愛国保守国旗国歌① 櫻田②


ある意味、前のエントリーの「二つの意見 櫻田さん①」のつづき。櫻田さんその他に関してもうちょっと。まあいままでしつこく書いてきたようなことの繰り返しだけど、思ったこと並べとく。ダラダラと。





二つの意見 櫻田さん①」で紹介したように、櫻田さんは「自らの価値観や信条に照らし合わせる限りは、「米国の友人」・・・」とか「五百旗頭先生は、今の日本の政治学者の中でも、旧き良き「日本リベラリズム」の薫りを感じさせる人物である。「米国には保守主義はない。自由主義の伝統があるのだ」と語ったルイス・ハーツに倣えば、日本における「自由主義の伝統」を感じさせるのが、五百旗頭先生である。」とか言ってるけど、なら、これはどうかと思う。↓


ところで、国旗・国歌のごとき題材で、「思想良心の自由」が議論されるのは、解せない。これは所詮は、「礼儀」の問題である。下らぬ。

どうでもいい判決
http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_8e55.html



二つの意見 櫻田さん①」では櫻田さんについてだいぶ好意的に書いたけど、これはかなり微妙。というか、「礼儀の問題」とか言うのはまあいいけど(櫻田さんは保守だし)、「本来ならこれは礼儀の問題で、教師たちは礼儀がなっとらん。けど強制には反対。だって礼儀の問題なんだもん。礼儀を公権力を行使し処分までして強制するのには反対。」とかならないのかと。


前のエントリーで紹介したように、この人が「活動家」が嫌いなのはよくわかるけどさあ。「政治活動家」なのは石原慎太郎さんと都教委の人たちだってそうじゃん。しょぼい一人一人の先生なんかと比べたら圧倒的に強力な公権力を持ってるのが石原さんと都教委だよ。公権力が「妥協」できない「政治活動家」になるのはダメだっつーのってことじゃないのかと。


てか、「宰相は、「民族主義者」や「保守主義者」ではなく、「天皇陛下の忠実な臣下」でありさえすれば、それでいい。」なんてこと言ってたけど、なら、我々日本人が世界に誇る街・東京の「宰相」は「民族主義者」や「保守主義者」ではなく、「<強制>に反対する天皇陛下の忠実な臣下」でありさえすればそれでいい、みたいにはならないのかな。

正直、櫻田さんの「地」が出てしまったみたいにかんじる。



opemuさんが、アメリカの国旗焼却事件についてちょっと紹介したあとにこういうことを書いていた。


僕は、国旗や国歌というものにあまり敬意を持っていない方だと思うけれど、それでも、上の「国旗は、これを侮蔑視する者さえも保護するものなのである」という様な言葉には、ちょっとした感動を覚える。もし、国旗が尊いものであるとするなら、それは、国旗に敬意を表しなかったり、または侮蔑したりすることすらも含む「自由」を体現するものであるからであって欲しい。

でも、多分日の丸はそういう旗ではないのかもしれないな。日の丸は「少数者の思想・良心の自由」よりも優先される「マナー」「礼儀」という圧力を体現する旗なのかもね。読売新聞の社説とか、「礼儀の問題だ」とするネットでの主張(雪斎の随想録さんのとことか)を見ると、思わずそう感じてしまった。

日の丸が体現するもの
http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060923



まったく同じこと思った。まあ結局、「愛国心とはなんぞや」の問題で、日米では愛国心の中身が違うってことなのかなと。「<至上の価値>と<愛国の源泉>」 「しつこく愛国ネタ。僕のフェティシズム。」 あたりで自分でもわけわからなくなるくらいごちゃごちゃ書いたけど(つか青っ)、単純化しちゃえば、アメリカの愛国心は「自由と民主主義を尊重すること」で、愛国心の象徴である星条旗は「自由と民主主義」を体現するものであるのかなと。


星条旗が尊いのは「自由と民主主義」を体現してるからこそで。アメリカの愛国心も「何かへの忠誠」なんだけど、その「何か」というのは、独立宣言や合衆国憲法の精神に体現される「自由と民主主義」なのではと。「星条旗=アメリカ合衆国=自由と民主主義」ってかんじなんでしょうか。実像はともかく。


日本の場合はそうじゃないのかなと。結局、日本の愛国心の「何かへの忠誠」の「何か」は、自由主義とか平和主義とか民主主義じゃないんでしょう。以前は「天皇」であったり「国体」であったりで(日の丸・君が代=日本=天皇)、戦後すぐは日本国憲法が体現する「平和と民主主義」だったのかもしれないけど。



今はどうなんでしょうね。左もそういう国民主義的?愛国心をやめたし(越えた?)(チ○ポや姜尚中やナショナリズムや近代とか)、右は本音はともかくはっきりしないから抽象的すぎるし、具体的になると「モノ」への忠誠を要求って、軽すぎるというか浅すぎというか。

右の方々の間で、その「モノ」が体現する「何か」についての議論も全然起きてないし、結局、「国」とか「日本」とかになって、その「国」とか「日本」が体現する「何か」って何よ?みたいな気になるわけで。


うがった見方をすれば、右(もいろいろいるけど)の本音は、その「何か」とは「天皇」であったり「国家権力」であったりなのかもしれないけど、僕としては、実はそういう見方をあまりしてない。最近の右な方々が天皇を尊敬してるように見えないし(陛下が「強制ダメよ」つってのに無視だし)、天皇を利用するにも今後も天皇が有効に機能すると信じてるようにも見えないし、さすがに「国家権力」の場合は敵側にそれが渡る可能性も考えてるだろうし。


しいていえばその「何か」は「俺(たち)」とか。「何とははっきり言えないけど、とりあえず、俺らの言うことに従っとけ」みたいな(「反日」みたいな表現と似たような話かと。「日本」の中身ははっきりしないけど、とりあえず俺の気に入るように振る舞えと。)。はっきり言えないからこそ、「マナー」とか「礼儀」とか「常識」とか言ってみたり(それこそが「保守」ってかんじもするからしゃーないのかもしれないけど)。


まあ、おそらく、右のえらい方々にもその「何か」についてアイディアないんだと思う。だから、知識人たちも「反○○」にばかり熱中するわけで(もともと保守ってのは「反左翼」で生まれたってのもあるだろうけど)。(靖国問題について




別に、日本がアメリカと同じになる必要はない(ともに「自由と民主主義」を掲げてるけど)。日本は日本らしくていいと思う。差異万歳系の僕だし。欧米近代普遍主義礼賛系じゃない僕だし。だけど、愛国心論議や国旗国歌問題で、監視処分強制側はアメリカを例に出して正当化したりはしないでほしいなと。



ついでに、アメリカさんを美化しすぎているのは自覚してるんで大丈夫。実際の姿はかなりあやしいと思う。opemuさんがリンクした先でも侃侃諤諤の議論というか喧嘩の形跡がうかがえるし、決して↑で書いたような合意も雰囲気も存在しないのかもしれないし(というより地域性がモノを言いそう)。

おまけに「自由と民主主義」が「排除」や「あやしい戦争」の正当化に利用されちゃってるし(そういや、日本国憲法のリベラリズムが大嫌いそうな安倍さんも「自由と民主主義」を連呼してるような)。



でも、いくら腐ってもこういう原則や伝統はアメリカには根強く存在するとは思う。というか、そう信じたい。ような気がする(笑)。というか、僕の触れたアメリカさんは大丈夫だった(洗脳されてんのかな)。

いや、別にそういう原則や理念や伝統が実際のアメリカ社会に広く反映されていないとしても、どっかしらに根強く存在するだけで十分かも。困ったときに参照できるような状態になってさえすばそれでいいのかも。僕ら日本人は困ったときに日本の何を参照するんでしょうか。



ダラダラ長くなったんで、つづき。↓

国旗保守国歌愛国②
[PR]
by mudaidesu | 2006-10-04 13:18 | ナショナリズム


<< 国旗保守国歌愛国② メインページ 二つの意見 櫻田さん① >>