姜 尚中
姜 尚中


在日 
在日 ふたつの祖国 
8月29日
http://mudaimudai.exblog.jp/834405/

今日、「バックラッシュ」は随所に見られるが、姜 尚中の期待するような日本社会になりつつあるのではないか。今日、姜 尚中が日本について、日本のために、ときには日本を批判しても、誰も違和感を抱かないだろう。ソニンのように、在日であることを堂々と明かし、それが売りでもあり、しかし、それも変な気負いもなく、ごく普通の日本に生きる女の子も芸能界にいる。李 相日が「69 sixty nine 」のような映画をつくる。和田アキ子がカムアウト(記事読んでないし、真意はわからないが)。

同化しつつあるのだろうか?それもまた寂しいことなのかもしれない。一世、二世の思いを記憶しながら、いかに生きれるかだろう。そして、それを記憶するのは、在日である必要もない、私のような日本人が記憶していくべきのものでもあるだろう。



参議院 法務委員会 平成04年05月12日

それから、最後に私の個人的な感情を申しますれば、もし日本という国が実に理不尽な理由で他国から侵略された場合、私は、先ほど例に挙げました日本の若者のように、海外に逃げることはまずないと思います。日本国内にとどまって非軍事的手段において徹底的に抗戦すると思います。したがって、私の方がはるかにロイヤルティーがあるということですね、少なくとも国家に対してじゃなくて日本の社会に対して。これは必ずしもアブノーマルではなくして、人々の生活の本拠がそこにある限りにおいてはその社会の構成員であり、そして立派に一つの仲間であるという観点があれば、国籍によるオール・オア・ナッシングという考え方、これがいかに狭い、そして実態のないものであるかということはすぐおわかりになるのじゃないでしょうか。それが私の基本的な感想です。



憲法調査会 平成13年03月22日
(『東北アジア共同の家をめざして』にも載ってたような)

さらに第六番目には、私が思いますに、ナショナリズムの要件をいかにして引き下げていくかということは、これは国家や国籍というものを通じて、人の身体、運命を決定する事態がますます少なくなっていく時代が来るということでもあります。
 
なるほど、人間の管理、出入国のために、国籍、国籍に準ずるような、人を分けていく、そのような資格要件がなければ国家間の関係が成り立たないということも私は重々承知であります。しかし、私が冒頭申し上げたとおり、日本に生まれたような私でも、メード・イン・ジャパンに対してある意味においては誇りを持っております。そのような人間が、国籍は違っても、日本の社会が理不尽な形で対外的な圧力を加えられ、もし国際的に見ても理不尽な侵略を受けた場合に、日本国籍を持っている人間が日本の国から逃亡しても、日本の社会に私個人はとどまってこの社会の防衛に当たるというような考え方もあり得ますし、ずっと前、私自身は参議院の公聴会の中でそのように申し上げました。
 
つまり、日本の社会に根づいている人間であれば、国籍を持たなくても、この社会を守るということが必然的に国際正義に妥当しているならば、この社会を守るということを、義務としてでなくても、そのように願望し、また、必然的にそのような行動をとるということであります。この社会が住みよい社会であり、そこに自分の本拠地があり、住民として生きていくということが普通のこととして考えられるような人々がいる限りにおいて、あえて国家やナショナリズム、愛国主義というものを唱えなくても、この社会をいわば守り、そしてこの社会の健全なあり方のために、場合によってはみずから進んで犠牲になることもいとわないということを、私自身は先生方の中に理解していただきたいということを申し述べておきたいわけです。

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こう言わなきゃならない悲しさ。

第二次大戦の日系人部隊、ネイティブアメリカン部隊、---マイノリティはより国家に忠誠心を示さねば信用されない。いや、されなかった。過去形。健気に忠誠心を示した人たち。自己の生存のため、共同体のため。悲しい。いや、姜 尚中の発言の意図はこれとは全然違うのだけど、思い出したので。
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by mudaidesu | 2005-08-31 23:03 | ニッポン


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