反日古森産経日本国際問題研究所 5


長くなりすぎた「古森玉本産経日本国際問題研究所 4」のつづき。

あとちょっと気になったのは産経抄さんのこういうノリ。↓





▼クレモンス氏は「古森記者が理事長に対して謝罪を要求した」というが、コラムにそんな記述はない。要するにこの人は読んでいない。恐ろしいことに、こんなトンデモ論文でも、名の知れた新聞に載ると、影響力を持ってしまう。

▼早速朝日新聞が、研究所の「過剰反応」が「問題化」していると報じていた。なんだか、昭和57年の教科書誤報事件に端を発する一連の騒動を思いだす。日本では未公開の「白表紙本」の内容が、なぜか中国や韓国に流出し、両国が日本政府に、特定の歴史教科書の検定不合格を求めた問題もそのひとつ。

▼平成7年には、当時の江藤隆美総務庁長官のオフレコ発言が韓国紙で報道され、辞任に追い込まれた。利用できそうな出来事があると、外国の政府や新聞に通報し、その威を借りて国内で「問題化」するいつものパターン。今回、クレモンス氏に「ご注進」に及んだのはどこのだれか。コラムの内容を正しく伝えなかったから始末に負えない。

http://www.sankei.co.jp/news/060918/col000.htm



ウィキによると、the director of the Japan Policy Research Institute で、He has also served on the advisory board to the Center for U.S.-Japan Relations at the RAND Corporationで、Clemons was the executive director of the Japan America Society of Southern California from 1987 to 1994 だそうだし日本語できるような気がするけど。

たとえできなくても、こちらにあるような英訳文は読んでただろうし。(てかこの英訳って「米大使館訳」ってあるけど、アメリカ大使館っていちいち新聞記事をピックアップして訳してんの?どういう仕組みでどうなってんでしょう?)ついでに、原文読めなきゃ物事を論評しちゃダメ、なんてアホな話はないし。



まあ、これは産経さんが本人に聞けばいいんだろうけど、それもせずに(印象操作のためにわざと?)、恣意的とも思われるような訳と論法を駆使しただけで、「要するにこの人は読んでない」なんて日本の読者に向けて断言しちゃうのはどうよと。古森さんは「クレモンス氏が原文をきちんと読んでもいないことが明白となった」とか書いちゃってるけど、「きちんと」というのを入れるあたりがなんかうまい。


まあ、そういうことを断言する根拠が『「謝罪を要求」なんて書いてないのに「apologize」という表現を使った』みたいな↑で書いたようにひょっとしたら微妙かもしれない話なんだけど。読んでようが読んでなかろうが、日本語できようができなかろうが、あの古森さんの文章について「apologize」と表現するのはおかしくないような気がしますがどうなんでしょう。って、同じこと繰り返してますが。





「ご注進」うんぬんについては、あいかわらずかと。個別の事例は別に、一般論として、内緒のネタについてならまだしも、公に世界中に向けて発表したものについて、正しく伝えてくれよってのはそのとおりだけど、それの国外への伝わり方についてこういうイヤミっぽい表現でしか語れないってのはほんとに興味深い。世界中の人たちに知ってもらいたいと思うからこそ世間に発表すんじゃないのかと。



コレ系の思考回路の問題については、半年くらい前に、文藝春秋の笹幸恵さんによる「バターン死の行進」論文とそれから派生した問題について非常に興味深い議論があった。翻訳の問題も議論になってる。「PAZ」さんと「Apes! Not Monkeys!」さんあたりで。たくさんの興味深い関連エントリーがあったと思うんだけど、一つ一つ紹介すんの面倒なんですみません。この二つのブログを検索でもしてみてください。




まあとにかく、「apologize」の訳や解釈がどうこうなんてどーでもいい些細な問題でしかないと思うし(どんな問題においても、ミスコミミュケーションってのが多かれ少なかれ生じるのは普通。違う言語でなら当然すぎ)、こんなことにこだわって問題の矮小化に乗っちゃうのはいかがなものか(実際、大事なのはJIIA側がソッコーで屈服したという事実で、ついでに議論になってるのはもっともっと大きな問題だし。ようするに日本社会の現状と未来の問題)と思いながらも、↑で書いたように、深いことを論じる能力もなく、他にすることも書くこともないんで、ダラダラと周辺をウロウロしてるようなかんじです。



ただまあ、野次馬状態といっても、一応、これまで考えてきたようなネタにいろいろ接触するような問題であるのはたしかかと。ナショナリズムとか、愛国とか、保守派とか、「反日」とか、属性についてとか、内向きロジックとか、外に通じるロジックとか、外からのイメージとか、欧米市民社会を(あまり)疑わない(ように見える)欧米人からの説教臭いツッコミうざいとか、うざくてもそう見られてるのは現実とか、外からの視点は国内にはない視座を提供してくれることもとか、まあモヤモヤしてますがいろいろ。




オーマイニュースにもこのネタあった。

Struggle for the Japanese Soul


記事の中身は、kayoさんがコメント欄で紹介してくれたのと同じ。




ついでに、The Australianの記事についてはコメント欄で書いたのそのまま。↓


The Austlarian(オーストラリアの政治・ビジネスエリート(笑)が読むらしい)の記事。

Spectre of bad old days looms in Japan
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,20876,20347863-2703,00.html

日本のナショナリズム問題とJIIA問題についていろいろ。


最後の2パラグラフ↓。


What it looked like, however, was that when Komori's article threatened to turn what was a foreign-focused discussion into a domestic issue, probably bringing the ire of LDP right-wingers down on the Foreign Ministry, Sato and the ministry panicked and surrendered.

In doing so, they helped promote the very image of Japan the Foreign Ministry works so assiduously to dispel; of a country roiled by the problem of unresolved nationalism.


意訳だけど、

『古森の記事に、これを国内問題しちゃうぞ!と脅されて、自民党の右翼たちの憤怒の矛先が外務省に向くんじゃないかとびびって、佐藤と外務省はパニクって降伏しちゃったように見える。

そしてそうすることによって、彼らは、外務省が一生懸命に払拭しようとしてきた「日本のあるイメージ」を促進することになってしまった。収拾つかないナショナリズムの問題によっていろいろ困ってる日本というイメージを。』


みたいなかんじかと。


ちなみに、「(ナショナリスティックな日本ってイメージを)外務省が一生懸命に払拭しようとしてきた」の一つの例として、↓で紹介した、外務省が嫌韓流記事についてニューヨークタイムズ(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)に寄稿した文章なんかがあるのかなと。→

ナベツネ on NYT  ヤスクニとソフトパワー
http://mudaimudai.exblog.jp/2759252





The Japane Timesにもこの話題についてのオピニオンがあったのを教えてもらった↓。ほんとありがとうござます。情報収集どころか手元の情報処理すら全然追いついてない僕なんで。


Self-censorship conjures ominous echoes of the past


These days a simple but potent Japanese word is appearing in the media with inordinate frequency. It is hannichi, which means "anti-Japanese." An incident last month brought to mind an earlier era, when the word hannichi was also in common currency. Some words skip decades, returning to haunt the national consciousness.


こんなパラグラフから文章がはじまる。「反日」に焦点を当てて。最近、シンプルだけど影響力の強い一つの日本語の単語がメディア上でたくさん踊ってると。「反日」って単語が。



ついでに、↑で出したClemonsさんの文章にもこんな記述が。↓


In my view, Komori's accusations against numerous American academics and some Japanese of being "anti-Japanese" in their writing borders on the worst kind of defamation of credible intellectuals and are not consistent with the kind of free inquiry he says he too is calling for.

http://www.thewashingtonnote.com/archives/001652.php


Clemonsさんが思うに、古森さんの、多くのアメリカ人の学者や日本人たちに対する「反日」という非難は、信頼に足る知識人たちに対する最悪の種類の中傷で、古森さん自身も必要だと言ってる自由な研究みたいなものと相容れない、と。



というか、「戦後日本の言論空間においての「反日」や「売国」のような表現の意味と使われ方」みたいなことについて誰か調べてくれよと思う。本や雑誌やら新聞やら政治家の発言やらなんやらかんやら徹底的にチェックして。もちろん、左が「売国」みたいな表現をどのくらい使ってたかも。

戦争の記憶が残ってる間は、さすがに「非国民」という表現は生々しいからカルトな世界でしか使われてなかったんじゃないかと想像。最近も、「反日」や「売国」に比べて使用されることがほとんどないのは、やっぱ刺激が強い、というか、さすがにしゃれになってねーだろ、ってことがあるんでしょうか。それと、やっぱ、使い古されちゃってて響きがダサダサと思われてるとか。いや、「反日」にしろ「売国」にしろベタで使ったらかっこわるいと思うけど、それはあくまで個人の主観。


というか、小熊英二の「<民主>と<愛国>」の裏物語としての「<反日>と<売国>」みたいなかんじで誰か書いてよ。「反日」をめぐる言説っていったいどんなかんじで語り継がれてきたのか。「<民主>と<愛国>」は70年代で終わっちゃってるけど、「<反日>と<売国>」は2000年以降あたりまでカバーして。



一応つづき。↓

これヤバくない?
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by mudaidesu | 2006-09-20 00:27 | ナショナリズム


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