愛国心vs祖国愛 2  国益主義


愛国心vs祖国愛 1  by 藤原正彦のつづき。っぽい。

また藤原正彦さんの表現でちょっと気になったこと。


「愛国心なんて今すぐ廃語にすべき言葉です。この言葉は明治以来の失敗の最大の原因でしょ。愛国心という言葉には、二つの相反する異質なものが混じっている。一つはナショナリズム。これは国益主義で、他国はどうでもいいという考え方。二つ目はパトリオティズム。つまり祖国愛。これはすべての人間が当たり前に持っていないといけない。でも、戦後の日本は両方を捨てた。それで、今ごろになって、汚い手あかの付いた愛国心という言葉を使おうとしている」・・・

教育基本法改正案 藤原正彦氏に聞く【「愛国心」今すぐ廃語に】―「東京新聞」




・・・ナショナリズム。これは国益主義で、他国はどうでもいいという考え方


この部分。僕としてはあまりしっくりこない。ムリヤリ定義すれば、「ナショナリズム=他国はどうでもいい」と「国益主義=他国はどうでもいい」の二つは一応は成り立つと思う。


けど、「ナショナリズム=国益主義」がちょっと苦しい。国益至上主義の根本にはナショナリズムがあるんだろうけど、いわゆる巷のナショナリズム的なものが、主観はともかく「客観的」に国益至上主義に帰結するかと言うと全然違う。(まあ、「愛国者の主観」では「愛国心=国益主義」だろうけど。)


というか、みんな素朴な感覚として同意すると思うけど、ナショナリズムの高揚は国益を害することが多々ある。特に、国益至上主義のリアリストなら当然この見方に同意する。ナショナリズムは国を誤らせる、みたいな表現も普通にあるよね。



ややこしい話なんだけど、国際関係理論を超単純化して言っちゃえば、リベラルは「主観的」にも「客観的」にも国益至上主義ではない。リアリストは「主観的」にも「客観的」にも国益至上主義。ムリヤリだけど、リベラルとリアリストは「何が国益か」については、ある程度(ある程度ね)、合意可能(観念的にはね)。「何をすべきか」については徹底的に対立するけど。


で、本来ならリベラルとりアリストはガンガン喧嘩するはずだし喧嘩してきたんだけど、ここ数年はなにげに共闘関係にあったりもするような。日米共に。アメリカならイラク戦争において。日本ならアジア外交において。これ系の話については↓あたりで微妙に書いてきた。


リアリストのリアリズム  イラク戦争反対
またまた a リアリスト on アメリカ外交政策
憲法9条改定論議の整理
ナベツネ on NYT  ヤスクニとソフトパワー
「ミュンヘン」とか宗教右派とか他のこととか のコメント欄
靖国問題について
ダブスタ&ゼロサム



アメリカでは「リベラル&リアリスト vs ネオコン」みたいなかんじで、
日本なら「リベラル&リアリスト vs いわゆる保守=愛国フェチ」みたいな。

で、ネオコンさんやいわゆる保守愛国フェチの方々は、国民の不安や他国他者への憎悪を煽り、結果として高揚するナショナリズムを利用する人たち。「主観的」には国益至上主義者だろうけど、リベラルやリアリストからすれば、おいおい、あんたらのせいで国益がボロボロだよと。




日本の「いわゆる保守=愛国フェチ=情緒的愛国ナショナリズム系」の方々は「自称国益至上主義リアリスト」ってかんじだけど、ネオコンさんなんかも「リアル」みたいな表現が好き。

元祖ネオコンのIrving Kristolさんは自称「liberal mugged by reality (リアリティにやられちゃったリベラル)」だと。大物ネオコンのCharles Krauthammerさんは、「Democratic Realism」ってのを提唱してたり。

この「democratic realism 理論」ってのは「democratic peace 理論」の変形かと。「democratic peace」ってのは、まあ、リベラル理論の基本的なもの。簡単に言っちゃえば、「民主主義が広まれば、国際関係は安定する」とか「民主国家同士は戦争しない」みたいな。


ようするに、ネオコンには元々リベラルっぽい人が多くて、「理念」を大切にしながらも「リアリスト」であると自称するようなかんじかな。「リベラルみたいにナイーブじゃないもん」って。

このへんは、やたらと理念的なことを言いながらも自称リアリストの、昨今の日本の「いわゆる保守=愛国フェチ=情緒的愛国ナショナリズム系」の方々も同じかなと。昔は左翼だった人も多いようだし。




で、普通のリアリストは、「理念」とか「感情」とか「道徳」とか「誇り」とか「心」みたいなもんは排除して考える(理論的には)。そういうの(精神的満足感)を気にしてたら、国益は守れないと考える。冷徹な国益計算ができないと考える。

他者をやたらめったら罵倒するなんて、最も愚かなことだと考える。それは当たり前。そんなことしてて自分の利益が増大するわけがない。自分の力が圧倒的に上回っていて、おまけに誰も見ていないなら話は別だけど。

ついでに、まわりの人は、自分じゃなくて相手に同情してたりするような状況だったらなおさら。



で、「客観的」には、リベラル&リアリストからすれば、ネオコンさんや「いわゆる保守=愛国フェチ=情緒的愛国ナショナリズム系」の方々は、理念的すぎたり感情的すぎで、国益を最悪な形で害しまくりでおまけに自覚がない、に見える。




国際関係のリアリズムの理論家は、19世紀後半のヨーロッパの国際関係なんかを理想というか、いいかんじと見なしたり。外交エリート同士の信頼関係で国際関係が成り立ち、情報と見識を持った外交エリートたちの冷静な計算と判断によって、ヨーロッパのパワーバランスが保たれていた。みたいな。

で、それに比べて、20世紀前半がめちゃくちゃだったのは、大衆の熱狂(ナショナリズム)のせいでもある、みたいな。ナショナリズムのぶつかり合いほど危険なもんはないし、ろくなもんじゃないと。



まあ、大衆蔑視的なところもあったり。このへんがリアリストと「保守」との親和性があるところかな。大衆を動員しそのエネルギーを利用する左翼に対して、あくまでエスタブリッシュメントやエリートによる支配・統治を好む「保守」みたいな。無知で時の感情に流される大衆なんかお話になりませんよ的。



だから、昨今の一般ピーポーの憎悪と不安とナショナリズムを煽りまくって動員してる「いわゆる保守」の方々は、「いったいぜんたい、どこが保守だよ」ってな話になるわけで。「保守の美徳」はそうじゃないだろと。(日本人の美徳。保守の道徳。



で、日本の場合のリアリストは保守本流だったりするわけで。損得しか考えてこなかった、みたいに揶揄される。ついでに、「売国奴」扱いされたり。意味するところは、国家の「誇り」を顧みなかった、みたいなかんじかな。

でも、それこそが国益至上主義リアリストの真骨頂。

「誇り」なんて「おこちゃまないーぶ」すぎますよと。「ボクちんいやなことやだもん。だってむかつくんだもん。」みたいのはお話になりませんよと。「自国の利益」こそが大切ですよ。「自国の利益」のためには、嫌とか憎とかの感情に流されちゃダメですよ。「現実的」な判断ができなくなりますよ。みたいな。




んなわけで、とにかく、僕としては、国益至上主義リアリストじゃないし、本来はリアリストを批判したい側なんだけど、それよりはるかにエグい情緒的愛国ナショナリズム系が流行ってるんで、それ系と国益至上主義リアリズムを、概念的には切り離したい。

国益至上主義リアリズムは「無難」ってなところもあって、情緒的愛国ナショナリズム系よりははるかにマシなんで、一緒にしたくはない。


世界政治の細かいイシュー(人権とか貧困とかジェンダーとか)においては、リアリズム理論はまったくお話にならないし役に立たない。だけど、リアリストたちは、大局においてはたしかに妥当な判断をしてきた。アメリカのリアリストたちはベトナム戦争にも反対したし、イラク戦争にも反対した(リアリストのリアリズム  イラク戦争反対)。日本なら、靖国参拝反対とか。そういう判断ができるのがリアリスト。

でも、結局、熱狂的ナショナリズムの前では、ノリの悪い冷静なリアリストの判断や議論は微力すぎだったりするわけだけど。国民にウケない。


とにかく、僕の書いてることはだいぶ強引でもあるけど、ムリヤリにでも、この二つは切り離したい。

「ナショナリズム=国益主義」とは呼んじゃダメ。

「ナショナリズム=国益阻害主義」と、どうせなら見なすべき。どうせならね。




リアリストにとっては、国益追求こそがすべてだから、「ナショナリズム=国益阻害主義」と見なすのは簡単なんだけど、国益至上主義じゃないリベラルにはなかなか難しかったりする。

「ナショナリズム=国益阻害主義」とか言い出すと、まるで国益追求こそがすべて、自己中超OK的なこと言ってると見られたくないだろうから。結局、リアリストを擁護するような議論にもなりかねないからなかなか難しい。




ついでに、難しいのは、「むかつく」みたいな「他者への憎悪」(ナショナリズム)に外交が左右されるのはダメだけど、「かわいそう」みたいな「他者への共感」(リベラリズム)に外交が左右されるのはアリ、ってところがあるのがリベラル系だったり。

リアリストは簡単なんだな。「どっちも国益にならん。」で済ませられるから。


リベラル系は、簡単に言っちゃうと、「憎悪」に外交が左右されるのは「誰のためにもならん。自分たちのためにもならないし、他者のためにもならない。だから話にならない。」で、「共感」に外交が左右されるのは「自分のためにはならないかもしれないけど、他者のためにはなるからいい。(巡り巡って自分のためにもなる。ソフトパワーにもなる。)」ってかんじかな。

人道介入問題での、リアリストとリベラルの違いなんか特徴的で、こんなかんじ(ホテル・ルワンダ)。ようするに、人道介入(や弱者救済)を正当化するリベラルの理論は、「我々―彼ら」の交換可能性であって、「我々が彼らの立場だったら」と考える。ロールズの「無知のヴェール」みたいなかんじ。




本を読んでないけど、↑の話から想像すると、藤原さんの外交観ってのは、どっちかというと僕に近いかも(って偉そうですが)。リベラル的な価値観から、「自己中はイカンだろ」と国益至上主義リアリズムを批判。ついでに、「誰のためにもならんだろ」と情緒的愛国ナショナリズム系も批判。両方を批判。

ただ、藤原さんは、「国益至上主義リアリズム」と「情緒的愛国ナショナリズム」の二つを一緒に考えちゃってるのかなあと。

んで、そりゃ絶対ダメと。絶対この二つは分離して考えるべき、って思う。




んで、とにかく、国益至上主義リアリストは、ナショナリズムは煽らない。宮台用語だと、一般ピーポーを煽ったりの「感情のフック」で動員しない。



リベラル側は、本来はリアリスト以上に理性重視のはずなんだけど、やっぱときおり「感情のフック」で動員しようとしちゃう。で、僕自身、コレを全否定はしない。やっぱ、「かわいそう」で動員するのはそれなりにアリかなと。でも、やるならやるで自覚的にやらないと、情緒的愛国ナショナリズム系を批判する基盤を持てない。

ほんとにややこしいから、もっと丁寧に書きたいところなんだけど、疲れた。



って、思い出した、↑は微妙に違うじゃん。藤原さんは、「国際貢献はイラン」って言ってるんだよね。それじゃあ、リベラル的じゃないわな。いや、もちろん、「論理だけじゃダメ」みたいなこと言ってる典型的な保守だからリベラルじゃないのは当然なんだけど。「イラン」とまで言っちゃうなら、僕からすりゃ、藤原さんは国益至上主義リアリスト。

「イラン」とまでは言ってないか。「ホドホド」でいいってとこか。


まあ、「他国のことはどうでもいい」はダメって話なんで、やっぱ、日本の保守本流系ってかんじかな。基本は国益至上主義リアリストなんだけど、リベラルみたいなところもほどよいかんじにあるみたいな。戦後日本の保守本流護憲ってのはこんなかんじだったのかな。


もちろん、なんでもかんでも理論に当てはめるのはムリがある。ただ、物事を整理するのには便利。


で、戦後日本保守本流はリアリズムに偏りすぎてたんで、もうちょい(共感ベースの)リベラル色(近代主義や論理がダメだそうだから違う表現使うだろうけど)を増やして(内政においても)、もうちょい他者のことも考えよう、みたいな。それでこそ「品格のある国家」だと。

って、違う?

藤原はんなこと言ってねー、ってことなら教えて。


というか、「他国のことはどうでもいい」がダメで、「国際貢献はホドホド」ってことなんだけど、結局、藤原さんは、どういうビジョンというか具体例というかそういうの本で書いてるの?


つか、立ち読みくらいしろよ、新書なんだし、って話なんだけど、まあ、読む前に想像してみるってのは決して悪いことじゃないと思うんで堪忍。



愛国心vs祖国愛 1  by 藤原正彦 
愛国心vs祖国愛 3  パトリオティズム
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by mudaidesu | 2006-04-27 12:08 | ナショナリズム


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