愛国心だのナショナリズムだのにこだわってるなら、この映画を観なきゃお話にならない。 ってのは嘘。 だけど、半分ほんと。 てか、愛国心だのナショナリズムだの天下国家の話もいいけど、やっぱ、こういう素朴な話の方がほんとは好きだし。素朴なこと忘れちゃったら天下国家の話もできないし。まあ、ネットでなんか書くなら、ルサンチマン爆発させるなら、天下国家の話だけど、それはあくまで「ネット人格」なわけで。 まさに、ルサンチマンマン・スーパーナショナリストなネット人格。 「好きだ、」 公式サイト 予告編(公式にもあるけど)、インタビュー、映画館情報など(関東以外も探せる)。 行ってきたのは、渋谷の最終日だったみたい。 で、この映画はなかなかよかった。期待してなかったってのもあるけど。全然予想と違った。「いま、会いに行きます」的な純愛映画を想像してしまってたから。あんまりそういうのは、「泣かせてやる泣かせてやる」みたいなかんじでギラギラギトギトしてるのは、観てらんない。 「いま会い」は物語の素材自体はなかなか魅力的だと思うから、料理の仕方によっては、僕好みの作品にはできたと思う。って、僕のために映画つくる人はいないけど。ついでに、「いま会い」は絵もつまらなかったんだよねえ。全然つまらなかった。どきっとするようなシーンは皆無だった。 ま、その話はどうでもいいんだけど。 つか、予告みれば、「好きだ、」が「いま会い」系じゃないってのは一応わかるんだけど(笑)。予告みれば、どんな映画かそこそこわかるかな。そこそこね。予告編はあくまで、動員戦略の一環だし。 ま、なんかみょーな先入観があったみたい。 「いま会い」みたいなのを想像してしまった理由は、やっぱ、タイトル。タイトルやばい。 「好きだ」ってなんだよと。やっぱ誤解しちゃう。 でも、実は適切だったり。ここはジレンマ。そこで、「、」かな。「好きだ、」の「、」。 「好きだ」となかなか言えない、って話なんだろうけど、その切なさとかやるせなさみたいなのは、そんなに描けてなかったと思う。好きだ好きだって描写もなかったし、言えない言えないって描写も別になかった。あくまで「描写」はね。そういうシーンはなかった。 あったとしても一つだけ。シーンは一つだけなんだけど、もし仮に、映画では描写されてないところでもそういうのがなくて(意味わかる?)、ほんとうにその一つだけしかそういうのが、「言いたいけど言えない局面」が一つしかなかったなら、それはそこまで切ないことではないのではと。 宮崎あおいは、一打席勝負の代打屋、みたいな立場じゃなかったし。 その分、浅い映画になっちゃったのかなと。でも、その浅さは悪くない。しつこくないし、わざとらしくもない映画になってるから。さらっとしてていいかんじ。心地よい。 予想してたのは、好きだ好きだ、ってのがよ~くわかる描き方だったんだけど、全然そうじゃなかったし、おまけに、一途で真っ直ぐな思いが控えめに描かれているってわけでもなかった。 なんだかよくわかんない、自分の気持ちもはっきりしない、何がしたいのかもよくわからない、ってふらふらしてるってかんじが描かれてたような。というか、おまえはほんとに好きなのかと、ってかんじ。いや、まあ、それはそれで切ないんだろうけど。 いや、気になるからこそ、逆にふらふらしちゃうんだろうけど。 嫌味っぽく、お姉さんの話を振ってしまったり。 「好きだ光線」を出してはみたものの、あさっての方向に飛んでたり。 相手が鈍いんだか、ふらふらしてんだか、なんだかんだでわからんけど、スルーされちゃったり。 ま、そういう描き方が、しつこくなくてよかった。ギラギラベタベタしてなくて。 微妙な描き方がよかった。こっちの想像と感性におまかせってかんじで。 ついでに、話がしつこくないから、映画のつくりが気になった。というか、上手かった。17年前は徹底的に宮崎(女)中心、17年後は西島(男)中心。17年前は田舎、17年後は都市。この対比もしつこすぎないのがまたいいかんじ。 というか、一度の機会(映画の中では)で、自分からチューしたんだから、宮崎としては十分じゃないの、「好き」と言わんでもいいんじゃないの、とか思うけど。あれ以上、どうしろと。十分、ガッツを出したと思う。というか、あの状況で、もう一押ししたら、それはそれでどうかと。 ま、とにかく静かな映画。 過剰なところがほとんどない。 ところで、監督だけど、二作目らしい。で、一作目観てないけど、たぶん、これ以上は望めないような気がする。うまいいしきれいなんだけど、なんか大事なものが足りないような。いわゆる作家性というかそういうのが。他人の話を映画にしたりするとどうなるんだろう。大物を基準に考えたら、かわいそうなんだけど。ついでに、絵がとてもいいんだけど、斬新ってわけじゃまったくない。CMやってたそうだけど、そんなかんじ。 永作博美はよかった。普段は似てないのに、映画では宮崎になんか似てた。ああ、あの人が成長するとあんなかんじかもなあ、ってかんじで。でも、ちょっとしっかりしすぎちゃってないかなあと。17年も経てば当たり前か。いや、しっかりしてると言っても、17年前と比べればだけど。 瑛太は何もしないでボーっとしてただけだけど、それでいいってかんじ。素朴で朴訥な田舎のにーちゃんってかんじがよくでてた。西島秀俊は雰囲気は悪くないんだけどちょっと微妙。特にしゃべりがちょっと。というか、ときたまトニー・レオンに見えてしょうがなかった。 で、宮崎あおい。 無気力系。ついでに、びみょーにS系。 なに色気づいてんだよ。元野球部のくせに。 とか、お姉さんの制服はブレザーだった?セーラー服だった?と聞かれて、 あした教えてやる。一晩、悶々としてろ。 みたいなことボソっと言ったり。 ところどころの台詞や表情に微妙なSっぷりが出てた。このSっぷりが、宮崎の「好き」ってのが一番表現されてるところなのかな。「好き」ってより、「好きかも」かな。ま、↑で書いた、ふらふらしてるってのがよく表現されてたなと。 ついでに、しっかりしてて自分をちゃんと持ってるようなかんじもしないでもないんだけど、基本は、やる気なしで、投げやりで、脆くて壊れそうな少女。さすが。というか、安心して観てられる。 静かな映画だけど、数ヶ所、ちょっとだけ鳥肌立った(良い意味)。でも、ドラマチックなところも、盛り上がりもなし。ネタバレしちゃうけど、再会のシーンもあっさりだし。またお別れなのかなと思ったら、あっさり連絡取れて会えちゃうし。永遠の別れ(死)かなと思ったら、あっさり元気になるし。 そういうところが逆にしつこくなくてよかった。 過剰な映画はジョン・ウーだけでいい。 絵だけど、空と雲と草の緑と制服の黒と紺。まるで「リリィ・シュシュのすべて」のよう。田舎の絵も美しいし、都市の絵もいい。てか、この映画は写真集にできそう。台詞も少ないし。写真に書き込める。↑で絵は綺麗だけど斬新なところはないと書いたけど、綺麗であればそれでそこそこ満足。 この映画って、やっぱり男がつくったものだなあってかんじが出てると思う。少女マンガっぽさ(全然知らんけど)はあんまりないような。というか、「タッチ」っぽい。「タッチ」は主人公たちが、前向きで才能豊かで輝いてるけど(ふらふらもしてるけど)。もちろん、この映画はまったくそうじゃないけど、ぱっとしない素朴な人たちの話だけど、それが心地よい。 で、この映画は、もちろん、宮崎あおいが出てるから観に行ったんだけど、この前、宮崎がNHKのトーク番組に出てたそう。朝ドラのために。で、そのときの話を聞いた。 以前、宮崎が中国に行ったときの話をちょっと書いた。ちょうど反日デモのときに中国にいたらしく、こんなことを宮崎は言ってた。↓ 一回だけ、中国の女の人に、中国から出てけー、と言われましたけど、それ以外はまったく、みんないい人だし、日本人だからといって、なにかをするわけでもないし、なにかいってくるわけでもなかったですね。 これについて、「すごくいい経験したのではと。発言内容はいたって普通で優等生的だけど、最近の風潮を考えるとキラリと光ってしまうのが悲しい・・・。でも、ほんといい経験したと思う。役者としても人間としても。ナショナリズムの問題を肌で感じ、自分の問題として捉え、そしてそれを相対化する視線をしっかり持てたというのはすごくいい経験だったのではと。」みたいなこと書いた。 ナショナリズム・フェチとしては、やっぱり、有名人にこういう普通のことを言ってもらえるとほっとするもん。ジョージ・クルーニーの話みたいなもんか(ウケるネタめっけ。愛国ネタ。)。 で、↑のNHKの番組でも、中国行ったときの話をしていたそう。 宮崎は、中国で物乞いの少女と出会って、感じ方や考え方が変わったとか。それまでは、お金をあげてそれで終わり、って感覚だったんだけど、それだけじゃダメだって感じるようになったとか。もっと違うことをしなきゃいけないんじゃないか、みたいな。どうにかしたいと思うようになった、とか。 これって、普通に言われてることだけど、国際関係や発展援助系の学問の理論では根源的な難題。みんな悩んでる。 でも、物乞いの子と直に接して、感覚的にこの難題に迫ったってのはたいしたもん、というか、良い経験したと思う。なんだか、贔屓の引き倒しになりそうなくらいキモイけど、実際、素直にそう思うんだからしょうがない。 それに、反日デモと同じ時期に、そういう物語があるって、なんか映画にもできそう。 イケてる宮崎あおい本&インタビュー
by mudaidesu
| 2006-04-23 23:46
| 映画
|
ファン申請 |
||