「白バラの祈り」のコメント欄での村野瀬玲奈さんとのやりとりから思い出したこと。「いわゆる保守」の方々のモラルについて。「日本人の美徳」をしつこく信じる「真の保守」な僕(笑)が思ったこと。 まあ、自国を免罪するためのそういう言説(屁理屈)ってのは誠実じゃないですね。西尾幹二さんなんかも、戦後のドイツをボロクソ言ってますよね。他者(元同盟国!)を貶めて、自分は開き直るってのは日本人の美徳に反します(笑)。・・・ とか書いた。 ときたま、僕はムリヤリ「日本人の美徳」みたいなこと書いてる。↓ 一応、僕は「日本人の美徳」をまだ信じてるから。やさしさとか寛容さとか。思いやりとか。我慢とか忍耐とか正々堂々とか。ほとんどの日本人はそういう美徳を体現してると信じてるから。 ↑はなんか半泣き状態だけど(笑)。 日本の心と知性を代表する保守論壇の方々には、他者への愛情や寛容の精神のあふれる言葉・文章で、靖国論・日本論を語ってほしいです。そういうのが、我々が誇る日本人の美徳でしょう。保守論壇こそがその心・美徳を継承し体現すべきでしょう。 ちなみに、以前こんなのこともちょっと書いた。↓ A君が近所のB君C君をいじめました。 「いわゆる保守」の方々は戦中のドイツも戦後のドイツもボロクソ言う。それも、日本を正当化するために。自分に優しく他人に厳しい。他者を検証する際には、異様なまでに厳しいスタンダード課したり。はやい話がダブスタすぎってことなんだけど。 ご都合主義、って言ったら、なんだかかわいいし、不思議と愛着もわいてくるんだけど。ご都合主義ってのは人間の魅力でもあるし。厳格なロジックでガチガチみたいなのは味気ないし。血通ってんのかよってかんじで。 戦後のドイツを誉めたり擁護するような言説はいくらでもある。 けど、ナチス・ドイツを擁護する言説なんてほとんどない。あっても国際社会では相手にされない。けど、「とりあえず」のluxemburgさんはこんなこと書いてる。↓ もちろん人によって感じ方は違うのだろうけど、まず第一に私はナチスに対しては非常に同情的、というのが前提にある。1兆パーセントといわれるインフレ、第一次世界大戦についてはドイツだけが悪いわけではないのに、考えられないほどの賠償金、その上、工業地帯に外国軍隊が侵攻してきて略奪する、そんな事態で冷静さを保てというほうが酷である。そこに福祉、健康、都市政策でそれなりの実績を上げるヒトラーが出てきたら、それがリーダーだと思うのはある程度同情できる。 luxemburgさんがナチスを擁護(?)できるんだから、大日本帝国を擁護する人なら、同盟国である、共に戦った友であるナチス・ドイツも擁護してみたらどうかと。「あえて」でいいから。 「あえて戦友を擁護する。それが戦友への、旧友への礼儀だ」みたいな心情はないのかと。お互い国際政治の不正義や不公平に怒り、それを打破するために、正すために、同盟を結び共に戦ったはずじゃないかと。忘れちまったのかと。共に、新世界秩序を夢見たんじゃないかと。王道楽土を。 戦友を貶めて、自己をマシに見せようとするなんてセコすぎじゃないかと。国際社会のナチ断罪の言説をそのまま利用して戦友を貶めておきながら、同じ文脈でなされる日本批判は受け入れないってのはセコイ。美しくない。保守のモラルはそれを許すのかと。 ダブスタとかそういう冷たいロジックの話はもういい。心情やモラルの問題。心意気の問題。美徳の話。「いわゆる保守」のモラルはセコすぎる。国際社会でボロボロにされても、戦友を「あえて」守る気概を見せてみろと。そうしてこそ、大日本帝国も共に擁護する資格を持てるのではないかと。 中韓や戦友まで貶めて、それをテコにして自分だけを擁護し逃げるってのはセコすぎ。おまけに、戦友の戦中だけじゃなくて、戦友の戦後まで貶めるなんて信じらんない。傷心の戦友にムチ打つなんて。そんなやり方、誇れません。「日本人の美徳」を信じる人間としては納得できません。 その点、西部邁さん(よく知らんけど)はアリな気がする。この人はあまりアジアを貶めない。反米右翼的だからかな。反米右翼的な人って、西洋人(優秀)>日本人(そこそこ優秀)>アジア人(劣等・野蛮)みたいなレイシスト的なところがあまりないよね(あまりね。あまり)。 アジア主義的なところがあるのかな。アジアは劣等野蛮で嫌だから西洋の仲間にして!ってノリじゃなくて、アジアで団結して西洋と闘おうみたいなノリ。(あれ?それって昔の日本?なら「いわゆる保守」もそれを継承・貫徹してみたらどうかと。心意気だけでも。) 西部さんの語り口って、アジアへの責任を認めながら、アジアへはすまんなあと思いながらも、でも言わせてくれよぉ、こっちにも言い分はあるんだよぉ、みたいな謙虚なかんじがする。弟子のよしりんにも見習ってほしい。 まあ、保守ってのは、「我々」至上主義ってところがあるのはいまさらの話なんだけど。好意的に解釈すれば、「自己愛過剰の自己中野郎」ってより「家族(我々の共同体)第一のお父さん」ってことなんだろうけど。 こっちとしては、「父ちゃん、あんまみっともないことすんなよ。いいって、そこまでしなくて。他人の文句ばっか言っちゃやだよ。いつまで言ってんだよ。こっちが恥ずかしいよ。ホドホドにしてくれよ、父ちゃん。シャキっとしてくれよ。ねえ、父ちゃん。」なんだけど。 というか、日本が息子だとすると、息子が親友とイジメみたいなオイタしちゃったってかんじかな。で、息子を擁護するために、イジメられた方だけじゃなくて、息子の親友まで貶めちゃったり。 「イジメられる方が悪い。というか、イジメじゃない。みんなのためを思って息子はやった」とか「うちの息子は悪くない。息子の友だちの方がずっと悪い。おまけに、友だちなんか、反省してるふりしてるけど、インチキだ」とか言っちゃって。↑のAだのXだのと同じ話だけど。 もういいよ、父ちゃん。ホドホドにしてくれよ。 いや、加害者の親がこんなこと言ったら、「いわゆる保守」の方々はご立腹だろうけど。 親まで「打ち首・獄門にしろ」とか言いそうだけど。 まあ、西尾さんなんかは自覚してて、「あえて」やってるみたいなところがあるような気がするけど。 というか、僕が盲目になって妄想しまくってて、「日本人は美しいのである」と思い込んでるだけかもしれないけど。日本人を「美化」しすぎちゃってるだけかもしれない。 でも、この思い込みは、僕の「実感」や「経験」に基いてる。まさに「保守の僕」が「保守の奥義」によって到達した思想(笑)。社会科学的検証などどうでもいい。左翼だのリベラルの手法なんてクソクラエ。僕って、もともとロジカルな人じゃないし。感性でテキトーにってタイプだし。 僕の「実感」や「経験」からすると、日本人にはいい人が多い。「普遍的」にいい人かどうかはわからんけど、んな気もする。少なくとも、日本人にとっていい人は日本人に多い(って当たり前か?)。日本人同士、波長が合うのは当たり前かもしれないけど、いい人、ってのが多いはず。 多くの日本人は「いわゆる保守」の方々のようにセコくない。「日本人の美徳」を体現してる。 はっきり言って、「いわゆる保守」の方々は日本人らしくない。 なぜって、それは、僕がそう感じ、そう思うからである。 僕って、「保守の真髄」を会得してる気がしてきた。って、気のせい?
by mudaidesu
| 2006-04-12 22:45
| ナショナリズム
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