ミュンヘン 2  政治性とのつきあい


「ミュンヘン」とか宗教右派とか他のこととかのつづき。頂いたコメントへのコメントとして。

コメント頂いたryoddaさんの「ミュンヘン」についての文章は↓。

奴らに深き眠りを@ミュンヘン

マジですばらしい。最高。コメントでも書いたんだけど、あの映画からここまで抽出してくるなんて感嘆しきり。ほんとにオレは同じ映画を観たのかよ、と思っちゃうくらい。オレはいったい何を観てたのかと。何を考えてたのかと。自分の浅さを痛感しまくり。




で、やり取りの流れは、「ミュンヘン」とか宗教右派とか他のこととかのコメント欄をどうぞ。


いや、映画批評について真面目に考えたこともなければ、スピルバーグの作品について語るほど、彼の作品を真剣に観たこともないし、彼の作品についての文章もほとんど読んだこともないし、というか、この映画はだいぶ前に観たんであんまり覚えてないし、正直、偉そうに語る資格はないと思うんだけど、ま、気にせずに(笑)。





『「社会的・政治的な見方」をされるのは、それはそれで構わないと思うのですが、よく分からないのは「なぜ観客に事実を伝えないのか」、正確には「なぜ事実を伝えた上でアブナーの回想が事実でないことを示さないのか」というご指摘です。』


まずは、素朴に、観客があれを「事実」と受け取っちゃったらマズイんじゃないかなあ、って思いがあります。やっぱり、パレスチナ問題は現在の国際政治においては最重要問題、とまでは言いませんけど、めちゃくちゃいろんな問題に影響のあるイシューですよね。

パレスチナ問題、イラク問題、テロ問題、イラン問題、イスラム問題、そういうのすべてに関わってくると思うんで。まさに、世界政治の最前線のネタかと。21世紀の世界を占う意味でも。人類の未来を占う意味でも(笑)。イデオロギー闘争がもっとも激しいネタかなと。


映画の影響というのはバカにできないと思うんです。他者や自己のイメージ形成において。

だから、オリエンタリズム的な描写については、常に厳しく見ていく必要があると思ってるんで。(ついでに、この「オリエンタリズム」を書いたのはアメリカの大学で教えていたパレスチナ人です。)




あと、私としては、その「なぜ」を素朴に知りたいなあと。



《[9.11以降]政治家がリベラルな価値観を 代弁しないから[映画作家が]自分を代弁しようとしている》(『ニューズウ ィーク』06年3月1日号) 

故意に政治的に不適切な映画『ミュンヘン』を撮るスピルバーグ監督に、「パ トリオットとしての自己形成」が必然的に「社会的な辻褄の合わなさ」を伴う という「実話」を見る


これは読まれたそうですが、スピルバーグが↑のようなことを言ってるようですよね。

これって、自分を含めた映画作家が持ってる「リベラルな価値観」を政治家が代弁してくれないから、自分たち映画作家が自分たち自身で、自分たちの持ってる「リベラルな価値観」を表現しようとしてる、って意味ですよね。

で、この「リベラルな価値観」ってのは、「ミュンヘン」においては、↑(前記事コメント欄)で書いた「アメリカ&イスラエル批判」のことだと思うんですが、それなのに「なぜよ?」ってかんじなんです。



宿でバッティングしたパレスチナ人活動家に「パレスチナ人の思い」を説得的に語らせて、「なんだよ、パレスチナ人って、昔のユダヤ人と同じ境遇じゃん」と当たり前のことを観客に示そうとしたり、暗殺されるパレスチナ人は普通のオッサンだったり、娘のいるお父さんだったり(モンスターじゃなくて)ってことを示したり、こういうのって当たり前の話なんですが、アメリカでは「リベラルな価値観」になっちゃうんです。

他にも、「ツインタワー」とかいろいろありますが、こういうのを「あえて」スピルバーグはやってるわけで、自分から「政治的」な空間に映画を投下してると言えるんじゃないかと。


というか、世界政治最前線のネタで、世界的なイデオロギー闘争が最も激しく行なわれてるネタで、ますます混迷を深めさらなる悲劇の予感のする問題を、ホロコーストの映画を撮ったユダヤ人&アメリカ人の超大物監督が、パレスチナ問題を描くってことは、それ自体もう「政治的」ですし。

それにも関わらず、「なぜよ?」って気がするんですよね。なんか意図があんの?と。


他にも意識的か無意識かはわかりませんが、「イスラエル寄り」の描写がたくさんあります。

というか、また、ふと↑(前エントリー)で書いた「断絶」を思い出したんですが、「アメリカ&イスラエル批判&パレスチナ人への同情」ってのは、ほんとにわかりやすい形で描かれているのに(安易すぎで逆に興ざめでした)、「イスラエル寄り」の部分は、そこまであからさまではないんですよね。

これって、ひょっとしたら無自覚なんじゃないかと。そうだったら、まさに「断絶」だなあと。






『これに対して、「事実なんかどうでもいい」という答えではダメでしょうか?』


全然いいと思いますよ(笑)。普段の私の映画の観方もそうですし(笑)。ただ、この映画に関しては私はこういう観方をしちゃったんで、私はそうは言わないだけです(笑)。


というか、↑(前エントリー)でも書いたんですが、どうも私はこの映画を楽しめなかったんです(笑)。「政治的」に気に入らないからじゃなくて、ただ映画として楽しめなかったんです(笑)。だからこそ、この映画の「政治的」な部分が気になったというか、そういう観方しかできなかったんです。

「政治的」にはもっと酷くても、私が楽しめたり好きな映画はたくさんありますし。

「ランボー2」なんかその典型でしょうか。すごい好きです。

「ナチュラル・ボーン・キラーズ」なんかは、「政治性」が嫌いって人もいます。それも二種類。「安易なメディア批判がうざい」って人と、「暴力をかっこよく描きすぎ」って人が。どっちもわかるんですが、私としては、そういうのは気にならなくて、ただただおもしろくて好きってかんじです(笑)。



まあ、とにかく、私はスピルバーグが理解できない人みたいなんです(笑)。私の感性の問題だと思います。だからこそ、ryoddaさんの文章にやたらと感激してしまいました。自分がまったく理解できないものを、あそこまで言語化してしまうなんてすごすぎ、と(笑)。






『映画から事実(歴史)を学ぼうとするのも間違いだと思います』『重要なのは「どのような視点で世界を観るか、またそれをどう提示していくか」だと思うからです』


まったくそのとおりだと思います(笑)。

↑(前エントリー)でリンクした「マル激『5金』映画特集」でもそういう話がされてます。やっぱり、映画は「人物物語」で「事実や歴史」を描くことが多いから(観客を楽しませるために)、単純化しちゃうし、背景なんて描ききれないし、いろんなものを削っちゃうと。「ある断面」を描くのが映画だと。

ただ、こういう前提ってそんなに共有されてないですよね。映画じゃないけど、司馬遼太郎小説で歴史を理解しようとしちゃったり(いや、私は歴史に弱いんで偉そうなこと言えないですけど(笑))。

だからこそ、「そこはおかしい」みたいな批判も大切かなと。そういうのは粋じゃないとも言えますが、やっぱり、↑(コメント欄)で書いたように、映画は社会的で政治的なものだと思いますし。



それに、あえて政治的な観方をしないってこと自体も、非常に「政治的」と言えるかもしれません。政治的な局面で、あえて「政治的発言をしない」ってことは、実はめちゃくちゃ「政治的」なように。

(ってなことを、イラク人質問題で、人質家族に向けられた「政治的発言をするな」という批判について思いました。あんな「超政治的局面」で当事者が何を言っても「政治的」だし、何も言わないとしたらそれこそ「政治的」だと。もちろん、余程のこと以外、何を発言しようと当事者の自由ですけど。)


アメリカ人やイスラエル人やパレスチナ人やアラブ人だったら、この映画を「政治的」に観ないのはほぼ不可能ですよね。「政治的に観ない」って選択は当然ありえますけど、あえてそれをしたら、この映画の「政治性」を無視したら、それこそ「政治的」な選択であり「政治的」な振る舞いですよね。





『『ミュンヘン』は基本的に、善なる男たちが悪漢を皆殺しにし、血が水のようにあふれかえる、アメリカ製西部劇以外の何ものでもない。(「パラダイス・ナウ」と「ミュンヘン」から


『これの何が悪いのかと。』


私も「悪い」とは思いません(笑)。映画(表現)はとにかく何かを描かなきゃならないわけですから、一度描けば、どっかしらからはケチつきますし、それ自体はしょうがないし、当たり前のことなので、いかなる描写や表現をしようとも、「悪い」とは思いません。

映画や文化表現を語る際、「ポリティカル・コネクトネス」みたいな発想をするのは、基本的には嫌いな私ですし(笑)。基本的には。その割にはうるさいですが(笑)。


(あからさまなレイシストが、あからさまにレイシスト表現をして、レイシズムを宣伝するような作品だったらさすがに「悪い」と思いますけど。余程、「芸術的」に優れてると私が感じないかぎりは。)


ただ、こういうところにこの「ミュンヘン」の「政治性」があるわけで、「政治的」になんか言われるのはしょうがないかと(笑)。しかも、このアブネリは50年間もイスラエルで国会議員やってたほどの「政治的」な人ですし(笑)。

それに、この人は元シオニストで、戦争にも参加してるようですから、自分の手で、パレスチナ人たちを殺してきた人でしょうし。そういう人だからこそかと。そういうアブネリだからこそ、↑のようなことを書く義務や責任もあると思います。


というか、↑で書いたように、こういう「政治性」を無視しちゃったら、それはそれこそ「政治的」かなと。アブネリがこういう「政治性」を無視しちゃったら、それこそ責任放棄だし、逆にものすごい「政治性」を持ってしまうと思います。




そういえば、「英雄の条件」というハリウッド映画があります。ちょうどGYAOで観れます

この映画では、アラブ人の描写のされ方がめちゃくちゃ酷いんです。「ミュンヘン」どころのさわぎじゃないです。というか、次元が違います。GYAOによると、話はこんなかんじです。↓


部下を守るため、一般市民に向かって発砲した男の有罪、無罪を問う緊迫の軍事裁判ドラマ。戦争や、極限状態における“殺人”の意義を観客に問いかける問題作です。・・・

中東イエメンでアメリカ・ムーラン大使館が、大規模なデモ隊に包囲された。ムーラン大使家族の救出作戦は、チルダーズ大佐(サミュエル・L・ジャクソン)により成功。しかし、デモ隊への銃撃によって80人以上の一般市民の死傷者が出てしまった。大佐は国際世論からの非難を浴び、交戦規定に違反した容疑で軍事裁判にかけられる。かつての戦友、ホッジス(トミー・リー・ジョーンズ)は、大佐の無実を信じ弁護をすることになるが…。



で、ネタバレしちゃいますが、結局、デモが平和的なのか超攻撃的なのかは裁判ではわからず、「疑わしきは罰せず」で(推定)無罪になります(「英雄」への同情信頼もありますが)。

でも、映画の観客は「事実」を知らされて、デモ隊は実は銃で総攻撃してきてて、それに反撃して皆殺しにしたのは当然の行為だろう、って印象に誘導されます。


で、まあ、そのストーリーと細かい話の妥当性はおいておきますが(ツッコミ出したらキリないんで)、この映画でのアラブ人の描き方が酷いんです。

デモ隊のアラブ人たちは一般人で、女性も子供もたくさんいました。で、男性も女性も老人も子供も銃で狂ったように攻撃してくるモンスターとして描かれてます。こんな連中をぶち殺すのは当然だ、ってかんじです。皆殺しは正義だと。



で、私はこの映画を、アメリカ人とパレスチナ人の子と一緒に観に行ったんです。「アラブ人が描かれてる映画」なんで、どんなかんじかなと。まあ、映画自体はそれなりに楽しめたんですが、当事者二人を前にして、この映画の「政治性」と「オリエンタリズム」を無視して、なかなか楽しめた、なんて言いづらかったです。


2人とも仲の良い友だちだし、皮肉も嫌味もなんでも理解する人たちですが、それでも私はちょっと気にしちゃいました。2人とも、ひどい描写だね、って笑ってましたけど、それでも。やっぱり、当事者たちを前にするとキツイです。彼女たちの本音はわかりませんし。


パレスチナ人の子にとっては、そういう描写は一応想定内でしょうけど、アメリカに来て数ヶ月しか経ってませんでしたし、やっぱり本音では、アラブ人としてキツイと感じたと思います。

笑い飛ばしてましたけど、一緒に観たアメリカ人の子に気を使ってたのかなあと。アメリカ人としては、「アホな描写でごめんね(涙)」でしょうから、「気にしてないから大丈夫だって(笑)」ってかんじで。まあ、2人ともツライと思います。


で、その後、この2人はガンガン酔っぱっらってました(ろくでもないイスラム教徒です)。普段、、このパレスチナ人の子は「イスラム教徒のはしくれ」だからとかいって、酒は少ししか飲まない人なのに(というか、ゼロにしろよってかんじですが)。やっぱり傷ついたのかなあと。

こういうアラブ人のイメージが特異な例なら、それはそれで消化しやすいんでしょうけど、こういうのが普通のアメリカ人の一般的なアラブ人イメージなのはたしかなので(だから「ミュンヘン」がリベラルになる)、それを考えると憂鬱だろうなあと。



って、話がだいぶズレちゃったんですが、やっぱり、こういう問題がからんだ映画なら、「政治性」を無視するわけにはいかないなあ、と私はつくづく思いました。




あと、ある映画について言及するってことは、その映画評ってだけじゃなくて、その映画と映画の周辺の様々なことについてなんか言う、ってところもありますよね。ryoddaさんのように、その映画に集中して論じる方法もありますけど、そうじゃない論じ方もあると思います。

そういう意味で、↑のアブネリはアブネリなりの立場と思想から、この映画と映画の影響とかそういうことに言及してるのだと思います。



まあ、私は前からこういう問題に思い入れが特にあるし、パレスチナ人やユダヤ人の知り合いもけっこういたんで(前エントリーで書いたように、特にパレスチナ人たちとはこういう話をたくさんしました)、やっぱり、「ミュンヘン」もこういう観方になっちゃうんですよねえ。

おまけに私はスピルバーグを理解しない人みたいなんで、こういう観方に特化しちゃう(笑)。




まあ、この映画だけじゃなくて、芸術などの表現には、どんなものでも、「政治性」がどっかしらにはあると思います。水戸黄門でも。


思い出したのが日本の「水戸黄門」とか「遠山の金さん」とか「あばれんぼう将軍」とかです。いや、おもしろいんですけど、やっぱり、「お上」や「体制」を信用しきっちゃってるというかなんというか。それとも、実際は違うけど、「お上」や「体制」はこうであってほしいっていう庶民のささやかな願いが込められてるのでしょうか(笑)。そして、その逆説が忘れ去られてストレートに受け取っちゃってるんでしょうか。

白バラの祈りのコメント欄


とか書いたんですが。

まあ、私としては、おもしろければそれでいい、自分好みの映像だったらそれでいい、みたいなこと思ってたりしますけど、「政治性」を完全スルーしたくはないなと。


↑で書いたように、「ランボー2」は大好きなんですが、「政治性」という面では酷いかなと。といっても、ハリウッド映画としては普通ですけど。いまさらですが、ベトナム人男性と白人男性と恋に落ちるベトナム人女性の描き方の違いとか。典型的なオリエンタリズム。


違う政治的観方もあるかと。スタローンは右翼だと思いますが、この映画では、右翼的な視点から、アメリカ政府への異議申し立て(「ランボー1」でも)をします。右翼だからこそ反政府的。

この点に関しては、私は文句ないんですが、この「政治性」が問題だって人もいるかもしれません。ベトナム人の描き方は気にならなくても、反政府的な描き方を問題視する人もいるかもしれない。




ミシシッピー・バーニング」なんかはまた違う印象で、映画の政治的な部分はすばらしいと思うし、映画自体もすばらしいと思うし、大好きなんですが、やっぱり気になるところがあるんです。


理想に燃え、黒人蔑視差別を憎むFBI捜査官(善)が、最後に無茶な(違法な)捜査やって白人至上主義者(悪)たちを追い詰めるんです。ここもこの映画の「政治性」で、悪を倒すためには、善が悪の人権を軽視するのもしかたがないし、むしろ歓迎すべきことだ、って話にならないわけでもない。

公権力が、憲法の理念(人権擁護)のために、憲法を破るのもしかたがない、みたいなことにもなりかねない。それはナシって宣言こそが憲法なはずなのに。公権力がいつも「善」ならまだいいですが、そうじゃないからこそ、公権力を縛るために憲法ができたのに。


エンターテインメント作品では、無茶な捜査なんて当たり前ですし、だからこそ痛快なんですが、「ミシシッピー・バーニング」は「社会派」とか「問題作」とか言われるような作品ですし、実際、社会に対して告発する目的で作られたような映画ですよね。

だからこそ、あえてやってるならいいけど、どのくらい自覚してんだろう、と気になったり。ついでに、この映画も一応、「実話」から作った映画なんですよね。



あ、こんな映画のことも思い出しました(笑)。→ザ・伝説 すばらしきニッポンネタ映画





『それを視覚的に体験させることが、映画の役目だと自分は今も信じています』


それにはまったく異論ありません(笑)。

私も映画好きですし、それを楽しんだり味わったりしてます。それに普段映画を観るときは、政治性がどうとかほとんど考えないです。映画の好き嫌いに政治性なんて関係ありません(笑)。

ただ、映画についてなんか書くときは、あえてそういう視点からにしたいなと。





『まあ以前からその傾向はありましたが、最近はもう完全に開き直ってます。挙句、「事実がどうでもよくなった人たち」の映画を作るようになった。・・・アブナーの苦悩も、復讐がどうこうというものではなく、「知りもしない出来事を、自分の都合のいいように記憶してしまった自分」に対しての苦悩だと思います。』


スピルバーグ作品は、一応そこそこ観てるんですが、ちゃんと考えて観てない私には、そこまで語る資格が実はなかったりもするんですよね(笑)。


気になったのは、映画の最初(公式サイトやポスターでも)に「この映画は事実に基いた物語である」と日本語で出ますよね。この日本語の意味って「事実の通り」に近いですよね。

でも、英語では「inspired by true events」になってたんです。

日本語にすると「事実にインスパイアーされて、事実に影響を受けて、事実に触発されて(主観的に)物語を作った」的かなと。「事実の通り」ってときには「based on true events」かなと。


意図的なのかわかりませんが、この日本語は良くないなあと思いました。日本側の問題ですが(笑)。というか、ちゃんと「inspired by」としてるスピルバーグはある意味、誠実ですけど(笑)。


というか、やっぱ、観る側の責任ですかね(笑)。「inspired by」だっつってのに、ってかんじでしょうか。スピルバーグとしては。んーん、やっぱり、日本語の表現は良くないですね(笑)。

いや、映画はもちろん、ドキュメンタリーでも「主観」なのは当然なんですが。
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by mudaidesu | 2006-04-20 23:59 | 映画


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