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窪塚洋介と平成ネオ・ナショナリズムはどこへ行くのか


中島岳志

「論座」一月号。以下引用。コメント欄に感想というか、ちょっと思ったこと。


私たちの世代(1975生まれ)は、一見すると「ゆるく」て「まったり」している。しかし一方で、共通する「熱さ」も持ちあわせている。シラケ・新人類世代のポストモダン的「ズラし」を超えて、オルタナティブな価値や社会のあり方を見いだしたいという欲求が広範に共有されている。ひそやかに自己主張も強い。

この世代的な「ゆるくて熱い」心性は、「現在の20代は政治・社会問題への関心度が高い」という各種の社会調査の結果にも表れている。特に環境問題や平和問題へコミットしたいという欲求は強く、各種のNPO活動に参加する者も多い。そして、このような世代的傾向こそが、ここで「平成ネオ・ナショナリズム」として再定義しようとする新しいナショナリズムのあり方を下支えしている。



私の世代のナショナリズムと、ポストモダンが主流だった80年代的シラケ・新人類世代の表象するナショナリズムでは、その性質が大きく異なる。

80年代に、あえて愛国心やナショナリズムを声高に叫ぶことは、かなり奇抜なことであった。少なくとも戦後民主主義的なパラダイムが存在するなか、「愛国者であることを公に自称するのは不謹慎である」という社会的ディスクールが成立していた。そのため、シラケ・新人類世代で「自分はナショナリストだ」と称する人々は、愛国心やナショナリズムを不適切なものとみなす社会のまなざしが確立しているからこそ、逆説的にナショナリストを自称することでアイデンティティを獲得することができた。

これは暴走族(と一緒。)「自己を不適切であると想定し表象する」ことでアイデンティティを獲得しようとすることこそ、80年代シラケ・新人類世代のナショナリズムの形。ナショナリストであることを自称する福田和也が、パンクロック好きであることをことさら強調し、保守論壇で頭角を現した宮崎哲哉が、自己を「札付きの不良」という言葉で既定しようとしていた・・・。彼らは90年代後半に論壇における地位を確立し、「保守」や「ナショナリスト」という系譜に位置づけられ始めると、さらにそこから自己を意図的にズラし、上の世代の「オヤジ保守主義者」たちに対してアイロニカルな態度をとり始めた。・・・彼らの主体のあり方は、ポストモダンを批判しつつ、ポストモダン的な行動様式をとるというアイロニーを内包していた。ここでは、彼らが「真正のナショナリスト」であるか否かが問題なのではなく、「自分はナショナリストである」と表明したい彼らの欲望・心性にこそ、シラケ・新人類世代のナショナリズムのあり方を考察する上で着目すべきポイントがある。

このような「フェイクとしてのナショナリズム」のサブカル的パロディーが、鳥肌実の右翼芸

これは戦中派の精神主義的ナショナリズムや団塊の世代の「革新ポーズで心情保守」ナショナリズムとも、性質を大きく異にしていた。



80年代末から90年代初頭にかけて冷戦が崩壊し、戦後民主主義批判が論壇の主流を占めるようになると、憲法改正や首相の靖国参拝を主張することが必ずしも少数派ではなくなり、「私はナショナリストである」と標榜することが不謹慎でも何でもなくなっていった。・・・ナショナリズムは素朴な形で遍在化し、そのラディカルなフェイク性を急速に失っていった。

一方で、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアの「ゆるくて熱い」心性は、90年代のナショナリズムの台頭と共振していった。「正論」や「諸君!」を中心に展開された一連の左翼批判言説は、強力な価値やビジョンを希求する若い世代に「外国の言いなりになるばっかのニッポンって、マジ、カッコ悪いッスよ」「自虐史観ってヤバくない?」というメッセージとして咀嚼され、着実に、そして広範に浸透していった。

さらに、このような流れは、エコロジーや反戦運動、オーガニック、ニューエイジ的スピリチュアリティーなど、以前は左翼運動との関連性が強かった潮流と接合していった点でも新しい。ここではナショナルな価値の追求が「母なる大地へのリスペクト」につながり、環境保護や有機農業へのコミットや、イラク戦争を遂行するアメリカへの抗議活動を生み出しているのである。

彼らはイデオロギーを超えて、「熱い抵抗」に吸引される傾向が強い。小林よしのりのゴーマニズムに心を揺さぶられつつ、高田渡や岡林信康の反戦プロテストソングを熱唱する。そこにある論理的矛盾は、「矛盾」として認識されていない。



窪塚洋介・・・成績優秀。しかし、詰め込み式の勉強に疑問をいだき、まじめな高校生活からフェードアウトする。「毎日毎日やることねぇし、金もねぇ/とりあえずマックかカラオケか/コンクリートの居心地がスゲェ気持ちいい/そんな楽しくてくだらない日常のループ」の中で、彼は「オレハダレダ?」というアイデンティティの問題にぶつかる(「GO・・・窪塚洋介」)。

「自分には個性がないんじゃないかってすっごい考えたりしました。俺の個性って何だろう・・・何が好きなんだろう?」



この「自分探しの旅」は、渋谷のストリート文化やヒップホップへとつながり、01年になって「俺は俺のことが知りたい/俺は俺の生きている世界のことが知りたい」という欲求から、一気にナショナリズムへと接続する。そのきっかけになったのが、・・・映画「GO」への出演


「在日」アイデンティティへの反発の中で「俺って何なんだ!」と叫ぶ杉原(主人公)は、それを演じる窪塚自身と逆説的にシンクロし、映画の主題とは反転する形で、窪塚をナショナリストへと変貌させた。


「在日」であることを過剰に強いられる杉原と「日本人」であることを無自覚的に生きてきた窪塚。一方は「在日」という枠を越えて生きる道を選び、一方は自覚的に「日本人」として生きる道を選ぶことになるが、その方向性は明らかに対照的で、両者の歩みは決定的に矛盾している。しかし、この矛盾は、窪塚の中では「矛盾」として認識されてない。むしろ「社会システムへの抵抗」という心性を共有する主体として、強い一体感をもって捉えられている。

では、「在日」であることを強要する社会に抗った杉原に対して、窪塚は何に抗おうとしたのだろうか?

それは、物質的欲望と権力的欲望を最大限に拡張させたアメリカ的システム(窪塚擁護ではバビロンシステム)であり、それに支配され「腑抜けで虚勢され」た現代の日本である。


窪塚が抗おうとする日本は、「アメリカの東京裁判史観にプロパンガンダされ、韓国・中国に内政干渉される『ヨワヨワ』でダセえ日本」であり、それを乗り越えるために、今こそ「真の日本」に目覚めなければならない。そして、「俺が手に入れるべき『本当の自分』」は「日本が手に入れるべき『本当の日本』」とともにある。



そのような彼が、同時期に「俺の話だ」と感じ、強くシンクロした小説がある。ヒキタクニオの『凶気の桜』

ここに登場する女子高生の次のような言葉は、この映画のコンセプトを象徴している。「私ね、日本っていう国は好き。でも最近の日本人は嫌い。でも、一人好きになった」

窪塚にとって打破すべき対象は「フェイクとしての日本人」であり、「純粋な精神を喪失した欲望まみれの日本」である。さらに、ワールドカップになると「ニッポン」を連呼する「ぷちナショナリスト」たちに対しても、彼は苛立ちを隠さない。ここには福田和也や宮崎哲哉のようなアイロニーは完全に欠如し、屈折のないロマン主義がむき出しの形で存在している。




























彼はこの映画の製作過程で、ストリートサイドからの「平成維新」を訴え、ヒップホップやマルコムXの精神を原動力とする社会変革を構想し始める。不純物を一掃し、「真正の日本」を求める心性。

これは同時に、窪塚をニューエイジ的世界へと誘った。



ニューエイジ的世界観と結合したナショナリズム。

これこそが、現在、20代を中心に台頭しはじめている「平成ネオ・ナショナリズム」のかたちである。ニューエイジ的生命主義からオルタナティブな世界のあり方を志向し、エコロジー、反戦平和、メディテーション、有機農業などへの関心が、縄文的アニミズムの称揚や「母なる大地」との一体感を唱えるナショナリズムと結びついているのである。これは窪塚一人の傾向ではなく、広く10代後半から20代にかけて支持を集めるヒップホップやストリートカルチャーの大きな潮流である。


しかし、この窪塚的なナショナリズムのあり方は、何も目新しいものではない。日本はこのようなナショナリズムの潮流を歴史的には経験済みである。・・・昭和初期。

この時期、国柱会をはじめ日蓮主義教団や生長の家、大本教、ひとのみち教団(のちのPL教団)などの新興宗教や橘孝三郎らによる新しい農本主義が台頭し、それと超国家主義ナショナリズムが結びついてったことはよく知られている。

橋川文三は、この超国家主義を「極端なナショナリズム」と捉えるのではなく、「現実の国家を超越した価値を追及する」思想潮流と見るべきことを説き、明治の伝統的ナショナリズムと昭和維新世代のナショナリズムの断絶を強調した。そして昭和初期のナショナリズムが、宗教的存在論の追及を基盤とするホリスティックな世界観を内包している点を指摘


「平成ネオ・ナショナリズム」は、まさにこの昭和初期の超国家主義ナショナリズムのあり方と近似している。石原慎太郎や小林よしのりの言論、「つくる会」の活動の広まりなどを軸として近年の日本ナショナリズムの高揚が指摘されるが、このような旧世代のナショナリズムとはズレる形で、新たな「平成ネオ・ナショナリズム」が形成されつつあると見るべきだろう。後者は前者の言説を否定するのではなく、主体的なデコーディング(読み替え)によって受容し、これまでのものとは異質のナショナリズムを構築している。
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by mudaidesu | 2006-01-03 20:47 | ナショナリズム
イラク人質問題 8  動揺

ここで触れた、人質になっていたドイツ人女性が解放されたようです。

イラクで拉致のドイツ人女性、無事解放 ドイツ政府発表  朝日新聞


ここで触れたアメリカ人は、ここでは殺されたとの報道でしたが、なんか射殺する映像を武装勢力側が出したみたい。

Iraq group posts video of U.S. hostage's 'killing'  Reuters



で、話は変わりますが、イラク人質バッシングは、人生で最も衝撃を受けた出来事の一つだった。人質事件が起きたときどう感じたか。とにかく、衝撃だった。やっぱり、日本人があんなことになると衝撃だった。誰が拉致されても殺されても悲しい話なんだが、かわいそうとは思うけど、正直な話、動揺はしない。

日本人が、となると、動揺した。これは驚き。人質事件のようなことが起こったことにもそれなりに驚いたが、自分が動揺したこと自体にびっくりした。やっぱり自分は日本人なんだなあと。同胞がああいうことになると、感じ方も変わるんだなあと。

バッシングしちゃった人たちも、ある意味、動揺したのかもしれない。そして、その動揺を自分なりに整理する方法としてバッシングを選んでしまったのかもしれない。被害者を他者化する、という方法で。自分とは違う、と切り離すという方法で。自分の中であの出来事を整理しようとしたのかもしれない。動揺してしまい、それをなんとかしようと、自分の中でとりあえず答えを出そうとした結果なのかもしれない。


あと、もう一つ僕が動揺した理由は、やっぱ、知り合いとかにNGOの人や、そういう道に進もうとしてる人がいたからかな。ジャーナリスト志望の人や元ジャーナリストの人もいた。元軍人で人権NGOやら援助NGO志望の人たちもいた。

(そういえば、元シオラレオネ(いつになっても国名を覚えられない)政府軍大佐がクラスメートにいたのを思い出した。あんまり細かい話はしなかったけど、頭キレキレだしとてもきちんとしたオッサンでした。こわい話が出てくんじゃないかとビビって、内戦の話はあまり聞けなかった・・・。シオラレオネといえば、国連平和維持軍数百名(ザンビア兵とケニア兵と国連職員)が反政府軍によって拘束されたことがありました。全員無事釈放されましたが。他の事件で殺された国連関係者はたくさんいる。)


話飛んだけど、なんかすごくシンパシーを抱いたんだよね。あの三人に。これは、バッシング当時、宮台真司が何度も何度も言っていたことに関係するかもしれない。↓


現地NGO活動について「今回行かなかったが自分もいずれ行く」「自分も行きたい」 「周りに行っている人が沢山いる」とのコモンセンス(共通感覚)さえあれば、「費用を 払え」は出て来ない。

逆に言えば「費用を払え」大合唱は、危険を顧みぬNGO活動に対し「明日は我が身」 と連なるコモンセンスを持ち合わせるかわりに、「奇人扱い」して切り離すだけの、国辱 的な民度の低さをさらけ出す。

元人質のうち二人が、同じ日にまず弁護士会館で日本人記者相手に、ついで外人記者ク ラブで外国人記者相手に記者会見した。二人の発言は同じだったが、記者の雰囲気が対照 的なのだ。

日本の国辱記者どもは「迷惑をどう思うのか」「謝る気はないのか」と頭を下げさせよ うとする。外国人記者たちは「よく帰ってきた」「ご苦労さん」という雰囲気に満ち、「明日は我が身」の想像力を示す。

日本の記者どもの国辱ぶりは、NGOで人命救援活動をする者を「奇人」としてカット アウトする民度の低さに留まらない。現地で記者活動をする者をさえ「賤民」としてカッ トアウトする大手メディアの堕落ぶりも同じだ。

・・・

「マスコミは第四の権力」(立法・行政・司法のチェック&バランス機関)が聞いて呆 れる。この「政府ケツ舐めメディア」ぶりを証明するのが、現地入りして取材する者らへ の「立場可換の想像力(同感可能性)の不在」という異常現象だ。

各国記者に散々尋ねられた。日本の記者どもの一種異様な雰囲気、政府の意に従わざる 者をあたかも非国民呼ばわりしかねない傍若無人ぶりは、何なのかと。私は日本の記者ど ものマヌケぶりによって恥辱を浴びたのだ。

右翼思想からみた、自己責任バッシングの国辱ぶり  宮台真司

宮台さん、少々暴走ぎみです。まあ、ほんとに宮台さんも怒り心頭だったようで。その後、安田さんと渡辺さんをvideonews.comに呼んだときも、宮台さん、二人を差し置いてしゃべりまくってました。本人も、のぼせちゃってごめんなさい、とか言ってたような。


僕自身は、自分の欲望に忠実に生きたいと思っていたし、自分にとって文明的で文化的な生活をしたいと思ってた。この場合の文明とか文化は、僕たちが日本や他の先進諸国で享受している消費文化のこと。人権NGOやら援助NGOとかに行く気なんてさらさらなかった。

第三世界とか旅行してても10日くらいで「文明」が恋しくなる自分を発見。現地の食い物も大好きなんだけど、一週間に一回くらいはマックやらピザハットあたりにおじゃましたりした。中東まわってたときなんて、イスラエルに行って、ほんと安心したというかホッとした。

そして当然、イラクなんかに行く、情熱も怒りも勇気も度胸も使命感もなんもない。そんな自分だからこそ、そういうものを持った人間たちがあんなことになっちまってと動揺した。そういう知り合いがいたからそれなりに自分と身近なことなんだけど、自分には絶対できなようなことをやっている人たちだからこそ、めちゃくちゃ動揺した。

おそらくね、高遠さんたちもこういう気持ちだったと思うんだよね。僕が彼らのことを心配したように、彼らはイラクの人たちのことが心配でならなかった。いてもたってもいられなかったと。僕なんて、イラクの人たちやその他世界中の人たちのことを心配したって、別に何をするわけでもない。高遠さんたちを心配したって、何もしなかった。高遠さんたちはなんかする人だったんだよね。

だから、ほんとショックだった。ああ、あいつら死んじまうのかあと。


ついでに、ネットでは、ボロクソ叩きがはじまってんだろうなあと。一応チェックしたら、まあ予想通り。驚きもなんもない。驚いたのは、 「イラク人質問題 5  雑感」でも書いたように、その後のメディアや政治家たちの反応。マジですかー、とポカーンとしてしまった。
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by mudaidesu | 2005-12-19 22:09 | イラク人質事件
オージーの誇り!!! Australia on Fire


シドニー郊外でレイシストたちが大暴れしたようです。約5000人(マジかよ?)。ターゲットにされたのは中東系の人たち。今のところ、数十人の負傷者だけで死亡はゼロらしい。簡単にニュースを紹介。

簡単に言っちゃえば、オーストラリアは前はレイシスト国家、今は多様性を尊重する寛容な他民族国家。シドニー・オリンピックなんてそれを演出しようとしてたよね。

警察によると、ネオナチさんたちと白人至上主義者たちが中心だったらしい。こいつらがビーチに突入してきて暴れ始めたらしい。レイシスト・スローガンを連呼しながら。「No More Lebs(レバノン人)」とか。

ある女性が掲げてたプラカードには「Aussies fighting back」と書かれていたそう。「オーストラリア人たちが立ち上がりはじめたよ!やり返しはじめたよ!目覚めはじめたよ!」みたいなかんじかな。

で、この女性は「Patriotic Youth League(愛国青年団?)」の宣伝もしていたそう。 この団体はオーストラリアのネオナチ組織としてそこそこ有名みたい。ヨーロッパのネオナチや極右組織ともお友だちらしい。ホームページらしきもの(http://www.patrioticyouthleague.org/ )は現在access denied状態。ここが彼らのページかどうかは不明。

バリ島でのテロで6人のオーストラリア人が死亡したんだけど、その後、中東系の人たちに対する排外的なものが盛り上がりつつあったらしい。襲撃が起きたあたりにはレバノン系の人たちが多いみたい。

Neo-Nazis in race riots  The Sydney Morning Herald



警察によると、暴れてた連中の多くはオーストラリア国旗も掲げてて、おまけに国歌まで歌いながら暴れてたそう。警察のお偉いさん曰く、連中は「clearly un-Australian」で、人間として恥ずかしい。「非国民」呼ばわりですか・・・・。

不謹慎にもウケちゃったのは、50人くらいにボコボコにされたという被害者の一人曰く、「僕は半分レバノン人で、半分アボリジニー。I am more Australian than the Anglos(僕の方がアングロサクソンよりオーストラリアンだよ。」

最初にアホ・レイシストたちに襲撃された人は200人くらい(マジかよ)に追っかけられてたそう。この記事の写真は、一人が大人数に瓶とかで殴られてるところ。

Race riots spread to suburbs  T he Sydney Morning Herald



この出来事は、1860人に二人の中国人が殺されたとき以来、最大のレイシスト暴動かもしれないそう。

二人の子ども(4歳と11歳)がいるオッサン曰く、「俺のじいちゃんはオーストラリアのためにジャップ(日本人)と戦った。今、俺がやってることも同じことだ。」

ある人によると、Pauline Hansonが警告してきたことが起こったと。ちゃんと彼女の話に耳を傾けなかったからだと。(たしかに、このポーリン・ハンソンという極右のおばちゃんは、リベラルな政策をやめないと、こういうことがそのうち起きると言ってた。)

Thugs ruled the streets, and the mob sang Waltzing Matilda



ハワード首相(保守派)が会見したようだけど、「レイシスト」という言葉は使いたくないらしい。「レイシスト」という言葉はいいかげんに使われることがあるからとかなんとか。でも、「レイス」を理由に他人に暴力を振るうのは絶対に許されないそう。つか、こういう状況で「レイシスト」を使わないでいつ使うのよ。メディア上では、「レイシズム」や「ナチズム」という表現が踊ってる。まあ、首相がそういう言葉を使うべきかどうかは、たしかに微妙かもだけど。

ちなみに、ハワードさん、東アジアサミットに出るために、イスラム教徒が8割の国(マレーシア)に行く予定。

PM refuses to use racist tag  The Sydney Morning Herald



「オージー!オージー!オージー!」とかやってるオッサンとかも見れます。↓

ニュース映像   The Sydney Morning Herald





Patriotism is the virtue of the vicious.
(愛国心とは悪人の美徳である。オスカー・ワイルド)

Patriotism is the last refuge of a scoundrel.
(愛国心はならず者の最後の逃げ場所である。サミュエル・ジョンソン)
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by mudaidesu | 2005-12-12 11:44 | ナショナリズム
日本人の劣等感と優越感? & 欧米リベラル


「嫌韓流」が巷で話題になってますが、僕自身は本屋さんでザーと目を通しただけです。というか、恥ずかしくて落ちついてチェックできなかった根性ナシの僕。余裕だと思ってたんだけど、いざ、立ち読みはじめると急に恥ずかしくなってきた。レイシストはこの世で一番なりたくないものだから。他人からどう思われようとたいして気にしない僕なんですが、まだまだへタレですね。誰も気にしちゃいないだろうけど、自意識過剰になっちゃう。

で、なぜ、いまさらこの話かというと、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンのサイトを見てたらこんなニュースがありました。

Japanese fad: Comics that degrade Chinese and Koreans (記事全文だよ)
http://www.iht.com/articles/2005/11/20/news/comics.php

ちなみに、ニューヨーク・タイムズでの記事タイトルは「Ugly Images of Asian Rivals Become Best Sellers in Japan」。


で、日本語の記事を検索してみました。↑の記事の内容は↓こんなかんじかと。

「日本の『嫌韓流』は警戒心理・劣等意識の発露」NYT紙  中央日報
嫌韓流や反中漫画紹介・NYタイムズが1面で  日本経済新聞


一面ですか・・・。ちなみに、僕はこの漫画について全然詳しくない。この漫画についての論争にもほとんど興味ない。「論座」で東浩紀が「嫌韓にはリアリズムが欠如してる」とかスカした批評書いてたのを読んだくらい。で、ざっと目を通した印象では、典型的なレイシストのプロパガンダ本だなと思いつつも、それは過大評価かもと思った。というか、ネット上にあるものをプロパガンダ(=イデオロギー的確信犯)ではなく、「金儲け」に使っただけかと。レイシズムが商売になるってことに目をつけただけかと。

ただ、日本でレイシズム描写がメインカルチャーになった記念すべきムーブメントとは言えると思う。ちなみに、「レイシズム」という表現は「他人種・他民族・他国籍等の人びと蔑視」という意味で使ってます。

「まともな日本人」をかっこよく、美しく描き(言い過ぎか?笑)、「愚かな韓国人」を醜く描く。ニューヨーク・タイムズによると、日本人のキャラは大きな目・茶髪の白人っぽいルックス。韓国人は黒髪・細い目のいかにもアジア人のルックス。この記事は、こういう描写は欧米への劣等感・アジアへの優越感からきてるのではと分析。











内容も、「まともな日本人」が「愚かな韓国人」を「論破」し「冷笑」する内容。結論は、「まともな
日本人」が「韓国人ってアホだなあ。やれやれ」と。韓国人を侮蔑・嘲笑することが目的の書。

こういうレイシズム描写のものが堂々と本屋さんに並ぶ光景はなかりシュール。日本人・韓国人を他の民族やら人種に置き換えてみれば、そのレイシズムぶりは誰にでも理解できる。歴史認識がどうとかそういう次元じゃない。描写のトーンが完全にレイシズム。相手を、特定の人種なり民族なりを悪魔化する典型的なレイシズムの手法。

で、このニューヨーク・タイムズのは、ある国で排外主義・レイシズムが盛り上がってまーすって記事で、ドイツのネオナチやらフランスの極右やらを紹介してるのと変わらないノリ。こういう記事にお約束の「xenophobia(直訳は外国人嫌い)」という表現を使ってるし。この記事を読んだ外国の方々からはそう見えるのは確実。ま、実際、そのとおりだと思うし。

ところで、このニューヨーク・タイムズの記者、オオニシさんの評判が一部ですこぶる悪い(笑)。イラク人質事件の際、日本の人質バッシングの野蛮さを批判する記事を書いた人。この前の選挙後も、小泉さんの手法を批判、日本の市民社会の低レベルぶりを書いた。で、後者の記事(と誰が書いたかわからんけどニューヨーク・タイムズの社説)については、産経新聞のあの古森義久さんがご立腹でした(笑)。ちなみに、一部の人たちの間では、ニューヨーク・タイムスは朝日新聞社に間借りしてるので、朝日=ニューヨーク・タイムズ=反日。終わり。ってことらしい。便利な論法だなあ、と感心してます。マジで。


で、僕ですが、何度か書いてきたように、欧米の支配的なリベラル言説にはやっぱり違和感がある。やはりアジア人として欧米で教育をちょっと受けた経験から。僕自身は、一応リベラル系だし、欧米のリベラル言説からはいろいろ学んだし、ものすごい敬意を持ってる。けど、もの足りないものを感じ、ポストモダンやアンチ近代主義的な言説にひかれまくりでもある。アンチ近代の先生もたくさんいたし。

だから、ニューヨーク・タイムズの↑のような日本に関する論評は半分同意どまり。無邪気に全肯定はできない。欧米リベラリズム=市民社会論の理想がまずあって、それへの到達レベルによって非欧米社会を評価してるように感じる。ちょっとしたオリエンタリズムに陥っちゃってるところもある。(「嫌韓流」はオリエンタリズムどころの騒ぎじゃなくてレイシズムの領域にいっちゃってるけど。)別に、それはそれでいいんだけど、日本人がそれをそのままありがたがるのはどうかと思う。このへん難しいところなんだよねえ。「『ネットで広がる愛国心』 by 筑紫哲也のNEWS23」とそこのコメント欄でもちょっと書いたんだけど。ただ、「週刊金曜日」(!)に↑のニューヨーク・タイムズの人質バッシング批判記事を批判する文章があったような気がする。中身はすっかり忘れたけど。

ようするに、ニューヨーク・タイムズの記者の書き方みたいのは、なんか他人事っぽいのよ。安全圏(文明的で進歩的な市民社会)から野蛮なサルどもを論評してるように見えるのよ。(中国・韓国に対してそれをやってる人が批判するのはダブスタだけど。)で、筑紫さんをはじめ日本のリベラル知識人にもそういうところがあるんじゃないかなあと。このへんほんと難しい。ある理念(リベラリズム)に基づいての批判はまったく正当なものだから。

個人的には、「朝日新聞」―「ル・モンド」―「ニューヨーク・タイムズ」―「インターナショナル・
ヘラルド・トリビューン」―「フォーリン・アフェアーズ」の仲良しリベラル・エスタブリッシュメン
ト枢軸のエリートくささがどうもねえ、と思ったり。協力するのはいいことだと思うんだけど。


ところで、↑のニューヨーク・タイムズの記事は「日本人の西洋への劣等感とアジアへの優越感」の話をしてるが、西尾幹二さんにそれを感じるんだよねえ。西尾さんってニーチェ研究者のようだけど、ドイツで嫌なことあったんじゃないの?とか勘ぐっちゃう僕がいる。たまにいるんだよね。外国で嫌な思いして、国粋主義者になって帰国する人が。つかね、外国にいるとその国の嫌なところがやたら目について、母国の良いところが急に見えてきたりするもん。実際は、どこの社会でも長所・短所があんだけど。国粋になっちゃうのは、日本人だけじゃなく、何人にもいる。西尾さんって、そういうタイプじゃないのかなーと勝手に思っちゃってるんだけど。違ったら、ごめんなさい。










西尾さんの「国民の歴史」にも、やたら西洋と日本を張り合わせる記述が多かったような気がする。日本の何々は西洋の何々に匹敵する!みたいなことを何度も書いてたような。別に、西洋といちいち比べないでもいいと思うんだけどねえ。朝鮮人は哀れな民族だ、とか同情じゃなくて侮蔑を込めて書いてたこともあるし。セコイんだよねえ。西尾さんの言う「誇り」って。他所と比べてどうたらこうたらみたいのや、他所を貶めてどうたらこうたらみたいのばっか。逆に情けなくなっちゃう。むなしくなっちゃう。

西洋への劣等感とアジアへの優越感で思い出すことはたくさんあります。そーいえば、「花王アジエンス  チャン・ツィイーCM」でもちょっとだけ触れた。テレビその他ではくさるほど例があるけど、一番記憶に残っているのはさんまの番組かなあ。出演者の素人の女性が「インド人と付き合ってた」と言ったら、スタジオ大爆笑。他の番組でも、ある人が「タイ人と付き合ってた」と言ったら爆笑されてた。別に、嫌韓とかとは違ってみんな悪気はないと思うんだけど、なかなか根は深いですなあと思いましたよ。

なんか書こうと思ったこと全然書けなかった。はやくも飽きちゃった。ニューヨーク・タイムズ的な論調への違和感を素朴に表現してみようと思ったんだけど。念頭にあるのは、アンチ近代の文化人類学者の中国(や日本)市民社会論。欧米の支配的なリベラルからすりゃ、中国の市民社会なんてウンコなんだけど(僕もウンコだと思うし)、ポストモダンとかの学者が違った視点からあざやかな仕事してたりする。またそのうち気が向いたら。



「ネットで広がる愛国心」 by 筑紫哲也のNEWS23



追記:引用ね。

「マンガ嫌韓流」から欧米に対する劣等感が見え隠れするということは同意するけれど、同時に欧米人がよく日本のマンガを見て「日本人が西洋人のような外見に描かれている」と言うのは言葉通り受け取れない。最近は優良なものも増えているとはいえ、欧米のコミックに登場するアジア人はまるで西洋人とは別の生物であるかのようにステレオティピカルにデフォルメして描かれている例が多く、かれらにとって「西洋人のような外見」とはそうしたデフォルメをしていない登場人物のことを言うわけだからね。

欧米のマンガでアジア人がデフォルメされるように「マンガ嫌韓流」においては韓国人の登場人物がデフォルメされて登場するけど、だからといって「このマンガは日本人を西洋人の外見に描いている」というのは間違い。正しくは、欧米のコミックにおいて西洋人が「スタンダード=普通の人間」として描かれているのと同様に、このマンガでは日本人が「スタンダード=普通の人間」として描かれているだけ。(はいはい、本当に劣等感をにじませているマンガもありますよ、でも「マンガ嫌韓流」の場合は当てはまらないと思うのね。)

批判するなら韓国人に対する民族差別的なデフォルメを批判すべきで、日本人がデフォルメされていないからといって「西洋人に似た外見に描いている」なんていうのは、かれら自身の人種偏見を告白しているに過ぎない。日本人の漫画家が劣等感を感じているから日本人を西洋人に似せて描いたのではなく、西洋人の読者が優越感を持っているからこそ、「スタンダード=普通の人間」として描かれている人間がかれらの目には西洋人にしか見えないのです。

*minx* [macska dot org in exile]
http://d.hatena.ne.jp/macska/20051127

ん~ん。すばらしい。




つづき→西尾幹二とネタとかベタとかロマンとか
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by mudaidesu | 2005-11-21 21:49 | ナショナリズム
仏映画 「憎しみ」  フランスでの暴動から


フランスその他で大変なことが起こっちゃってますが、この映画のことを思い出しました。

監督はアラブ系フランス人。















映画に出てくるのは、アラブ系フランス人、アフリカ系フランス人、ユダヤ系フランス人、この三人の若者です。細かいところまでは覚えていませんが、すばらしい作品だと思った記憶があります。感動とかはまったくしないですが、ずしりときます。映像もなかなかスタイリッシュ。この監督の「アサシンズ」というのもアラブ系フランス人の物語。「カフェ・オ・レ」はまだ観てないんだけど、こちらも人種問題について。(「クリムゾン・リバー」シリーズもこの監督。)この監督、役者もやってて「アメリ」にも出てたような。


こんな内容↓

パリ郊外のバンリュー。そこは移民労働者や低所得者層が寄せ集められた町だ。ある日、 バンリューで暴動が発生。そこで暮らす3人の少年が、 刑事から暴行を受け瀕死の状態となって入院した仲間を見舞う。ところが、 3人の一人・ヴィンスは暴動の際に、 警官が落とした拳銃を偶然見つけ拾っていた。無残な仲間を見舞った3人は、 日頃から社会や警察権力に対して抱いていた憎しみを抑えきれなくなり…。

当時27歳だったマチュー・カソヴィッツ監督が、 カンヌ映画祭で最優秀監督賞を受賞し世界的に注目された出世作。バンリューに暮らす若者のリアルな描写と衝撃のラストシーンが大きな話題となり、 各国でヒットした。若者のやり場のない怒りと権力に対する憎しみを、 鮮烈なモノクロ映像で見事に表現した注目の社会派ドラマである。 ( NTT-X Storeより)




フランス人のアイデンティティに関することでちょっとだけ。

よくイギリスとフランスの植民地政策が比較される。単純化すると、イギリスの政策は間接統治で、イギリス人が地元民の上に立って支配するけど、地元民に自治とまではいかないまでも、自分たちでやらせた。その方が効率的ということもあるけど。

一方のフランスは、直接統治で、同化政策のようなことをやってた。極端な話、植民地の人びとをフランス人のようにしようと。

よく出てくる話が、第二次大戦後、イギリス植民地の地元の王子(誰だか忘れた。南アフリカ近辺。ローデシアあたりかも)がオックスフォードに留学中、ある白人イギリス人女性と恋に落ちがが、イギリスで大反発されたらしい。黒人ごときが白人と付き合うなんてと。

フランスではちょっと違う。植民地出身者でも「フランス人」になれる。大臣になった人までいる(コートジボアール建国の父)。セネガル建国の父はソルボンヌ出身の詩人で、フランスの学校で先生をやっていたとき(たぶん)、白人フランス人女性と恋に落ち(結婚した?忘れた)、フランスで祝福されたらしい。だれでも「フランス人」になれるのだが、もちろん条件があって、「フランス文化を愛する」ということ。もちろん、これは主観なんだけど。

イギリスは、俺の方が偉いけど、俺に歯向かわない程度に地元民は勝手にやって、という姿勢。フランスは、地元民もフランス人にしてやるぞ、という姿勢。どっちもどっちなんだけど。フランスは寛容であって寛容でない、みたいなところがあった。

教科書的にはこう言われてますね。

とはいっても、フランス人はフランス文化以外の異文化にも寛容なんだけどね。日本映画についても知ってる人多いし。まあ、この話はキリないし、乱暴な一般化を続けてもしょうがないので、ここまで。

で、この映画はキテますよ。













ちなみに、アラブ人にとって「アラブ人」ってのは「アラビア語を話す人」のよう。「かあちゃんがア
ラブ人」ってのもそう、って話も聞いたような気もするけど忘れた(笑)。日本人にとって「日本人」
ってなんだろうね。もちろん個人の主観でいろいろあるだろうけど。

ちなみに、「○○人」ってのは、書類上とか法的にって意味じゃなくて、人びとの感覚の話ね。


ところで、今回の問題で、フランスの極右政党・運動でアンチ自虐史観の「国民戦線」がますます勢いつきそうですね。「フランス人は誇りを失った。フランス人としての誇りを取り戻せ」と言ってる「国民戦線」が。トップのル・ペンさんは日本びいきなんだよね。そして、ナンバー2のゴルニッシュさんは京都大学にいたみたい。日本に20年(?)くらい住んでたようで、日本研究家(大学の先生?)で大の日本好き。奥さんは日本人。

この人、「おいおい、我々が極右だったら、日本人はみんな極右じゃないか。我々の考えの方が日本の政策よりはるかに左だよ」みたいなこと言ってました。で、「フランスを日本のような国にしたい。自分たちの文化や伝統を大切にする国にしたい」みたいなことも。

というか、他所の国って美しく見えるもんなんだね。てか、ゴル二ッシュさん、めちゃ「自虐的」なんちゃう?自分らのフランス批判は「健全な憂国」で、政敵のフランス人のフランス批判は「自虐的な反仏」なんでしょうねえ。いつものことですが、ナショナリストの思考回路は同じです。

リベラル右翼(?)の鈴木邦夫さんがつくった右翼団体「一水会」の現代表の木村さんは、「国民戦線」のこの二人と仲いいんだよね。反体制右翼同士、反体制ナショナリスト同士ってことかなあ。

鈴木さんや木村さんの良いところは、国内のマイノリティに対する優しい眼差しだと思うんだけど、「国民戦線」とお友だちでいいんでしょうか。やっぱり、フランスは行き過ぎちゃってるから、「国民戦線」の路線くらい許されるということでしょうか。「極右理想の国・日本」はまだまだマイノリティの方々に優しくできる余地があるということなんでしょうか。さすがにフランスのように「行き過ぎ」たらダメってことでしょうか。でも、「行き過ぎ」なんてほんと主観っすよね。

というか、木村さんはフセインにも肩入れしまくってたし、微妙といえば微妙ですなあ。


ま、そんなわけで、↑の映画はキテますよ(笑)。笑いごとじゃないですけど。なにげに、ヨーロッパはいろんな意味で激動の時代に入ってきたようですね。
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by mudaidesu | 2005-11-10 02:44 | 映画
「ネットで広がる愛国心」 by 筑紫哲也のNEWS23 


この前、「筑紫哲也のnews23」の愛国心特集で「ネットに広がる愛国心」みたいなのをやってました。このブログでも、ことあるごとに、映画などの話でもこじつけるようにして、「愛国」や「ナショナリズム」について書いてきました。というか、最近、これ系のネタばかりのような気もする。前回も靖国だし。まあいいや。そんなわけで、このネタについてもちょっと書いときます。といっても、この番組の裏(日テレ・フジ・テレ東)で、ロッテ優勝をやってたのでチャンネルをカチャカチャやりながら見たんだけど・・・。


内容は、二人の「ネット愛国者」の生活を追い、彼らの考えを聞く、というもの。一人は、ケーキ工場で働くフリーターの「愛国者」。もう一人は、投資銀行に就職し「勝ち組」になり、お金を稼ぎたいという「愛国者」。二人とも、日本の「弱腰外交」に憤る。日本が弱いと嫌で、日本が強かったら気持ちがいいのに、みたいな感じ。部屋にはお約束で、あれ系の本が。












二人とも、自分の将来が「不安だ」と正直に告白している。そして、日本が強くなれば、自分も強くなった気になる、みたいなことを正直に言っていた。この「強さ」とは、「文句を言われない」「文句を言える」ということ。中韓相手にでしょう。

どう見ても、この二人が世間の人々のロールモデルとなることはないだろう。テレビを見た人びとが羨望の眼差しで、この二人を見ることはないだろう。

しかし、僕はこの二人に好感を持ちました。コイツラは正直者だと、素直なヤツラだと思った。もしかしたら、コイツラもネットで他人に嫌がらせをしてるのかもしれない。しかし、「筑紫哲哉の番組」に撮られ、料理されることに同意し、遠慮がちながらもホンネを吐露する彼らは、それなりに立派だと思った。勇気があると。というか、僕にはそんな度胸はない。この二人は純粋なんだろうと。嫌がらせなどはしていないと信じたい。コイツラの姿は、僕の好きな憎めない気の弱い日本人そのものだと思いましたよ。そういう日本人が嫌いじゃない。

というかね、中韓うるせーなー、ダマレヨ、みたいな気持ちってそんなに特殊なもんじゃない。僕だって、昔、そう感じてたことありますもん。子どもでしたけど、そのころ保守論壇の議論読んでたら、すっかり感化されちゃってた可能性は否定できない。僕みたいな人、他にも結構いるんじゃないですか?


で、筑紫さんの番組ですが、分析はまったく正しい。不安になった個人が、自己のアイデンティティを国家に投影してるという分析。まったくそのとおりだし、実際、テレビに出た二人も自分自身でそう言っていた。












小熊英二・上野陽子の「癒しのナショナリズム」で描写された、「つくる会」の会合に集まる人々とまったく同じ。というか、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」その他のナショナリズム研究の通り。社会の中の様々な共同体が崩壊し、個人の何かに帰属したいという欲求が満たされない。一人じゃツライ・不安という気持ち、そういうのから、中間(過去の日本なら、企業とか地域とか)をすっとばして一挙に国家へ、という構図。個人のアイデンティティの拠りどころが国家だけ、みたいな。ありふれた図式。












ある「自称ネット右翼」の人が、この番組を見て、「左の人はどうしてほしいのだろうか?」みたいなことを言っていた。この番組は、↑の二人を嘲笑しているように感じたみたい。そして、「ネットで噴きあがって愛国を叫ぶ弱者を批判しているが、そういう彼らにどうしてほしいの?」みたいなことを。「左の思想に共感してほしいのか。または、社会のゴミは消えてしまえと思っているのか?前者なら、その方法は完全におかしい。君たちは、馬鹿だから馬鹿な考えに感化されちまうんだ。オレたちのように頭を使って、まともな考えを持て、と言ってるように見える。社会的弱者のネット右翼である自分にはそう見える。そんな声を聞いて、左側の考えに共感しようなんて思うネット右翼はいないんじゃないか?」


このようなことを思ったようだ。↑は正確な引用ではない。思いっきりパラフレーズさせてもらいました。しかし、内容はこんな感じだった。この番組が「ネット右翼」を嘲笑しているとまでは思わなかったが、僕はこの人と同じように感じた。(というか、僕も自分のこと社会的弱者だと思うし。)この特集に、日本の未来を担うであろう若者二人に対する愛情はあまりかんじなかった。自分たちと違う人たちがいて、彼らがどういう人間か確認して、俺たちと違うと「他者化」して、それで満足しているようにしか見えなかった。自分たちの問題として考えようとしていない。(そりゃ、他人ですけどね。へタレ・ナショナリストとしては、「日本国の問題!!(笑)」として考えようよと。というか、同じ人間の問題として、もう少し突っ込んで考えようよ。まあ、時間足りないですけどね。)

おまけですが、この「自称ネット右翼」の人は好感が持てる。この人には、巷にあふれるお約束の他者(中韓・サヨ)への「憎しみ」があふれていない。それでいて素直。こういう人の声を大切にしたい。


で、この番組についてですが、そういう分析はことあるごとにするべきだし、広く知らしめる必要はある。けどねえ、それだけで終わったってしょうがないんだよねえ。そういう人は「弱い人」ってカテゴライズして終わったら、やっぱり意味がない。↑の方の言うとおりですよ。そういうのは「弱い人」だから、俺のように「強い人」になりましょう、って偉そうに言ったって誰も聞かないって。そう言ってるように思われちゃったら、全然ダメだって。

本来、左派ってのはそういう人たちの味方のはずでしょう。そういう人たちの問題に真摯に向き合い、共に考え、どうしていくかを探るべきでしょう。「あいつらは弱い奴」ですましてどーすんの?と。ベタベタ近寄ったり、媚びたらキモイけど、そーゆー傲慢な(または、そー見える)態度が左派が嫌われる一番の原因でしょう。「つくる会」の「普通の人」による「庶民の常識」に根差した運動が支持されちゃったりする理由でしょう。












嫌がらせとかをやっているのは一部で、大部分の「愛国者」「愛国者予備軍」たちは、それなりに真面目な気持ちでそういうこと考えるようになったのだと思う。少なくとも、自発的に「つくる会」の会合に出るような人は。小熊英二も、「彼らは平均よりも「真面目さ」と「熱情」をもつ人びとなのかもしれない」(あとがきPart2)と言っている。


靖国問題について」でも書いたけど、右は、そういう人びとの不安をさらに煽って動員してる。他者への憎悪を煽って動員してる。おまけに、「おまえは良識があり、誇り高き愛国者だ」と誉め自尊心をくすぐりながら。そういう人たちの俗情に媚びるのが右。(追記:この「右」は巷の売れてるバッシング・マーケットの寵児たちのことね。右思想すべてについてじゃないですよ。)

左はそうじゃない。左は違うやり方で、そういう人たちのために発言しなきゃならないはず。そういう人たちが、いかにして自尊心を得れるかを考えなければならない。国家に自尊心を投影なんてせず、他者を憎悪し己の精神の安定をはかるのでなく、自己の試行錯誤で自尊心を得よ!それがおまえ自身のためになる、と言うのは簡単だが、いかにそれを伝えるかを考えなければならない。

左は、そういう人たちとともに歩まなければならないはず。右とは違うやり方で、そういう人たちとコミュニケーションしなければならない。僕は面倒なんでやりませんけど、本来は、オピニオン・リーダー(なんだよそれ?笑)たちの責任でしょう(他人まかせはよくないかな?)。↑の「自称ネット右翼」の人なんて聞く耳持ってると思いますよ。こういう人の声に耳を傾けてもいいんじゃないかと。こういう人たちに訴えることを想定して、言説を構築しろ、ということです。

はっきり言って、左派論壇の言葉じゃ絶対に説得できないですよ。既存の言葉は完全に輝きを失った。全然響かない。僕にすらまったく、マジでまったく響かない。新しい言葉を生み出さなきゃダメ。他者に響く言葉を。言論・思想とはそういうもん。小熊英二が「民主と愛国」で表現したとおり。そうやって、また言論・思想を発展させていかなければならない。












話変わって素朴な疑問なんだけど、いまいち中国・韓国を憎悪する理由がわからないんだよねえ。いや、もちろん、よくわかるんだけど、一部の日本人が何に憤ってるかはよーく知ってる。マジで熟知しまくり。自分が何言ってんだかわかんないけど(笑)。

ただね、普通に考えると、中華人民共和国と韓国の「公権力」によって(メンドーなんで、とりあえず、中国人・韓国人はおいておいて、国家に限定)、日本人がなんか酷い目に会わされたとかほとんどないよね?別に、大空襲されまくって、家族・同胞を何十万人も殺されたわけでもなし、核爆弾落とされて大虐殺されたわけでもなし、何十年も植民地支配されたわけでもなし、侵略されて家族・同胞を殺されまくったわけでもなし、日本の空を優先的に使われてるわけでもなし、日本に軍事基地があって住民が迷惑かけられてるわけでもなし、その軍隊に日本でいろいろ問題起こされてるわけじゃなし、・・・・・・・・。

多少ムカツクのはわかるけど、憎悪するほどのことなくない?と素朴に思ったりすんだけど。↑のような経験してれば、そりゃ、憎悪の理由はよく理解できる。もちろん、たとえ、↑のような経験してても、「まあ気持ちはわかるけど、憎悪したってしょうがないよ。未来のためにならないよ」と言ってやりたいけど。

まあ、憎悪やら嫌悪みたいな感情ってのは理屈じゃないからなあ。生理的なもんだしね。↑で言ったように、僕自身そういう感情持った経験もありますし。気持ちはよくわかる。

そーいえば、脱北者を支援していた日本人が三人ほど、中国の公権力に酷い目に会わされましたね。あれは怒るべき。

いや、僕自身は、もちろん、中国の公権力にはいろいろ言いたいことあんだけどね。対日本人というより、対中国人その他についてなんだけどね。というか、中国共産党政権がロクデモネーのは当然の前提。
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by mudaidesu | 2005-10-30 01:57 | ナショナリズム
ナチュラル・ボーン・キラーズ vs ノーと言える中国


昨日、友人と話してたら、オリバー・ストーンと「ナチュラル・ボーン・キラーズ」の話題が出た。ちょっと前に、ここのコメント欄でも、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」の話になったんだけど、僕はこの映画大好きなんですね。単純におもしろくて、細かい話は抜きで、ワッハッハって。おまけに、ジュリエット・ルイスが好き。みたいなことを書きました。でも、よくよく考えてみると、あんまりこの映画の内容覚えてないんですよね。トミー・リー・ジョーンズの生首が棒に刺さされて、囚人たちがお祭り騒ぎ、みたいな映像を覚えてるくらいだったり(ディレクターズ・カットの方)。なんでそんなにこの映画が好きなんだろう?と考えてみたら、思い出したことが一つありました。
















なぜって、「ノーと言える中国」ですよ。結構前に読んだんで、中身はたいして覚えてないんですけど、この本のせいですよ。思い出しました。

この本は、中国の若手ナショナリスト、若手の作家やら文化人やら知識人たちが書いたそうですが、ほんとくだらない。当時すごい話題になってたそうで。後から知ってチェックしたんですが、アメリカの新聞やらあっちこっちで取り上げられてたんですよ。それで、なんだよ、すげー本なのかよ、とか思って読んでみたら、とほほでしたよ。とほほ。













そこらで我々が愚痴って笑い話してるレベルじゃないですかと。そんなレベルの話を本にしないでくださいと。

覚えてるところだと、中国人(東アジア人?どっちだか忘れた)は箸を使う。西洋人はフォーク。箸の方が高度だぜ!複雑だぜ!だから中国人の方が優れてる!みたいな。とほほ、です。つか、僕はフォークの方がすごいと思います、と。便利じゃん、フォーク。けど、だからといって、フォークを発明し使ってる西洋人の方がすぐれてるなんて思わんですよ。当たり前ですけど。

チベットのお話も、「アメリカだって、カリフォルニア(その他)をメキシコから奪ったじゃねーか!」「おまけに、アメリカ人は無知だから、それを知らねーの」みたいな。とほほ、ですよ。○○だって、ってガキかと。そんなこと言い出したら侵略し放題じゃないですか。○○だって!みたいなセコイこと言っても、ディベートじゃ有効かもしれませんが、チベット問題を正当化できないし、他人を説得もできませんよ。アメリカ人が歴史知らないのはそのとおりだけど、だからって「アメリカ人そのもの」を嘲笑したらダメですよ。













で、そういう話ばっかだったような気がしますわ。で、なんで「ナチュラル・ボーン・キラーズ」かというと、ちょうどこの映画観たころだったんですよね。この本読んだの。たぶんそんな気がする。

なにを隠そう、この本はこの映画にも触れてるんですよ。しかも、「こんな暴力的で不道徳な映画を作り、観ているアメリカ人は腐ってる」みたいな話してんですよ。またアメリカ人そのものかよ、ですよ。この映画に文句つけるのはいいけど、短絡的にアメリカ人はどうこうに持ってくなっての。

だから、この映画を擁護したいって気持ちが、ひねくれものの僕の中で強くなったのかも。


というか、どこの「ナショナリスト」も思考回路は似てますなあ。私もひそかにナショナリストなんですが、こういう思考回路が嫌なんで、ひっそりと、へタレにナショナリストなんです。こういう思考回路を「ガチ・ナショナリズム」とネーミングしちゃおうかな。

ただ、日本にも「俺たちは損してる!」みたいな鬱屈した感情から、ガチなナショナリズムが高揚していることからもわかるように、中国でもそうなんだろう、と。ある意味、日本より酷いだろうと。話題になった理由も、この本がすごいからじゃなくて、こういうくだらない本が、ガス抜き本が、中国で売れに売れてしまう現象にあったのだろう。

一部の中国人の間じゃ、「損してる!」感は日本人よりもっと強いだろうし。過去や歴史に対する誇りも日本のナショナリストなんかよりはるかに強いだろうし。日本の巷のナショナリストは、過去や歴史を誇るとか言いながらも、侵略戦争や植民地支配を正当化する程度のセコイことしかやってないし。それくらいしか「わかりやすい」「耳ざわりの良い」「誇り」として流通できるものが見つからないんでしょう。

それに比べると、中国のナショナリストが誇りとして利用するものは、もっとダイナミックなものだから、否定するのも難しいし。そういう言説に対しては「すごい。すごい。で?」と徹底的にクールに対応するのがイチバンなんでしょうか。どうでしょう。

この本のような素朴な感情は広く流通しているんだろうな、と。これは日本にも、どこの社会にも言えることだけど、作家や知識人なら、そういう俗情に媚びずに、もっと違う態度で臨んでほしいですね。まあ、スポンサーが権力に近いところなんだろうけど。官製ナショナリズムなんでしょうか。ま、中国はまだ開発独裁の段階だから、そんなもんなんでしょうけど。ただ、最近は、草の根からナショナリズムがきてるようだから少々心配ですねえ。なんとか、ポジティブな方向に向かってほしいもんです。まだ開発独裁だから、(進歩史観のリベラルっぽく)大目に見るべきなんでしょうか?でも、中国は大国ですしねえ。んーん。

まあ、なんだかんだいっても、中国人にはなにげに懐の広い人が多いから、そういう人たちに期待しますか。


ま、そういうわけで(どういうわけなん?)、僕は「ナチュラル・ボーン・キラーズ(ディレクターズカ
ット)」が好きなんですよ。おもしろいでしょ。やっぱ。

というか、すっかり忘れてたんですけど、オリバー・ストーンといえば、ショーン・ペンの「Uターン」ですよ。これ最高。というか、この映画のショーン・ペン最高。なさけなさがすばらしすぎ。


















というか、セリーグもプレーオフやらなきゃ。
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by mudaidesu | 2005-10-24 02:22 | ナショナリズム
共産党は最も愛国的な政党だ! 


論座11月号買ったんです。ヨン様の写真にひかれて。
選挙中の宗男さんみたいなヨン様が気になって。







で、こんな本の書評がありましたよ。

『私の戦後60年――日本共産党議長の証言』

by 不破哲三   新潮社





・・・日本で最も愛国的な政党かもしれない。(共産党について)しっかり学習した。そして驚いた。日本の政党の中では一番筋が通っている。清潔だ。又、アメリカ、ロシア、中国、北朝鮮に対しても一番毅然としている。

・・・

・・・「何にでも反対している」「中国や北朝鮮のような国にしようとしている」「共産党が政権をとったら自由がなくなる。なんせ共産主義政党なんだから」・・・・・と。「断片」から判断するだけでなく、悪意の批判・中傷が加わり、公安警察も卑劣な手を使って弾圧する。だから、「共産党は恐いぞ」と漠然と国民は思ってしまう。

僕なんて特にそうだった。大学時代から右翼学生運動をやっていたから、共産党は「不倶戴天の敵」だと思っていた。ソ連や中国に日本を売り渡す連中だ。売国奴だと思っていた。・・・

ところがアメリカと闘っているのは勿論のこと、共産党は中国とは文化大革命の時、大喧嘩し、決裂している。・・・ソ連の大国主義・侵略主義とも闘った。北方領土返還運動でも一番の正論は共産党だ。「北方領土返還!」と街宣車に大書きしている右翼でも、・・・四島返還だ。共産党は、さらに北千島を。千島全島返還だ!と言う。・・・

これならいっそ外務大臣は共産党にやってもらったらいい。自主独立の毅然とした国になるだろう。でも自民との連立は無理か。だったら単独で政権を取るしかない。一度くらい、やらせてみたらいい。・・・

本を読んで分かったが、旧ソ連、中国、北朝鮮のような「共産国家」は考えていない。むしろ、そんな自由のない共産国家とは一番闘ってきた。だったら思い切って党名を変えたらいい。「新党・愛国」とか。・・・

人間・不破哲三の魅力もよく出ている。作家志望で小学生の時に小説を書き、吉川英治に会いに行った。そんな多感な少年が共産党の理想に共鳴し、運動に飛び込む。少しでも社会をよくしたいと思う出発点は、どの運動も同じだろう。それがどうして争い、闘うのか。又、共産党の運動の中でも反省や悔恨、個人的な悩みや怒りなどもあったはずだ。それは第二弾、第三弾の本に期待したい。こうした<弱さ>を出すことにより、さらに強い、大きな党になれると思う。

「新党・愛国」に党名を変えたらいい by 鈴木邦夫




鈴木さんらしい文章でした。あいかわらず、おまえはほんとに右翼かと。まあ、右翼だからこそ、共産党の「愛国」に共感するんでしょうけど。

そうだと思うんですよね。戦後も、日本民族主義政党、日本愛国政党みたいなかんじで出発しただろうし。僕は共産党の人は好きですよ(あんま知らんけど)。というか、尊敬します。地方選挙じゃ必ず共産党に入れるし。けど、やっぱり、しいていえば、「愛国」的なところがどうもなじめないのかなあ、と。

たしかに、最近の、右のファナティックな愛国と対峙するには、左の愛国が必要なときなのかもしれない。宮台真司風には、「国粋」と「愛国」の違い、を示すことも必要かなあとも(本人は「愛国」打ち出してないですけど)。護憲運動も愛国運動ですしね。けどねえ、やっぱねえ、なんですよねえ。いや、私も、「ひっそりナショナリスト」なんですけどねえ。後藤田さんのところのコメント欄でちょこっと言ったけど。違和感があったりして、ポーストモーダン的なノリにひかれるとこがあったりするんですよねえ。

「愛国」の土俵に<あえて>上がってたたかうこと、ってどうなんだろう。結局、佐藤優さんが言うように、ナーショナリーズムは過激な方が正しいになっちゃうような気もするし。悩むところですねえ。政治の場においては多数を取らなきゃダメなんだから、たしかにしかたがない面もあるでしょうし。福島瑞穂さんまでが自民党にツッコミいれる際に、「私は愛国者ですから」なんてNHKの日曜討論で言っちゃうし。


僕としては「愛国」という表現は極力使いたくないですねえ。だから、自分を描写するときも「ナショナリスト」みたいな表現を使って、揶揄ぎみに、自虐的にやってます。

田中康夫の「日本主義」みたいのは、また新しいというか、違う趣きを持ってますよね。左翼的な愛国とはまた違う。これはこれで、ある種の可能性を秘めているような気がします。というか、ある意味、「保守」っぽい。「愛国」よりは「愛郷」。田中はめちゃくちゃリベラルな感性持ってるし、ポーストモーダンな浅田彰とは大盟友だし、とてもおもしろい。


ところで、不破さんの街頭演説見たたことあるんです。ちゃんと不破さん目当てで、始まる前から待ってた。ミーハーですなあ。で、すごかったですよ。不破さん、すげっ、でしたよ。夕方から夜にかけて2時間近く。ずっと立ったままだったのに、全然あきない。夕方から夜という状況もあって、すごい雰囲気だった。かなり心動かされましたよ。ヤバイヤバイとか思っちゃいました。ああ、ヒトラーはこういう時間帯にすごい演説したんだろうなあ、とかも思った。情緒や情念に弱い僕としては、結構簡単にコロっといきそうな気もしたり。




愛国心なんて、いらねえよ! by a 右翼


鈴木邦夫をぶっとばせ! (公式HP)
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by mudaidesu | 2005-10-17 00:11 | ナショナリズム
花王アジエンス  チャン・ツィイーCM


「くだらね~ ああ くだらね~ ちょー くだらね~ 」の追記で触れたんですけど、コメント欄はいろいろにぎわっていたのですが、誰も相手にしてくれなかったので、もう一度。別に、誰にも相手にしてもらえなくてもいいんですけど。このCM、前々から気になってたんで。


まずは花王のホームページへGO!



花王 
http://www.kao.co.jp/



おお!

チャン・ツィイーさんがいまや会社の顔ですねえ。

じゃあ、彼女の顔のあたりをクリック!

アジエンスに到着したので、TVCMのところをクリック!



アジエンス TMCM
http://www.kao.co.jp/asience/flash/tvcm/



お、いきなりCMですよ。


んー、どうですか~?



追記:

がーん!!!!!

CMの内容が変わっちゃってますよー!!!!

このページで見れないですよー!!!!


・・・・・・・。



でも、気にしない気にしない。

みなさん、見たことありますよね。前のCM。それを思い出してください。

(追記12/7:なんだか、また見れるようになりましたね。ここで言及してる内容のエッセンスがちゃんと入ってるようです。)



ちょっと検索してみても、評判いいですねえ。このCM。たしかにいいCMだと思うんですよ。目のつけどころはすばらしい。なぜいままで誰も思いつかなかったのか?ってかんじですよ。プロダクト・イメージとしても、まさに「差別化」に成功しています。

日本のCM・広告は白人が主人公なものが多いですよね。日本に来た外国人には驚く人が結構います。なんでなの?と何度か聞かれたことがあります。この話には踏み込みませんけど。

「世界が嫉妬する髪へ」というキャッチコピーもすばらしいです。日本人の心を捉えてますね。時代の空気を反映しているとも言えます。白人の真似する時代は終わった。これからは、日本人が日本人として、世界で活躍する!みたいなかんじでしょうか。(ちなみに、音楽は坂本龍一さんだそうです。)

















へタレナショナリストな僕としても、アジア人としても、白人礼賛CMなんかと比べたらはるかにいい。実際、すばらしいCMだと思いましたし。うまい!と感嘆させられました。白人たちの前で、白人たちに拍手喝采受けてるところは、あいかわらずですけど。そんなに、白人に誉められたいかと。へタレナショナリストとしては、こういうセコイ描写はホドホドにしてくれ!とか思ったり。アジア人の誇りを強調しながら、結局、コンプレックス丸出しじゃねーかと。まあ、それはおいておきますけど。実際、白人に日本人が誉められてる話のCMは他にも多いし。


追記:以下は、前のCM内容を思い出してね。覚えてるよね?


そして、僕の印象でも、たしかに、アジア人女性の髪は平均すると綺麗ですよ。まさにそのとおり。だけどねえ、白人のボサボサ・チリチリ髪を出さんでもいいでしょう、と。アジア人女性の美しい髪に嫉妬してる白人女性を描かなくてもいいでしょう、と。アジア人女性の美しい髪だけ見せときゃいいでしょう。それに喝采する白人さんたちを見せときゃいいでしょう(ほんとはこれもイランけど。違う意味で)。

あの、ボサボサチリチリ白人女性の描き方は酷すぎますよ。



というか、 レ イ シ ズ ム  ですよ。



もし、逆のことやられたらどうすんの?と。

ん~、たとえば、引き締まった体の二枚目白人男性の引き立て役に、ヘロヘロでかっこ悪いアジア人男性が出てきたら?そんなCMあったら?かっこ悪いアジア人男性を尻目に、アジア人女性たちから羨望の眼差しで見つめられるかっこいい白人男性!みたいなCMが欧米で流れてたら?

中国人や韓国人にバカにされるのはヤダけど、白人にバカにされるのはしょうがない、なんてマヌケなこといわんでしょう。

僕自身は、誰にバカにされたって余裕ですけど、やっぱ、そういうのはイカンでしょう。


というか、このアジエンスのCMも、ある意味では、白人が主役ですよね。このCMを作った人、そして見てる我々の意識の中では。「白人」が嫉妬し、「白人」が誉める、という部分なしには成り立ちませんし。それがこのCMの本質ですし。

いまだに、こんな意識でどーすんの?でしょう。
力道山の時代からどのくらいの時が経ったのやら。
ひょっとしたら、僕の性格が悪いだけなんでしょうか。


ちなみは、僕はチャン・ツィイーさん好きですよ。「グリーン・デスティ二ー」と「LOVERS」は映画も好きだし。「ラッシュ・アワー2」と「HERO」は映画はイマイチだったけど、彼女は良かったし。「初恋のきた道」はキモかったけど。「オペレッタ狸御殿」は観れなかったけど観たいし。



「くだらね~ ああ くだらね~ ちょー くだらね~ 」






追記:

「とくらBlog」からTBもらったんで、簡単な返事です。コメント代わりです。このエントリーをTBしてどーすんだ?ってかんじもしますが、細かいことは気にしません。間違って↑読んじゃった方、ごめんなさい。

で、いやー、すっかり政治話から遠ざかってますよ、私のところは。ダメな奴です。ほんとに。現実逃避しまくりです。

なんか、私が「彼らは彼らで戦略的にやっているのでしょうから」と言ったとそちらに書いてありますが、読んだとき、「あれ?俺、そんなこと言ったっけ?」とか思ってしまいましたよ。リンク先の「旧とくらBlog」へ行ったら、ああ、そういえばあんなこと言ってたなあ、と。だいぶ昔のように感じてしまいました。選挙前の一ヶ月ほど、日本の国内政治に目を向けたことは過去にありませんでした。テレビも観まくりましたし。アホアホいいながら。

ちなみに、コメント欄の話ですが、状況をよく把握してないんですが、まあ、想像すると、あんなかんじでこんなかんじだったんだろうなあ、と。意味不明ですが・・・。普段、愛想が悪いだの態度が悪いだの礼儀がなってないだのボロクソ言われてる私が言うのもなんですが、コメントの中身はともかく、ノリがちょっと攻撃的だったのかなあ、と想像してます。成り行き上、私も関係しているので、なんか無責任なかんじですみません。

私は、今、カレーを作ってます。他人に食わせるために。美味いんですよ。私が作ると。俺って、天才!?とか思っちゃったり。
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by mudaidesu | 2005-10-13 12:28 | ナショナリズム
くだらね~ ああ くだらね~ ちょー くだらね~


ちょっと思ったこと。
Kのコダワリ」さんの「人種、民族という虚構」を読んでちょっと思ったことです。

ちょっと引用↓。リンクは省略。


ところで、近年の遺伝子研究の結果、ユダヤ人と「国を持たない世界最大の民族」クルド人との近縁性が解明された。ところがこの研究結果が、「社会的、政治的影響」を理由に学術誌での発表を拒否されてしまったのだそうだ。遺伝子研究の結果は、「人種、民族」という虚構をも暴き立ててしまった。

あちらのコメント欄で、私は、

私なんかからすると、ユダヤ人もパレスチナ人もアラブ人もクルド人もトルコ人もギリシャ人もたいして変わらねーよ、なんですが。というか、バルカン半島の人も南欧も東欧も・・・逆側は南アジアも東南アジアも・・・結局、みんなたいして変わんねーよ、なんですけどね。

と書きました。まあ、いつも物事にサイエンティフィックな視点から鋭く切り込む「Kのコダワリ」さんと、テキトーな感想ですましてしまう私なんですが・・・。


中近東のあのあたりや、バルカン半島あたり、ってナショナリズムを素にした争いが絶えなかったんですよね(他の地域もそうですけど)。でも、はたからみりゃ、たいして変わらんだろ、おまえら、なんですよね。


友人のスイス人の話を思い出した。「俺はイタリア系なんで、アラブ人みたいな顔してんだよな。で、そういうことイタリア人に言うと、連中は怒るの。同じ顔してるくせによお。バカみてー。地中海近辺の奴らなんてみんな同じだろ」みたいな話を、チュニジア人(アラブ人)の前で堂々としてて、さすがだな(何が?ですけど)、と思った。で、スイスのブラックジョークを紹介してた。「夜遅く、黒人と白人、どっちがノックしてたら玄関を開けるでしょう?スイス人の答えは?答えは、黒人です。白人だったら、その人がアルバニア人だったらヤバイから」みたいな話してた。これはピー!ですね。いや、アルバニア難民がヨーロッパで社会問題になってたときの話のようですが。

こいつは全然レイシストじゃないのをみんなわかってるからいいんだけど、お調子もんだから、他所でもそういうノリで人種ネタ振るから、結構みんなヒヤヒヤしてました。人種ネタはおもしろいんだけど、場所と相手をちゃんと考えないとね。



「はたから見りゃ、たいしてかわらねーよ、おまえら」ってのは、中国人、朝鮮人、日本人にも言えますね。

でも、日本の保守派は、日本は別、と。サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」まで持ち出したりして。ハンチントンが世界には8つの文明があって、日本は独自で1つの文明をなしているとしたと。朝鮮なんかは中華(儒教)文明に入っちゃいますよと。

小林よしのりさんなんか大喜びでこれを書いてました。他にもそういう人いたような気もしますが。そ~いや、フジテレビの『報道2001』でちょっと前に、竹村健一さんがハンチントン持ち出してこれ言ってましたねえ。でも、ちょっと思うんですけど、日本について素人のハンチントンさん持ち出してど~すんの?と。だからなんだよ、っすよ。つか、竹村さんの方がはるかに日本に詳しいんじゃないですかと。ハンチントンさんより、竹村さんが言った方がまだ説得力あったりして。ま、どうでもいいんですけど。

(ハンチントンが日本について素人ってのは言い過ぎかも。もともとこの人が世に出てきたのは、欧米先進国以外の国々の政治体制、政治制度発展、政治的安定、経済発展とかについての研究によってだから。)

いや、別に、日本が特別でもいいし、実際そうかもしれない。何を基準にするかで変わってくるし。けど、「日本は特別!中国・朝鮮とは違う!」と言いたがる人って、ようするに、「中国のおまけみたいな朝鮮、独自の誇れる文化のない朝鮮」みたいなこと言いたくて、そして、「そういう朝鮮より日本はすごい!」としたいみたいな。西尾幹二さんなんかにもそういうノリがあると思う。


そりゃ、やだよ。そういうのがなんかいや。


必死になって、民族その他の違いを主張するってのはあんまりかっこいいものではない。それも、自分の方が上みたいなノリがあると余計に。ダサダサ。


前に、台湾人が、あるボリビア人についての話を、あるスペイン人にしたとき、台湾人がそのボリビア人を「スパニッシュ・ガイ」と表現したら、そのスペイン人がちょっとキレた。「あいつは、スパニッシュじゃない。ボリビアンだ。それは、お前のことをジャパニーズというようなもんだ」みたいなことを言った。

細かい突っ込みとしては、ボリビア人はスパニッシュしゃべるけど、台湾人はジャパニーズしゃべらねーよ、ってのがあるが、そんなことは別に言わんかった。このスペイン人の思ってることは、そういう細かいことじゃないから。

このスペイン人は、ヨーロッパのスペイン人であることに、そして、「スパニッシュ」の発祥の地であるスペイン出身であることにやたらと誇りを持ってる人だった。アメリカには中南米出身のスパニッシュを母国語とする人々がたくさんいるので、スパニッシュ・テレビ局がいくつかある。このスペイン人は、そういうのがお嫌いらしく、「こいつらのしゃべってるのは『スパニッシュ』じゃない」とほんとに嫌そうに言っていた。たしかに、スペイン人の話すスパニッシュと、中南米人の話すスパニッシュにはいろいろ違いはあるでしょう。もちろん、中南米のスパニッシュにもいろいろ違いはある。もちろん、一人一人違うし。けど、どれも一応「スパニッシュ」じゃん、よと。

まあ、いちいち突っ込まなかったんだけどね。差別意識がある人と真正面からやり合ってもしょうがないし。余程のことがない限りね。目の前で人が傷つけられない限り。

ちなみに、中南米出身者にもスペインやスペイン人についていや~な文句垂れる人はいる。そして、もちろん、ほとんどのスペイン人は気のいいナイスな奴らですよ。連中のノリにはついていけんけど。つか、うぜ~、と思ったりするけど。お隣のフランス人があんなにノリ悪いのに不思議だなあ。


そ~いや、「ニューヨークタイムス・マガジン」(ニューヨークタイムスの日曜版についてくる)で、いつか 「what is race?」(人種ってなによ?)って表紙があった(いつぞやのベネトンの広告のような)。何十人かの顔の写真が並んでるだけ。混血しまくりでわけわかんねー、骨格白人っぽくて、色は黒かったり、逆だったり、鼻はあれで、唇がこうで、マブタがああで、髪の毛があんなかんじで、とにかく、もうごちゃごちゃ。raceっていっても、もうわけわからんっすよ。

ヴィレッジ・ボイス」という、ニューヨーク近辺でばら撒かれてるフリーペーパーがあるんだけど、分厚くて内容も濃い。で、おもしろいのが「lookinng for (探してます)」のセクション。ようするに出会い欄。そのプロフィールのところがすごい。自分の特徴、人種、民族とかについてが。たとえば、「1/4ロシアン、1/8ブラック、1/8アジアン、1/8アイリッシュ・・・」とか、もうわけわからねー、想像できねー、なのばっか。まあ、これはニューヨーク近辺のだからそうなんだろうけど。

あとおもろいのが、「何月何日の何時頃、どこどこ歩いてた、これこれこんなルックスの女性探してます!」みたいのがあったり。


ま、くだらね~ くだらね~ ちょ~ くだらね~ ですな。




「ピー」といえば、「内P」(内村プロデュース)終わっちゃうんですか~!?  え~~~~!?

くだらね~ の大好きなのに~ !






追記:

ふと思い出したんだけど、チャン・ツィー・イーの出てるシャンプーのCMって微妙じゃないですか?アジア人の女性の髪の美しさを表現するのはいいし、新しい発想で素晴らしいと思うんだけど、白人の女性の醜いチリチリ髪を引き合いに出すってのはどうかと。

これを、逆でやったらヤバイような。白人の美しさに、アジア人の醜さを引き合いに出したらピー!ですよね?細かいこと気にしすぎですかね?



花王アジエンス  チャン・ツィイーCM
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by mudaidesu | 2005-09-27 19:22 | ナショナリズム


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