嫌韓@MLB掲示板とか、属性とか。


ある意味、「靖国とかアメリカとか。」あたりのつづきっぽいともいえる。

というか、だいぶ昔のネタなんだけどちょっと前に思い出したんで。




野球と嫌韓ネタについては、「「神聖なる野球」への冒涜 僕の「民度」」とか「巨人韓国人四番とか嫌韓とか」とか「続・巨人韓国人四番とか嫌韓とか」とかあたりでちょっと触れた。



まあひさしぶりと言っても、中身はおんなじようなネタなんでとっくに飽きたんですが、ちょっとした話。しばらく前のこと。メジャーリーグの公式掲示板の話。

WBCのとき(ずっと前だな)に覗いてみたら偶然見つけたもの。たいした話じゃないんだけど、象徴的だとは思うんで。いやほんと、いまさらかよ、なんだけど。



ある日本人があるスレッドを立てた。本当に日本人かどうかはたしかめようがないけど、まあ書いた文章を見るかぎり確実だと思う。この人は典型的な「親米嫌韓さん」。陰口になってこの人には悪いんだけど、興味深いものだったんでごめんねってことで。


この人の書いたことを要約すると、こんなかんじ。↓



日本人は韓国人(Korean)とまったく違う文化を持ってます。完全に違います。ルックスも全然違います。日本はアジアには属しません。太平洋に属すると言った方が適切です。親愛なるアメリカ人のみなさん、日本人と韓国人をいっしょにしないでください。区別してください。おねがいします。

私はアジア人は好きです。しかし、それは「特定アジア人」以外のアジア人です。中国・韓国・北朝鮮の「特定アジア人」は日本人を憎んでます。日本人と彼らはわかりあえません。大陸の人と島国の人では根本的なところで、本質的なところで違いがあります。




「アジア人は好きです」とか言いながら、他の場所では韓国人の「先進的」じゃないところや「野蛮」なところや「民低」なところなど他のアジア人(だけじゃなくて日本人含め世界中の人すべて(先進国だろうとなかろうと)でいいですが)蔑視にも容易に転用可能な「根拠」「事実」を列挙して、「韓国人はどうたらこうたら」「韓国人の特性・民族性はどうたらこうたら」言ってたりしてないの?とか思っちゃいますが。




それはともかく、なんだかめちゃくちゃ天然さんというか素朴なんだよね。あまりにあっけらかんとしてて悪気を感じないくらい。自分の言ってることの「アレさ」や「奇妙さ」にまったく自覚的じゃないというか。


イラク人質問題にしろ嫌韓にしろナショナリズムにしろ、こういう素朴でカジュアルなノリのものに喰いついちゃってる僕ですが(↑の巨人韓国人四番エントリーもそう)。まあでも最近の風潮(もう下火かもしれないけど)を理解する上では、こういうものについてこそ考える必要があるのかもってことで。




で、こういう「奇妙さ」についてだけど、他者から見れば「なんだそれ」って思われるってことに自覚的じゃないってことが奇妙。いわゆる世間の常識と違うことを言ってるって自覚がない。

あまりに日本の嫌韓的な言説に慣れすぎちゃってて、それが「普通」だと思っちゃってて、いわゆる世間や世界の常識との乖離に自覚的じゃないってことだろうか。




「世の中の規範や常識がおかしいんであって、自分が正しい」と思うのは悪くない。ひねくれものの僕としてはその気持ちもよくわかる。けど、自分の思想や考えがどう見られるのか、どこに位置するのかについては多少は自覚的であったほうがいいような。

自覚した上で、あえて「世間の規範や常識に挑戦する」みたいなノリだったら、まあわかる。



世の中を見渡して、自分を自分なりに客観視することは大事かと。その上で、自分なりの考えなり思想なりの正当性を訴え世間に挑戦すべきかと。これは「ナベツネ on NTY」や「イラク人質問題 17  海外報道」とかで書いたことと同じかも。



まあとにかく無邪気すぎるような。それゆえに、より攻撃的で凶暴な言説・言動になってしまったり。幼児の無邪気な残虐性みたいな。





で、↑の話に戻るけど、「特定アジア」という表現について。この人は「specific Asian」と書いてたけど、ようするにいわゆる「特定アジア人」ってことだろう。これなんか完全な蔑視用語になってるでしょ。蔑視したり貶めたりするための「意図」で使われる言葉なんだから。ようするに「差別用語」なのではと。



余談だけど、ただ、僕はあまりレイシズム的なものに対して「差別」という表現は使わない。理由はこんなかんじ。↓



↑で、この二人(レイシスト少女二人組ユニット)を教育したお母さんがちょっとインタビューされてんだけど、「自分のことレイシストだと思う?」と聞かれて、「レイシズムってのは、レイス(人種)に違いを見出すこと(区別すること)。そういう意味では、誰でもレイシストだと思う」みたいなことを言ってた。

これは、その言動は人種差別だとか、民族差別だとか言われた人が、「差別じゃない区別だ」って言うのと似てると思う。「区別だ」と正当化するときに含んでるのは、「違いがあるのは事実。そしてその違いを認識してるだけ。そして、違いを認識するのは当たり前」みたいな主張だと思う。


僕としては、差別的言動とか表現ってのは、ある特定の属性(人種や民族とか)を嘲笑したり蔑視したり貶めたりの「意図」を持ってする「区別」だと思うけど。

日本語だと、普通は「差別」って言葉しかないから「区別してるだけ」みたいな詭弁が容易なんだと思う。だから、ヘイトスピーチとかに関しては「差別表現」みたいな言葉を使わない方がいいと思う。

そんなわけで、僕はわざと「レイシズム」って言葉を選択してる。「差別」って言葉は使わないで、「嘲笑」とか「蔑視」とか「憎悪」とかそういう言葉を使って表現してる。あくまでヘイトスピーチのような表現に関しては。行政のルールとかについては「差別」でいいと思う。


ウケすぎ。愛国ネタ。





んで、そもそも「ジャップ」みたいな表現だって、「ジャパニーズ」を短縮しただけかと。それでも、日本人を嘲笑したり貶めたりする「意図」で使われたから蔑視用語になったのではと。蔑視用語なんてみんなそんなもんかと。使われ方、使われる際の意図によって、そういう用語ができあがる。

「ニガー」ってのもそうでしょ。もともとは蔑称ってより、ただ黒人という意味の言葉の一つだったのではと。黒人そのものを蔑視してたという前提もあるけど、あくまで分類するための言葉なのではと。便宜上、「区別」するための。でも、次第に黒人を貶めるという「特別の意図」を持って使われるようになっていったので、いわゆる蔑視用語と見なされるようになったんでしょう。

そういう言葉を「狩る」かどうか、狩るなら「狩り方」はどうすべきかはまた別の論点。






で、話戻すと、この人の書き込みに対して、レイシズムの臭いを感じとったのか、いろんなツッコミが寄せられた。まあ、ほとんどはアメリカ人からだと思うけど、どんな属性を持った人がツッコんでるかはもちろんわからない。


ツッコミの内容は、「レイシズムやめろよ」「感じ悪いよ」「そういうこと言うなよ」「俺の知ってる日本人・韓国人・中国人はみんな似てるし仲良くやってるぞ」「他のアジア人をバカにしてる日本人って結構いるみたいね」「大陸・島国ってそんなに簡単に違うって言えないでしょ。イギリス人と他のヨーロッパ人もたいして変わらんし」とかまあ普通のツッコミ。

ついでに、あやしい英語に対して「英語を勉強してから来い」みたいに馬鹿にしたような排他的なツッコミは一切ない(←立派)。

レイシズム的な調子に怒りを表してる人もいれば、無邪気なのを感じとって優しく諭そうとしてる人もいた。韓国人(自称ね)からの「まあまあ、そういうこと言わないでよ。アジア人同士じゃないの」みたいのもあったような(他のスレッドだったかも)。





で、僕もちょっと書き込んでみた。

日本人をよく知らない人に、おまけにレイシスト的な傾向のある人に、ああいうのが日本人の典型とか思われたらたまらんな、とも思ったんで(まあそんな人ほとんどいないだろうけど)。偶然見ちゃったのも何かの縁かと。というか、めんどうくさがりの僕が書き込むんだから余程のことかと。

てゆーか、ナショナリストっぷり発揮しちゃったウルトラ愛国者の僕です。

日本を救え!日本人の名誉と誇りを守れ!みたいな声がどこからか聞こえてきました。



んで、あのニューヨークタイムズのオオニシ記事を紹介し(この記事に必ずしも同意するわけじゃないけどイントロとしては悪くない、と但し書きをつけて)、日本の嫌韓とネット状況を簡単に説明した。こういう人けっこういるのよと。

↑の人の書き込みもめちゃくちゃ脱亜入欧米なので、なにげに(西尾さんとかの)「脱亜入欧」思想に触れたオオニシ記事はピッタリかとも思った(西尾幹二とネタとかベタとかロマンとか )。ついでに、日本のレイシスト系のみなさんはほとんど「親米」だよ、とアメリカ人たちに対するイヤミも。




あと、ちょっと経った後に、↑の日本人の書き込みへの敵意剥き出しのものもあったんだけど、おそらく韓国人かなあと思った。この人は「日本人はアジア人じゃなくていいよ。こっちから願い下げ。日本人はアメリカの犬のくせして。ふざけんなよ」みたいなことを書いていた。


これに対しては、「おたくもレイシストっぽいよ。そういうのやめなよ。怒りはわかるけど、違う表現の仕方があんじゃないの」みたいなこと書いた。そしたら、この人、「ごめん。恥ずかしいことしちゃった。レイシストと同じことしちゃった」と。

この人は韓国人じゃなくて、日本に住んでる東南アジアの人(母国では野球は盛んじゃないけど日本で野球好きになったそう)らしい。韓国人や中国人に友だちがたくさんいるから、↑の日本人の書き込みが許せなかったみたい。

レイシストみたいなこと言っちゃう人ってのは、なにげに正義感が強かったり真面目だったりするってのの典型かと。↑の日本人もそうだと思う。真面目っぽい。そして純情。悪い人ではないような。





で、話はここで終わらず、いろいろなツッコミに思うところがあったみたいで、↑の日本人は自分の最初の書き込みを修正した。「ごめんなさい。みなさんを怒らすつもりはなかったです。もうちょっとこのことについて考えたいです。韓国人の友だちもいます」とか書いてた。


ほんとに韓国人の友だちいんのかよ、とは思ったけど。韓国人の友だちがいるなら、いかに韓国人と日本人がいろんな面で似てるかわかるだろうし、↑みたいなこと無邪気に書かないと思うけど。で、結局、恥ずかしくなったのか、このスレッド自体を完全消去しちゃった。




で、思うのは、この日本人が無邪気で純粋なのはわかるんだけど、アメリカの掲示板で、英語の通じる場所で(=何十億人もが読める可能性)、アメリカ人(この人のイメージでは白人?)であろう人たちにガーっとツッコミ入れられたから、ハっとして、考えなおしてみようと思ったのかもしれない。

「名誉白人」として白人さん(イメージ上)たちにしかられるのはいかがなものか、みたいに。



つーか、あんなこと書き込むなら、世界に向けて発信するなら(いや、日本語だろうと何語だろうとネットで書けば世界へ発信だけど)、反発を当然予想してて、でもそれでも「あえて」やってると普通は思うけど、やっぱ素朴に無邪気なだけだったのかなーと。反発に驚いちゃって発言撤回しちゃったわけで。



これが、日本語の場所で、日本人のサヨや「特定アジア人」からの同内容のツッコミだったら、また違った反応を示したかもしれない。






欧米崇拝というか、欧米人(白人)に認められたい褒められたい、みたいなノリって、昔から日本人に広く共有されてると思うけど、これ自体には別に文句はないんだよね。それなりにポジティブな感情だろうしそういうノリって。自尊心の一つの回路としてはそんなに文句ない。

報道の自由度ランキング」で日本が51位で韓国が31位なのを見て悔しいからもっと日本の順位をあげたい、みたいに思うもの回路自体は似てたりもする(違うところもたくさんあるけど)。



ただ、露骨なアジア蔑視みたいなネガティブな感情とモロにドッキングしちゃうと、いや~んばか~んなかんじがしますな。(「靖国とかアメリカとか。」の「抑圧移譲」みたいのとはまたちょっと違うかもね、この感情の動きは。)



おそらく、反中とか嫌韓の前にあった欧米崇拝ってのは、「アジア蔑視」というより「アジア無視」だったと思うんだよね(もちろん「蔑視」もあったけど)。目に入ってない、みたいな。意識の外みたいな。北朝鮮の存在が数十年間そんなかんじだったように。

こういう「アジア無視」みたいのもどうかと思うけど、僕としては、ちらほら書いてきたけど、ボトムラインとしては「スルー」はオッケー。というか、しょうがない。




まあ、美意識の問題かなあ。

超単純化するけど、「ある人やある属性(人種民族国籍等)を侮蔑しまくるけど、違う人や違う属性には媚びる」ってのと、「ある人やある属性を侮蔑しまくるけど、誰にもどの属性にも媚びない」ってのがあったとすると、両方酷いってたら酷いんだけど、どちらがよりみっともないかというと、やっぱ前者のような気がするし。

どうせなら、他者を全部侮蔑したらどうかな、とまでは言わないけど(それも酷いには変わりないし)。で、「ある人やある属性には媚びるけど(欧米崇拝)、他の人や属性には興味がない(アジア無視)」ってのには、まあどうかと思うけど、文句つける気はあんまなかったり。





で、なんでいまさらこんなネタを思い出したかというと、ちょっと前に、欧米に住んでる左派系の方のある文章を読んだから。内容を要約するとこんなかんじ。↓



日本にいたときは、日本人は韓国人や中国人より優れた民族だと100パーセント信じていた。しかし留学したらそんな信念は一挙に崩壊した。海外では、日本人も韓国人も中国人も同じアジア人だということを実感した。日本人だからといって、韓国人や中国人より優遇されることはほとんどない。みんな同じアジア人として扱われる。自分にとって、日本人と韓国人と中国人が同等だというカルチャーショックはとても大きく、自分の中でそれを受け入れて、それを認めるまではけっこう長い時間がかかってしまった。





すごく正直な告白だなと。「欧米人の仲間で、アジア人とは違う」という意識というか欲求みたいなものをとても正直に表現しているなと思った。


「欧米人から与えられた『アジア人』という属性」を素直に受け入れる、ということについてはまた別の論点(オリエンタリズムとか)として議論が必要だとは思うけど、とりあえずそれはスルーで。

というか、他の属性を蔑視しながら「一緒にすんな!」ってのはレィシズム的だけど、レイシズム的なノリなしで「差異を理解しろよ!」ってのは、当然すべき主張かと。差異万歳系の僕だし。






話戻して、自分自身はどうだっただろう?と思うと、あまり記憶になかったり。

何度か書いてるように、なにげに昔は右っぽかった僕ですが、あまり「属性」について考えてなかったような気がする。韓国人とか中国人とか白人とかそういうことが頭になかったような。「スルー系」ですな。

「日本人」という「属性」についての意識、というかアイデンティティはけっこうあったけど、他の属性についてはあまり頭が回ってなかったと思う。ただパッパラパーってかんじで。




そんでもって、住んでたのが基本的にはニューヨークとその近辺なんで、「白人/アジア人」「白人/非白人」みたいな露骨な構図とかは周りに存在しなかった。そのせいか、「属性」についてもだいぶ柔軟というかイイカゲンな感覚になったような気がする。



たしかに「白人」(っぽい人)が数的には一番多いわけだけど、いわゆる「アングロサクソン」的な人々のプレゼンスはたいしたことなかったような。「白人」っぽいといっても、混ざりまくりだし。東欧系だったり南欧系だったりも「白人」なんだろうけど、やっぱ一世代二世代前の移民だったりで、「マスター人種(race)」的な雰囲気はまったくなかったし。


そして、「アジア人」っぽい人や「ヒスパニック」っぽい人たち(「黒人」っぽい人たちも)のプレゼンスがもの凄いし。全然マイノリティってノリじゃなかった。そういう状況だと、「マスター人種(race)的」なノリは存在しようがないかなと。


ついでに、「国籍」という属性についても、外国人がゴロゴロしてるから、誰が何人かなんて誰にもさっぱりわからないし、もちろん不法滞在&不法就労なんて当たり前だし(そういう日本人も無数にいる)。

そんなわけで、「日本人」であり「アジア人」であり「外国人」の僕が疎外感っぽいものを抱くことはほとんどなかった。




そりゃ、立派な高層ビルの上の方には「マスター人種(race)」的な方々もいたんでしょうけど、下々の我々の視界にはほとんど入ってこなかったような。ただ意識してなかっただけかもだけど。

てか、これこそが「21世紀の巧妙な支配の形態」だったりするのかも(笑)。





まあ、そもそも「人種」や「民族」で「属性」の境界をはっきりさせること自体がムリなんだけど。



そ~いや、「ニューヨークタイムス・マガジン」(ニューヨークタイムスの日曜版についてくる)で、いつか 「what is race?」(人種ってなによ?)って表紙があった(いつぞやのベネトンの広告のような)。何十人かの顔の写真が並んでるだけ。混血しまくりでわけわかんねー、骨格白人っぽくて、色は黒かったり、逆だったり、鼻はあれで、唇がこうで、マブタがああで、髪の毛があんなかんじで、とにかく、もうごちゃごちゃ。

raceっていっても、もうわけわからんっすよ。

「ヴィレッジ・ボイス」という、ニューヨーク近辺でばら撒かれてるフリーペーパーがあるんだけど、分厚くて内容も濃い。で、おもしろいのが「lookinng for (探してます)」のセクション。ようするに出会い欄。そのプロフィールのところがすごい。自分の特徴、人種、民族とかについてが。たとえば、「1/4ロシアン、1/8ブラック、1/8アジアン、1/8アイリッシュ・・・」とか、もうわけわからねー、想像できねー、なのばっか。まあ、これはニューヨーク近辺のだからそうなんだろうけど。

http://mudaimudai.exblog.jp/1146492/


こんなかんじだし。




「属性」についての僕の感覚というか自覚は(ようするに自分自身のアイデンティティ)、思い出してみると、時と場合によっていろいろで、関わる他者によって変化してたと思う。

「自分/他者」だとすると、たとえば「日本人/アジア人」「外国人/アメリカ人」「東アジア人/他のアジア人」「日本人/韓国人」とか。



組み合わせによっていろいろ変わったり、同じ組み合わせでも時と場合によって変わったり。

たとえば、「日本人、韓国人、フランス人、インド人、アメリカ人」とかだったら、「外国人/アメリカ人」のときもあれば、「アジア人/欧米人」のときもあったり、「日本人/非日本人」のときもあったり。



時と場合と都合によって、自分の属性やアイデンティティがコロコロ変わるわけだから、一つの属性について「本質主義」的に考えたりするのがアホらしいのは当たり前。人の「属性」を意識するのは、あくまで「便宜上」ってかんじかと。



ちなみに、何度か書いてるけど「みんな同じ」みたいなノリは好きじゃない。「みんな違う」ってノリの方が好き。差異万歳系。
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by mudaidesu | 2006-12-26 23:43 | ナショナリズム


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