、それ以前の日本の消費社会の特徴が知られているのであれば、まだ説明できるかもしれませんが、現状では完全に何の手がかりもない。そこで、よくも出来ない英語で30分以内に説明しろといわれても無理な話です。とはいえ、嫌韓はいまや国際的な問題だし、これからこういう現象は次々に起きるだろうという感覚もある。繋がりの社会性の現れが別の文脈に移植されてしまうといった問題は、今後も頻発するに違いない。そのとき、どうすればいいのか。国内に限れば、保守系雑誌のリテラシーを高めればいいだけなのかもしれない。しかし、ネットは世界中に繋がっている。それだけでは限界があるわけです。

http://ised.glocom.jp/ised/12091210



高木:
 
嫌韓のことはあまり詳しくはないのですが、どんどん広がっていると思います。ただこれは必ずしも本気で思っている人たちばかりではなくて、あるときは嫌韓的な発言を2ちゃんねるで行い、mixiでは全然そういうことには興味がないかのように振舞う人がいるということです。こうなったひとつの背景には、日本社会では「マスメディアが情報を強くコントロールしている」という不信感が非常に強いことがあると思います。だからあれだけ嫌韓が盛り上がり、「自分はだまされていたのではないか」と興味を持つ人が増えていく。そのようなマスコミ不信現象に過ぎないのではないかという気がします。国やマスコミが情報を隠すことなく、フラットにあらゆる意見を平等に出していれば、嫌韓のような現象は起きなかったのではないでしょうか。


東:

それは分かります。朝日・岩波的な価値観は戦後日本社会では、あまりにも長く支配的だった。それに対する解毒剤として、2ちゃんねるの果たした役割は大きいと思う。それはまったく否定するつもりはありません。しかし、いまの嫌韓には、最初にあったそのようなチェック機能は少なくなっているんじゃないでしょうか。途中からは単にカスケード的に大きくなっているだけではないか。

たとえば、ベストセラーになった『マンガ嫌韓流』(山野車輪 著、晋遊舎、2005年 asin:488380478X)がありますね。ニューヨークタイムズで記事になったのもあれがきっかけなんですが、僕は『論座』のコラム(2005年10月号)のために小林よしのりの新刊も同時に読んだんです*3。しかし、実際読んでみると、小林よしのりははるかにまともで真剣である(笑)。その理由は簡単で、小林よしのりの方が色々調べているからなんですよ。文献も読んでるし、当事者の話も聞いている。日本の国益も真面目に考えている。それに対して、『嫌韓流』はネット上のソースが一次資料なんです。


東:
 
そう。『マンガ嫌韓流』の作者は、本当の意味では韓国に関心なんて持っていないんじゃないか、と僕が思うのはそのためです。「韓国について語っている日本のサイト」に関心を持っている人でしかない。繋がりの社会性というとき、僕はここに問題の本質があると思う。

僕は『論座』で「嫌韓厨は外交に関心がない」と書いたのですが、「いや、おれたち関心あるよ」と反応している人がいました。しかし、僕の思うに、彼らは「外交について書いてある日本のウェブサイトに関心がある」だけなんですよ。外交そのものに関心があるわけではない。政治問題で、本当の意味での一次資料にあたるのはかなり難しい。朝日新聞の政治欄を読んでコメントを言うだけなら、僕でもできる。それはいわゆる床屋談義であって、本当の意味で政治について語ることとは違う。それに対して小林よしのりは、朝日・岩波的な価値観や、政治的な情報コントロールの虚妄を突くということを意識的にやろうとしていた人ですね。だから小林よしのりは、一次ソースに数多くあたっているわけです。

いまの嫌韓厨は、二次・三次・四次のソースを見ているだけでしょう。それは2ちゃんねるの持つチェック機能の延長線上とは考えにくいんです。むしろ現在の嫌韓は、リンクや引用がたやすいネットというシステムが生み出してしまった現象ではないか。日本では昔から、とにかくこういうメタコミュニケーションというか、プチ批評みたいなものが育ちやすいと言われているのですが、ネットがそのうまい受け皿になっている。


北田:

嫌韓には、本当にその歴史観が正しいかどうかは別にして、最初のうちはマスコミに対する相当の対抗意識があったのかもしれない。しかし、いま『嫌韓流』を読んで喜んでいるような中高生ぐらいの子には、まったくマスコミに対する意識はないと思います。そういうものとは切れたところで、ただ自動的になんとなく繋がっているような気がするんです。あのマンガは加野瀬さんも言うとおり、まとめサイトにすぎない。およそ新しい知をもたらすようなものではない。ネットですでに知っている人が、もう一度それをまとめサイトで見ているようなノリを感じましたね。


東:
 
まさしくそうでしょう。


加野瀬:
 
あれだけの部数が出たら、それ以上の声が届いていると思いますね。


東:

将棋倒し的に広がってしまう。


加野瀬:

それが、政治現象になってしまう。


東:
 
そうなんですよねえ……。
いや、ため息をついている場合ではなかった(笑)。


http://ised.glocom.jp/ised/12101210
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by mudaidesu | 2006-03-31 22:01 |


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