亜細亜主義の顛末に学べ
亜細亜主義の顛末に学べ―宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス
宮台真司


宮台の立場は、
1、自立的相互扶助による分権的再配分を主張する
2、<超越>次元を極めて重視する
3、ポジティブ・ウェルフェアを配分原理とする
4、異議申し立て可能性が開かれた限りで倫理よりも設計を重視する
5、謀反肯定


援交OKのロジック





援助交際を批判してフェミニストは言う。「弱者は背に腹はかえられない。現行の家父長制的システムで、弱者たる少女が自己利益の最大化を目指し、自己決定で援交するのは仕方がない。でも、援交によって、性の商品化と裏表一体の家父長制秩序が温存されるのだ」と。

これは木を見て森を見ず。現実を見よ。援助交際に反対しているのは誰か。企業で女を接待される買春オヤジじゃないか。なぜ買春オヤジが反対するのかに問題の本質がある。

フェミニストの勘違いとは異なり、援交の新しさは自己決定にはない。「余儀なくされた者たちの自己決定を擁護せよ」って何十年前の話か。援交の新しさは素人が売る点にこそある。だから小林よしのりが、男のサガなのでプロの女は売っていいが、素人はだめだといったわけです。

こうした買春オヤジの言説こそ、フェミニズムで昔から言われてきた「家父長制的二重規範」そのものじゃないか。こうしたダブスタが家父長制を温存してきた。自分の妻や娘は自分の持ち物なので、玄人女とは別だというわけです。

だったら、、それを解除するために「援交チョーOK」というほかない。「あんたの妻や娘も売ってるぜ、ざまあ見ろ」と買春オヤジに突きつけるしかない。

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あれ?これって、宮台vs上野の対談からだよね?『ザ・フェミニズム』で上野は宮台とほとんど同じこと言ってるような。7月7日のhttp://mudaimudai.exblog.jp/830661 ん~ん、宮台vs上野を読んでみないと。
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西部さんが、「日本の伝統を壊すものだ」。「そりゃ伝統じゃなくて、アンタの思い出だろ」と。家父長制的二重規範など、人口5%の武士階級や、明治末期以降の山の手階級の、贅沢品に過ぎない。

野坂昭如ーーー頼りにならぬ亭主を尻目に堂々浮気し必要あらば身体も売りながら子供を守り、子供が何をしても小賢しく謝ったり弁解したりせず、「私の子に悪気があるはずがない」と愚直に踏ん張るのが、日本のおっかさんだと。

当時の私のイメージでは、援交女子高生はひたすら「内在」をいきるオバチャンで、それゆえに尊敬に値する存在でした。「オウムが死んでもコギャルがのこる」がメーセージだった。むしろ、援交は伝統擁護。

当時は、人々が過剰流動性にアップアップするというより、自分の娘が売ってるかもしれないという既得権益崩壊にアップアップしていた。だから、たくましく若きオバチャンを応援しよう。

ところが、その後、流動的な「内在」に耐え切れず非流動的な「超越」に帰依する者どもによるオウム事件があった。続いて、脱社会的な少年犯罪も出てきた。されに、不登校、引きこもり、そして性愛からの退却が話題に、「内在」をたくましく生きる援交少女たちも、その後にメンヘらーやら、オクスリ系になっていく。

どうも、目算違い。

よって、「既得権益を温存する非流動性をぶち壊せ」よりも、これを「過剰流動性から収益をあげる権益勢力の非流動性」への批判として引き継いだ上、「過剰流動性」自体を批判する方向へ力点を移した。


カルチュラル・プルーらリストは「近代主義者」です。対極には「アジアを守るには反近代しかない」というマルチ・カルチュアリスト。彼らは「反近代主義者」「近代の超克論者」、それは有りえない。「反近代も素朴な反米も、アメリカによって徹底的に計算されてしまうから」。マイノリティーを護持する近代的枠組を脅かすマイノリティーを殲滅せよ、あるいは、マイノリティーを護持する近代的枠組を脅かす者どもの殲滅をマイノリティー護持に優先させよ、という思想はマイノリティーを護持しうるか。

マルチカルチュラリズムもポストコロ二アリズム(反近代)も「悪しき近代主義者(ネオコン)に負けてしまう。」カルチュラル・プルーラリズム(近代主義)しかない。

改憲論ーーー近代的改憲論VS反近代的改憲論
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by mudaidesu | 2005-08-10 22:16 |


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