カテゴリ:本( 38 )
正義論/自由論 寛容の時代へ


土屋恵一郎


正義と自由の問題。異なる利害と権利、価値観をもつ者たちが、どのようにして共に社会を構成し、共に生きることができるのか。一つの中心ではなく、多くの中心をもった、多焦点の社会で、複数の価値観や、人間の物語が語られる社会とは、いかなる社会であるのか。

ジョン・ロールズの正義論をとりあげることになるのは、アメリカ自身が、正義と自由の実験場所であり、思想そのものであったから。多数の人種、文化、宗教、性差別、そのすべての問題について、アメリカはまともに答えを出さなければならなかった。

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by mudaidesu | 2005-12-23 01:16 |
田中宇の無茶!?


ちょっと長いけど、田中さんの文章の一部の引用。


▼無茶なタカ派戦略をわざとやる新中道派

・・・

米政界には「ブッシュ政権がやっているネオコンの戦略は、アメリカの力を無駄遣いしているので、それをやめさせて、強いアメリカを復活させたい」と考えている「中道派」がいるのは事実である。しかしその一方で、中道派の中には「ネオコンの戦略をどんどん過激にやってアメリカの力を無駄遣いさせ、アメリカの覇権を故意に低下させることによって、世界を多極化したい」と考えている「新中道派」とでも呼ぶべき勢力がおり、こちらの方が、旧来の中道派よりも強い。

新中道派にとっては、ブッシュ政権を方向転換させる必要などない。タカ派的な強硬策をどんどん無茶にやっていれば、自然とアメリカは衰退し、中道派が目指していた多極化が実現され、弱くなったアメリカは国際協調主義の方針しかとれなくなる。ネオコンの政策を乗っ取って、中道派の政策を実現しようという戦略である。

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by mudaidesu | 2005-12-15 04:43 |
天皇制・入門

天皇制・入門 1990

赤坂憲雄 岡部隆志 斎藤英喜


朝日新聞 1988 9/28
昭和天皇・・闘病生活 
宮内庁長官が、陛下が長雨による稲の影響を心配しておられたことを明らかにした。
陛下は「雨が続いているが、稲の方はどうか」とおたずねになった。

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by mudaidesu | 2005-11-25 19:29 |
<純粋なるもの>への回帰願望  ぺ・ヨンジュンという思想 


小倉紀蔵(韓国哲学者) 『論座』11月号

同意するしないは別にして、なかなかおもしろかったのでメモしといた。


いわく、「ぺ・ヨンジュンを代表とする韓国のスターたちは皆、理知的で謙虚だし、ファンに対する愛情が深い。家族を大切にするし、国を大切にする。背負っているものが大きいから背筋がピンと伸びている。言葉遣いも美しいし、生き方がストイック。それに比べると、日本のスターって言葉遣いも汚いし、ファンに対しても傲慢。全然理知的じゃないし、背負っているものが何もない。だから感情移入できない」。韓流にハマっている女性たちの声を最大公約数でまとめてみると、こうなる。

彼女たちはヨン様をはじめとする韓流スターを「神聖なるしるし」と見、それと対比させて日本のスターを「俗悪な存在」と見る。

その背景には、日本のテレビが長い間中高年の女性をターゲットとして設定してこなかったことに対する、無意識的な怨念のようなものがある。

しかしそれだけではなく、今の日本が抱えている「時代精神」的な問題に対するひとつの「答え」を、彼女たちが発見した、という側面が非常に強い

それは1970年代後半から始まり、すでに四半世紀続いている「日本型ポストモダン」という「時代精神」に対する明確な否定であった。

ポストモダン(脱近代)においては、理性や主体というのもが否定される。なぜならそれらはモダン(近代)の負の産物だからである。理性や主体の追求が、結局は他者に対する排除・否定という近代の病を生み出すことになった、とポストモダン思想は考える。

今の日本のスターたちは基本的にポストモダン型だから、公的な場において主体的な構えで理性的・優等生的な「他者から期待される」言葉を発するということをしない。そのようなモダンなコミュニケーションをずらし、解体し、無化することがかっこいい、という「脱構築の教育」をされているからである。

ところがこれに対して韓国のスターは皆、モダンである。

民主化や国民国家の形成というモダンなプロジェクトがまさに今進行中の韓国社会において、「俳優」という社会的に尊敬されない職業にある者は、必要以上に主体的で理性的な姿勢を強要される。

その振る舞いが、日本のポストモダンに飽き飽きしていた層に熱狂的に受け入れられたわけだ。

韓国ドラマが「ベタ」なのと同様、韓流スターもまたきわめて「ベタ」な存在である。これを別の言葉でいえば、「純粋」である。

「純粋」をめぐって今、この日本で何かが音を立てて変化しているのである。

すなわち日本型ポストモダンにおいては、「原理」「原型」「理念」などというものからどれだけ遠く離れた位置に自分を置けるか、ということが「純粋性」をはかるものさしであった。それこそがポストモダンだったのである。

ところがモダン韓国では、「原理」「原型」「理念」などにどれだけ忠実であるかということが「純粋性」をはかるものさしである。このモダンで「ベタ」な感覚が今、日本で再び希求されている、ということなのだ。「セカチュー」などの純愛なるものが受けるというのも同じうねりである。

国民国家の形成が終わってしまい、宗教人口も多くない「非ベタ」なポストモダン日本の中で、「モダンでベタな排他的純粋性」を強く求める層が「ベタな韓国人」に吸引されているというわけだ。



韓流ファンやぺ・ヨンジュンの「家族」を見ていると、今回の総選挙における小泉首相をめぐる女性たちを想起する。

小泉首相はどこに演説に行っても、中高年女性から熱狂的な声援を受けた。

それは彼の政治の「中身」とは全く無関係に、この閉塞した状況を一気に変革してくれそうなモダンな姿勢と言葉に対する支持だったのだろう。まっすぐで「純一」なるものしか、このこんがらがって腐りかかった日本を救えない、という時代認識による負託なのである。


小泉首相は自民党をぶっこわすといった。プレモダン(前近代)のネポティズム(身びいき)的、ないし村社会的利権構造を温存する自民党を破壊するという、きわめてモダンな政治家が、小泉首相である。

これに対して「ヨン友」たちが「ヨン様」に負託しているのは、腐りかかった日本のポストモダン的閉塞感をうち破るモダンなロマンティシズムである。

つまり「小泉人気」も「ヨン様人気」も日本をもう一度「モダン」な社会に戻そうとする運動である点において一致する。そして主体性を持った、モダンで「立派な」人間像に対する期待は、国家観にも通ずる。要するに、自立した「普通の=モダンな」国家に日本が変身することへの期待である。

韓流ファンと話していて気づくのは、彼女たちの歴史認識には産経新聞的なものが意外に多いことである。「韓流→モダンな主体性→歴史認識で右寄り」という図式が、ここにできあがる。

小泉首相もぺ・ヨンジュンも、自らの外部に「敵としての悪または腐敗の領域」を広く持っている。すなわちこのような「排除すべき対象」の力が強いうちは、ふたりのカリスマの力も衰えることはないのである。


おまけ。いまさらの話ですが一応。

韓流・出版事情 by ハン・キホ

韓国出版市場に吹いている「日流」

2004年に韓国で翻訳出版された日本書籍は4257冊。これは翻訳合計10,088冊。(総出版点数35,394冊)の42%。アメリカ2684冊。江國香織、村上春樹、吉本ばなな、といった作家は一部の韓国作家を除き、韓国で最高の人気作家だと言っていいほど。
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by mudaidesu | 2005-11-12 03:30 |
対話の回路 小熊英二対談集3 赤坂憲雄 上野千鶴子 姜尚中


赤坂憲雄

小熊

戦後の知識人をいろいろ調べたのですが、吉本さんの国家論は、やはり吉本さんの世代に特徴的な国家論だったと思いました。「戦前=皇国イデオロギー」と一枚岩に認識されがちですが、御真影が全国の小学校に配布されたのは昭和の初頭で、皇国教育が非常に強まるのは1930年代からです。また同時に15年戦争が始まって、「天皇のために死ぬ」というのが青少年の唯一の未来像のようになった。敗戦時に20歳だった吉本さんから、同じく敗戦時に10歳だった大江健三郎さんあたりまでの人たちが、その影響をもろに受けた世代だった

この年代の人は、反戦思想も自由主義もマルクス主義も完全に弾圧された時代に育ってますから、そういう思想にぜんぜん接触する機会がないまま、「日本=天皇」という考え方が非常に強く刷り込まれた。

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by mudaidesu | 2005-10-24 01:31 |
対話の回路 小熊英二対談集2  網野善彦 谷川健一

網野善彦

小熊

進歩史観というか、マルクス主義の発展段階論の単純適用というものへの違和感というのは、60年代からもう出てきていたわけですね。


網野

50年代後半から。農業が発展して、「封建社会」が発展するのが、歴史の「進歩」であるとする見方に対する疑問がそのころから出てきました。

やはり、漁民、漁村の歴史を調べているうちに、それまでの発展段階論では決して処理がつかない別の世界が確実にあるという確信を持つ

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by mudaidesu | 2005-10-20 12:49 |
逃亡くそたわけ







逃亡くそたわけ  by 絲山秋子

21歳の夏は一度しか来ない。あたしは逃げ出すことにした。軽い気持ちの自殺未遂がばれて、入院させられた病院から。逃げるのに思いつきで顔見知りを誘った。24歳の茶髪で気弱な会社員。すぐに「帰ろう」と主張する彼を脅してすかして車を出させた。東へ。そして南へ。おんぼろ車で九州の田舎町を駆け抜けるふたりの前にひろがった暑い夏の物語。(出版社 / 著者からの内容紹介)



浅田彰が絶賛↓


最近の日本文学では、絲山秋子と鹿島田真希って二人の女性作家がかなりおもしろいよ。何と言うか、ホントにイッちゃってる人たちなんだけどさ。絲山秋子は僕も選考委員をやってる文學界新人賞でデビューしたんだけど、『逃亡くそたわけ』って新作は、実際、主人公の女が精神病院で知り合った男と二人で脱走してガーッと九州を縦断するというロード・ムーヴィみたいな小説で、けっこう迫力があるし、方言の扱いなんかがうまくて、やけくその笑いに満ちてる。・・・やっぱり女性でちょっとイッちゃってるぐらいでないと、もはやクリエイティヴィティはないのかも(笑)。

「続・憂国呆談」  田中康夫vs浅田彰
http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200507/


このあと、田中康夫がちょっと触れるけど、草間彌生結構好きなんですよ。僕。最初に個展(?)見にいったときビビビときましたよ。もともと、日光でニキ・ド・サンファルを知って、おおおお!と思ったんですけど、草間さんもそれ系ですね。ニキ美術館のベージも紹介しときます。ついでに草間さんのページも。

ニキ美術館
http://www.niki-museum.jp/

草間彌生オフィシャルサイト
http://www.yayoi-kusama.jp/



で、「逃亡くそたわけ」なんですけど、まいどのことながら、期待しすぎちゃったんで・・・。けど、十分いいと思う。浅田が言うような迫力はあなり感じなかったし、やけくそを期待したけど、そんなにやけくそじゃなかった。けど、乾いた感じがいい。乾いてながらも、なんかあたたかいかんじもあって心地よい。くっだらねー会話やくっだらねーこだわりが意味もなくカラカラと連なってる。カラカラしてるから少しだけ物悲しかったりも。主人公二人の微妙な世間ズレがたまらない。いとおしくなる。

というか、名古屋名物「なごやん」っておいしいの?

なんか九州でロード・ムービー風って映画「ユリイカ」みたいだ。読んでる最中、あたまの中に浮かぶ情景は「ユリイカ」みたいなセピア色だった。九州を全然知らないのが残念。


というか、映画にしてくれ。宮崎あおいでも使って。男は「パッチギ!」の塩谷瞬でいいや。この小説はなんか映画「アドレナリン・ドライブ」っぽいところもあるので、監督は矢口史靖でいいよ。「ウォーターボーイズ」の監督。

てか、宮崎あおいで、この映画見てー。
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by mudaidesu | 2005-10-18 14:27 |
国家の罠  佐藤優


率直に言ってゴルバチョフ派の党官僚は好きになれなかった。「ペレストロイカ」、「グラースノスチ」とか「人類共通の価値」というゴルバチョフが演説で使う用語を多用するが、ことばが浮いている。ゴルバチョフ派の党官僚には信念がなく、時流を見るのに長けた連中が多すぎる。霞が関の小狡い官僚に似ている。

これと比較して、「ソ連共産全体主義体制を叩きつぶすのだ」と公言sるバルト諸国の民族主義者やエリツィンの周囲に集まっていた急進民主改革派の人々はことばと行動が分離していないので好感がもてた。

・・・

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by mudaidesu | 2005-10-16 23:54 |
対話の回路 小熊英二対談集1   村上龍 島田雅彦



村上龍

日本の共同体というと曖昧かもしれないけど、マジョリティに対して、物心ついたときから敵対心みたいなものがあったんです。恐怖心かもしれないけど。何なんだろうということを考える


小熊

(村上の敵)その敵を「日本」という言葉で表していいかどうかという点には留保があるんですよ。・・・(村上が沖縄・北海道を)なぜ好きかといえば沖縄と北海道の人間には「普通の日本人が持っているあるメンタリティ」が欠落していると。それは上の人にペコペコして下の人に威張り散らすようなメンタリティだと。

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by mudaidesu | 2005-10-07 18:41 |
社会科学における人間 大塚久雄

大塚久雄 1977年



諸個人の内部におけるいわば思想的凝固物を通して社会的に現われ、そして、集団全体の文化を性格づけているような、そういう人間の思想と行動の様式が人間類型


マルクス、ウェーバー・・・「ロビンソン物語」を評価

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by mudaidesu | 2005-09-27 19:07 |


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