「イラク人質問題 12 自己責任 ③」で、自己責任はいはい、で?だからなんなん?みたいな話したけど、香田さんについて、ある文章を見つけた。 こちらのページ↓の「2004年11月01日 01:51」投稿のコメント http://mas.s57.xrea.com/blog/2004/10/vc.html 「香田」って呼び捨てなのはいいけど。すげー憎悪こもってんなあと。まあそれはおいておいて、結局、「香田はバカ」だけなんだよねえ。それも執拗に。「バカな香田はこれこれこういうわけでバカでバカでバカ」みたいな。この人だけじゃなくて、世間じゃみんな香田さんを「バカだバカだ」と言ってたけど。 だからなに?バカだからなんなん? いや、勝手に文句言うのは悪いんだけど、まあいいや。 そりゃ、はっきり言って、彼はバカだったかもしれない。もちろん真相は闇の中だけど、ほんとに報道されてたとおりだったとしたらね。でも、だから何よ?と。バカだからなんなのよ?と。まさか、バカだから死んでもいいってこたーないだろうし。バカダバカダバカダ・・・って、だからなんなん。 あんな死に方した奴について「バカダバカダバカダ」って言うけどさあ、首を切られて殺されるかもしれない奴について、首を切られて殺された奴について、「バカバカバカ」言ってどーすんの? 小泉・ブッシュ・フセインあたりの責任回避のため? 香田さんをぶち殺した連中を擁護するため? そもそも、バカ度ゼロの奴なんていねーだろ。 「他人に迷惑」かけないで生きてる奴なんていない。 ようするに、香田さんをバカだバカだ言って、自分を安心させてるだけかと。自分はバカじゃないと思いたいだけかと。自分は香田さんより価値があると確認したいだけじゃないのかと。 自己肯定のための切断処理。自己肯定のための不寛容。利口な優等生にこういうことやる人がいたりする。「自己責任!」なんて表現もそう。切断処理するのに便利な機能を果たしただけ。 「おそらく日本国内の社会問題や部落差別、路上生活者問題もさっぱり知らないのではないか?」とか書いてるけど、「なんも悪いことはしてないのに、首を切られて殺されるかもしれない奴、首を切られて殺された奴」への思いはなんもないのかなあと。つか、マジでおそろしいんだけど。 なんで部落差別被害者や路上生活者へは同情できて、「なんも悪いことはしてないのに、首を切られて殺されるかもしれない奴、首を切られて殺された奴」はあっさりと切断処理できちゃうんだろ。あっさりとじゃないか。もの凄い憎悪を爆発させて世界中に発信しちゃうくらい。 自覚はないだろうけど、ネットに書き込むってことは、この文章が、香田さんの家族の目に触れることになってもかまわないって明確な意思表示(僕も再生産しちゃってるけど)。やっぱ、こわい。 てか、↑のなんて、ホームレスの人たちを「社会のゴミ」とか言ってリンチしてぶち殺すような連中の心情とたいして変わらないんじゃないかなあ。 なんか、ナチスドイツのように、「科学的な根拠」に基いて国家のゴーサインがあったら、平気で「無価値なゴミ人間狩り」に拍手喝采するんじゃないかと。つか、そういうのと紙一重なんじゃないかと。そう思わずにはいられないほど、こわいものがにじみ出てる。 「香田はゴミ人間」だって言ってるようなもんだし。で、その「ゴミ人間」が「なんも悪いことしてないのに、首を切られて殺されるかもしれない奴、首を切られて殺された奴」ってな状況でも、「ゴミ人間ゴミ人間ゴミ人間」と世界に向けて叫んじゃうわけだから。それも執拗に。 何回かこういうこと書いてきたし(「子を持つ親」さんについてとか)、また書くけど、こういうのは素朴な正義感があふれてるんだけど、実はめちゃくちゃ非人道的というかなんというか。 ただ、奇人変人を切り捨てたい、自分は奇人変人じゃないと確認したいっていう欲望を表現してるっていうか、欲望を撒き散らしてるだけのようにも思える。そういうのがほんとこわい。悪意丸出しのもの(「20年近くの人道支援経験」の人とか)よりこわい。 つかね、はっきり言うけど、↑の人はね、「途上国の人々」への愛情を口にしてるけどね、実際にそういう人たちに接して人道援助でもなんでもやってみたら、豹変すると思う。「香田」に投げつけた↑のような言葉を「途上国の人々」へ投げつけるんじゃないかと。 「あえて」言うけど、援助を必要とするような「途上国の人々」には「おまえらもうちょいシャキっとしろよ」「人を騙そう騙そうばかり考えてんじゃねーよ」って人が多いから(アメリカの黒人居住地なんかもそう)。 「なんも悪いことしてないのに、首を切られて殺されるかもしれない奴、首を切られて殺された奴」である「香田」ごときにこんなにムカついてたら、絶対耐えられない。 「こんなバカな連中のために大金を使うなら、地球環境改善とか絶滅危惧種保護とか、もっと有意義に使え」とか思っちゃうんじゃないかと。 つか、ここまで言う必要はないけど、この人は一見、「途上国の人々」への共感を示してリベラルな感じもしないでもないんだけど、実は「途上国の人々」への偏見がすごいと思うんだよね。善意だとは思うんだけど、一種のオリエンタリズム。「かわいそうであわれで無垢な途上国の人々」みたいな。 だから、「かわいそうであわれで無垢な途上国の人々」の実際の姿が、自分のイメージするものと違ったら、自分の期待どおりじゃなかったら、↑で言ったように、豹変しちゃうんじゃないかなあと。 つか、「義憤」を感じて激高するのはいいんだけど、一般人の個人相手にそこまで熱くなるなよと。犯罪者でもないんだし、おまけに死んじゃった人、というか犯罪被害者なんだから。もっと他の「巨悪(笑)」に対して「義憤」を感じて怒ってくれよと。 なんか名もない人の、冷静さを失って書き込んじゃったってな文章にケチつけるのは悪いなあ、とは思うんだけど、やっぱ、背筋が凍るくらい、ぶるぶる震えちゃうくらい、こわい文章だなって思ったから。あえて。僕自身この人への怒りは別にない。ちょっとこわいだけで。何度か書いてるように、怒りを感じるのは煽ったメディアや知識人や政治家。 まあ、この人が僕の目の前にいたら、また違った言葉で話をしたとは思うんだよね。というか、何も言えないかなあ、たぶん。んーん、ってかんじで。つか、学校の先生って大変だね。こういう生徒けっこういるでしょ。利口で優等生で正義感にあふれてんだけど、もの凄く冷酷だったりする生徒が。 というか、その場の状況によるね。一対一だったら、んーん、で終わりかと。で、周りの人が僕と同じように感じてるなら、やっぱり、んーん、でいいやと。もし、周りの人たちが、素朴にこの人に同感とか思っちゃってたら、多少はがんばるかも。その場で効果的な論法を探して。 効果的な論法っつっても、論争を制してもしょうがない。専門家同士の専門家をオーディエンスにした内輪の議論じゃないんだから、「論破(笑)」なんて意味ない。こっちに共感させないと。 何度も言ってるけど、こういうのは感情の問題だから。面と向かって話するときは、「そこまでこの人たち(人質たち)にムカツク必要はないか」「バッシングされるほど悪いことしてないか」みたいに感じてもらえるように。 ところで、あのバッシングで一番頭に浮かんだのは、イメージとして浮かんだのは、なんか知らんけど、中国の紅衛兵。ユン・チアンの「ワイルド・スワン」の印象が強烈だった。 というか、バッシングに荷担してたような人たちは、戦前なら非国民を、敗戦直後なら戦争協力者を、左翼全盛時代なら保守的(相対的に)な教師を「つるし上げ」してたんだろうなあ、と思った。 みんな、一応、素朴な善意と熱い正義感からでしょ。それと征服欲。他虐的な欲望。集団でああいうことやるとカタルシスが味わえるんだと思う。 つか、↑の人みたいのは宮台真司が言う「都市型保守」の典型なのかなあと。素朴な正義感と強烈な被害者意識の混在。「恵まれた境遇で遊んでる香田」への憎悪ってのは、自分は割を食ってるみたいな思いが非常に強いからだろうし。 「都市型保守」と違って、「農村型保守」には寛容さがあったのかも。浮いちゃう人についても、やっぱ同じ共同体の仲間、みたいな感覚が。 「村八分」みたいな概念もあるけど、それはスルー(笑)。矛盾なんて気にしません(笑)。というか、あのバッシングを「村八分」的なものと解釈する議論もあったし。というか、僕も似たようなこと書いてきたような気がするけど(笑)。ブレインストーミングみたいなもんなんで矛盾は気にしない(笑)。 東京の君が代問題でも同じようなこと思った。「農村型保守」的な感性だったら、あそこまで熾烈に教師たちを叩かないかも。どっかにうまい逃げ道を用意してやったり。談合してなあなあですませたり。同じ共同体で共に生きる仲間だろうし。 あそこまで徹底的に教師たちを潰そうって感性は「都市型保守」的かな。バックに「都市型保守」の象徴ような「つくる会」的な人たちがいるわけだし。 「同胞を抑圧・排除」して快感覚えちゃってるような愛国心フェチの方々(東京都の人たちとか)とかって、「同胞愛」ってもんが欠如してるんじゃないの、って思っちゃったりもするわけ。 とか書いたんだけど、やっぱ、同胞への寛容さってのが「同胞愛」だと思う。 共同体で共に生きる同胞である人質たちや教師たちをボロクソにして気持ちよくなったり、ボロクソにしてなんとも思わないなら、「同胞愛」が欠如してると言っていいかと。同胞がどうなろうと知ったこっちゃないってことだろうから。 憎悪を爆発させて同胞を叩くのに熱中するだけで、「共同体で共に生きる同胞」って感覚が欠如してるなら、正直、「保守」を名乗ってほしくないんだよねえ。そういう保守論壇の皆様たちには。 「生きたまま焼き殺されるかもしれない犯罪被害者である同胞」や「犯罪被害者である我が子が生きたまま焼き殺されるかもしれない同胞」や「なんも悪いことしてないのに、生きたまま首を切られて殺された同胞」への愛情や思いやりみたいなもんがまったく沸かないってのは、同胞愛がないってことでしょ。 あげくに、人質や家族は「二流国民」(by 石原慎太郎&西村真悟@「諸君!」)って・・・。 とかなんとか書いてたら、(最近やたらとゴタゴタしてる)西尾幹二さんがこんなこと書いてた。↓ 国民を「束ねる」方向として今はすでに道徳的秩序主義が強まる方向にあると思う。「個人の愚行を認めるというオールドリベラリズム」というのはいい言葉で「党議拘束」で反対を封じるなどは最低である・・・・・。東京都庁にまでそういう空気が及んでいる。精神的統制が強化され、ご清潔主義が横行するのはウンザリする傾向なのだ。 なんと西尾さん、こんなこと言ってる。佐藤優さんの「世界」論文について考察しながら。ファシズムや新自由主義について論じながら。 西尾さんが「『個人の愚行を認めるというオールドリベラリズム』というのはいい言葉」だと感じるなら、イラク人質問題について聞いてみたいところ。というか、西尾さんは当時なんか発言してた? 与党国会議員のあの「愚行」を認めよってなら、一般人である、しかも犯罪被害者個人やその家族のあの程度の「愚行」は当然認めるだろう。もちろん、僕自身は「愚行」だとはまったく思わないけど、別に「愚行」と判断してもらってもかまわない(偉そうですが)。あんなに叩かなければ。 西尾さんだって、パージされた与党議員たちの行動を「愚行」だとは思ってないだろう(実際応援してたわけだから)。けど、たとえ「愚行」だとしてもあのくらい認めろよってことだろう。 こういう「他者への寛容」ってのはリベラリズムの基本中の基本だけど、西尾さんの言うように、日本のオールドリベラリスト、保守本流の人たちにもそういうのがあった(と思う)。↑で書いた、「農村型保守」の寛容ってのも似たようなことだと思う。 やっぱ「保守」が人質たちに対してとるべき態度は、「まあいいよ。故郷に帰ってこいよ。助かってよかったな。みんな待ってるぞ。故郷でゆっくり休めや。これからはもうちょい慎重にな」だろう。 こういうのも「日本人の美徳」みたいなもんのような気がする。 日本の保守派が体現すべき日本人の美徳。(日本人の美徳。保守の道徳。) まあ、とにかく、↑の文章はコワイし、↑でケチつけたけど、善意なんだろうなあと思うとこの人にシンパシーも感じるんだよねえ。攻撃的になっちゃうのは、やっぱ自己防衛反応なんだろうなあ、と思うと、ボロクソ言う気もなくなってきたり。いまさらだけど。 バッシングしちゃった人たちも、ある意味、動揺したのかもしれない。そして、その動揺を自分なりに整理する方法としてバッシングを選んでしまったのかもしれない。被害者を他者化する、という方法で。自分とは違う、と切り離すという方法で。自分の中であの出来事を整理しようとしたのかもしれない。動揺してしまい、それをなんとかしようと、自分の中でとりあえず答えを出そうとした結果なのかもしれない。 と書いたけど、この人は、香田さんの死に動揺したんだろう。動揺しちゃって、なんか自分の中で答えを見つけなきゃと思ったのだろう。そして安易に飛びついた答えがこれだったんだと思う。動揺するほどの感受性があるなら、もう少し迷えよと。もう少し迷っていろいろ考えてみてくれよと。 ただ、この人を擁護できる部分もある。この人がこの文章を投稿した場を考えると。 どういう状況でこの文章が投稿されたかって、そりゃ、めちゃくちゃな中傷や罵倒のバッシングの真っ最中でしょう。この人は、そういう投稿で埋め尽くされてる場所に、この文章を投下した。はっきり言って、コワスギ。 「子を持つ親」さんの投稿がされた状況についてこう書いたけど、これとは微妙に違う。 たしかに、この人が投稿した「大状況」(世間)は「香田バカ!」ってかんじだった。でも、「小状況」ってのがあるとすればそれは違ってた。この人が投稿したとき、↑の場所は酷い状況じゃなかったし。その後のたくさんのコメントはだいぶ香田さん擁護だし(ひねくれ者の僕とは明らかに違うかんじ)。
by mudaidesu
| 2006-05-17 23:47
| イラク人質事件
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