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「ミュンヘン」とか宗教右派とか他のこととか


「ミュンヘン」観た。かなり前だけど。いちいち観た映画に言及する気はなかったし、してこなかったけど、映画を観るたびになんかグダグダ言いたくなるのも事実。なわけで、「ミュンヘン」について、というか、「ミュンヘン」を観て思ったこと、というか、思い出したことをちょっと。

公式サイト→http://munich.jp/


いきなりだけど、正直、「ミュンヘン」はイマイチだった。僕としては。日本人としては。評判いいし、そこそこ期待してたんだけど。残念。

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by mudaidesu | 2006-04-03 22:26 | 映画
「ホテル・ルワンダ」ネタ


共感と暴露と動揺と切断処理 ホテル・ルワンダ」のつづき。文章紹介だけだけど。

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by mudaidesu | 2006-03-15 20:12 | 映画
白バラの祈り




反ナチ活動グループ“白バラ”のメンバー、ゾフィーと兄ハンスが反戦ビラを配ったために逮捕された。ゲシュタポから決定的な証拠を突き付けられたゾフィーは、ある悲痛な決意を固めていく。

公式サイト



フェルメールを意識してるのかなってな絵が多かったような。


やっぱ、危険をわかっててやったんだから「自己責任で自業自得」。なのかな。反国家的行為らしいし。国家に金までもらってるのに、政府の言うこと聞かないで、あげくに余計なことして国家に迷惑かけたし。あの「3匹」は「三馬鹿」or「3バカ」かな。


しかしながら、僕らの周りでも、映画の中で出てきたような言葉が、似たような文脈で使われてるなあと思った。まあ、昔から、いつでもどこでも、似たような文脈の中で、似たような言葉を使って、人々はやり取りしてきたんだろうなあ。



つーか、僕には無理。ゾフィーにはなれない。

「大儀のために美しく死ぬ」ってなヒロイズムは、逆方向への回路に回収されちゃうこともあるし。
(<至上の価値>と<愛国の源泉>ねじ曲げられた桜


僕だったら、最後の「規則違反だけど」と言いながらタバコをあげる刑務官くらいがいいとこかなあ。どうだろう。せめてそのくらいではありたい。というか、今を生きる現在の僕がそのまま当時にいたら、あのくらいだろう。僕というポテンシャルの人間が当時のドイツで生まれ育ってたら、たぶんお話にならない。想像するだけでコワイ。けど、「いざ」ってときには、ひょっとして腹が据わったりして。ま、そういう状況にならないとわからないっすね。


あの最後のシーンでの3人はかっこよかった。神々しかった。

それは僕が「時代を超えて変わらない大切なもの」をゾフィーたちに見るから。普遍的な価値を。

でも、自爆テロに賛同する人たちからすれば、自爆テロに向かう人たちの姿はまさにあんなかんじに見えるのだろう。そして、彼らにとってもそれは普遍的なものなんだろう。イスラムだとしたら、やっぱりイスラムも普遍性を謳う宗教だし。










ところで、やっぱ、

戦後すぐの共産党は光り輝いて見えたんだろうなあ。




つーか、殺された女性(である必要はないけど)共産党員あたりを主人公にして、日本でもこういうのつくれたでしょ。拷問かなんかのシーンで、宇多田ヒカル の「be my last」あたりをガンガンに流してドラマチックに描いて(しつこいけど)。いや、この曲を最初に耳にしたとき、僕の頭の中で浮かんだ絵がそれなんよ。なんでだか知らないけど。

んで、「震えがとまりませんでした!」とか「良心の大切さと信念を貫くことの大変さについて考えさせられました!」とか「私と同い年の子なのに・・(涙)」みたいなアレ系のCMをバンバンやって。ヒットすると思う。って日本じゃ無理か。情けねぇ。

大島渚も「御法度」なんてスットボケタ作品撮ってないで(嫌いじゃないけど)、こういうのをやってくれよと。僕らの世代の度肝を抜いてくれよと。てか、若い映画人やってくれよ。


ただ、やっぱ共産党員が主人公だとまたちょっと違うのかなあ。ゾフィーは党派性が薄いし(そう見える)、「筋金入りの活動家」ってより、「普通の女性」ってかんじなところがまたウケたんだろうか。「普通のドイツ人」が感情移入しやすいんだろう。あんな状況であんなことやれちゃう人が「普通」なわけないんだけど(もちろん良い意味で。尊敬・畏敬の念を込めて)。

ローザ・ルクセンブルグの場合は、もう歴史上の偉人・英雄ってかんじだから、党派性は気にならないのかなあ。映画「ローザ・ルクセンブルク」もすばらしい(この監督(女性)の他の作品もすごい)。


追記:「三四郎日記」さんがこんなこと書いてた。↓


日本共産党員や共産党の支持者っていうのは、少なくとも心情的には、ゾフィーの側にたっている。これは、単にイデオロギーとかの問題じゃなくて、日本共産党が背負っている歴史によるものだ。

そう、日本にもゾフィーはいたのだ。飯島喜美とか伊藤千代子高島満兎田中サガヨたちだ。彼女たちは特高警察の拷問などによって殺害された。みんな24歳だった。だけど、彼女たちの死は多くの日本国民には知られていない。僅かに数十万人の共産党員や共産党支持者が彼女たちの死を記憶にとどめているに過ぎない。

この辺りが、スパルクス団(ドイツ共産党)のローザ・ルクセンブルクなんかを「通り」(Stra遵me)の名前にするようなドイツとは違っている。

白バラの祈り-感想その2




この映画の監督によると、ドイツでは190の学校がゾフィーの名前をつけてるらしい(公式サイト)。共産党員でも共産党支持者でもない僕も、彼女たち(彼らも)の死をちゃんと記憶にとどめる。













それにしても、直球勝負だった。安易すぎってかんじもしないでもないけど、しつこくドラマチックにしようとしてなかったのがよかった。いや、実は台詞が安易すぎて(リアルなんだろうけど)、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、退屈してしまった僕です。すんません。

でも、昔の人もあんな直球勝負の言葉でやりあってたんだなあ、と感慨深かった。
 
ほんと淡々と話が進んでいった。余計なエピソードとかがないのがいい。判決から処刑までもサクサクと。そこがスゴイ。実際、時間は待ってくれない。時はサクサクと進んでく。もうちょっともうちょっとってのがない。もうちょい待ってくれよーってのがない。そこがツライ。

直球勝負でも、ナチス側の人たちの微妙な葛藤がうまいぐあいに描かれてた。ナチの描き方はステレオ・ティピカルではあるんだけど、その中で微妙な心情をもチョロチョロと散りばめてる。

絵はいいけど、音楽はパッとしなかったけど。


この映画について、ドイツの「保守論壇」はどんなこと言ってんだろ。この映画は、ドイツだけじゃなく、世界中で賞をとりまくってるけど。ネオナチさん以外で、「主流の保守派」にも「反独」とか「売国」とか「自虐」とか言ってる人なんているのかな。日本と違って、体制が戦前戦後で完全に断絶してるドイツじゃさすがにいないのかな。



でも、直球勝負ってのは時代を反映してんのかなあ。ドイツにも「ホロコースト」すら知らないって世代がガンガン出てきてるようだし。ドイツでも、前の世代が共有してたような「前提」がもう存在しないのかもしれない。あそこまで、直球で露骨に言葉で表現しないとわからないのかもしれない。

50年代から70年代くらいまでのドイツ映画は違ってた。過去を引きずってるような作品が多いんだけど、直球勝負ではなかった。メタファーばっかり。それもそれでしつこいんだけど。それで、やたらと重い。というか、キツイ。疲れる。とにかく、ゴダールだのトリュフォーだの同時期のフランス映画とは全然違う。

ただ、そういうドイツ映画だから、ドイツ国内ではあまり人気がなかったらしい。やっぱ、もういいよ、ってかんじなんだろう。数十年後に観てるこっちだって気が滅入るんだし。別に、反省してます!みたいな作品では全然ないんだけど。ただ、過去を引きずってる、過去が陰を落としてる、ってのがチラチラしてるだけなんだけど。


でも、そういう作品を、うんうん、とか思いながら(連合国の)外国人が観てる光景ってのも、うーん、だけど。この作品もそう。よしよし、ドイツ人はちゃんと反省してるな、みたいな。

ドイツ人の反省もいいけど、みんな、自分たちも省みようよと。程度の差はあるけど、↑で書いたように、似たようなネタはどこにでもあるだろうし。


ま、とにかく、はやめに声をあげろ、ってことかな。渡辺清も「なんで言ってくんなかったんだよ!おせーよ!」みたいなこと書いてたし。(砕かれた神  ある復員兵の手記)


てか、ビラは便所とか目立たないとこに撒けばいいのに、って思うのはやっぱ小心者かな。それじゃ、劇的な効果がないね。どーだコラ!ってとこに撒かれてるからこそ、読む人にも勇気を与える。

世界中で、こういう人(良心の囚人)がまだたくさんいるんだよねえ。

アムネスティ・インターナショナル・ジャパンでもリンクしとく。

学校の先生でアムネスティの人がいて、この人はチリ人なんだけど、夫がピノチェト政権下で拷問受けて殺されたそう。ピノチェトを支えてたアメリカに移住するってのがすごい。おまけに、同僚に、悪名高い「School of the Americas」(中南米の軍人たちを教育するアメリカの学校で、ここで教育を受けた人たちが、拷問とか弾圧に関わりまくり)の理事だった人がいた。

この前、チリ初の女性大統領になったミシェル・バチェレも拷問経験あるみたいね。

ま、気が向いたら手紙作戦でもやってみて。


しかしながら、この映画についての僕の感想は政治性剥き出しでキモイくらい。でも、この映画を観て、頭をよぎったのはこんなんばっか。一応、ナショナリズム問題あの問題がここんとこ気になってるし。なんでもかんでもこういうネタに回収してしまう。なんか、なんでもかんでも教育基本法と憲法のせいにしちゃう保守オジサンたちの節操ない思考に微妙に似てきちゃったかな。ちょっと前までは「ノンポリ」(この映画でも出てきた表現だけど)だったんだけど。


ああ、せつねぇ。

たいしてすごい映画だとは全然思わなかったけど、映画観て「せつねぇ」と思ったのは「リリイ・シュシュのすべて」以来のような気がする。

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by mudaidesu | 2006-03-05 06:26 | 映画
共感と暴露と動揺と切断処理 ホテル・ルワンダ


ホテル・ルワンダ」のコメント欄で触れたコレについて。↓

『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない!  この人を見よ!


ちなみに、以前、町山さんがこの映画について書いた文章。↓    


『ホテル・ルワンダ』を観て、「アフリカは悲惨だな。先進国が何かアフリカのためにしてやれることはないか」と思うのは、間違っている。この映画は、そういう風にも作ることはできたが、テリー・ジョージ監督(アイルランド人)はそう作らなかった。国際社会や政治の問題としても描かなかった。・・・

わかりやすく言ってしまうと、「アフリカのことは置いといて、とりあえず、これを観た一人一人が各人の生きている場所で隣人を愛してください。一人一人がポールさんになってください。普段の日常から。それが始まりです」ということですよ。・・・

ポールさん自身は英語版DVDの付録で『ホテル・ルワンダ』を見た人に求めることとして次のように言っている。「ルワンダを教訓にして、この悲劇を繰り返さないで欲しい」。つまり、ルワンダへの寄付ではなくて、あなた自身の生きる場所でルワンダの教訓を活かせ、と言っている。・・・(こういうことは)世界中のどこでも起こるし、これからも起こるだろう。・・・

『ホテル・ルワンダ』という映画が観客に求めているのは、アフリカへの理解や、国際社会の対応よりもまず、観客一人一人の中にある排他性、つまり「虐殺の芽」を摘むことなのだ。

「ホテル・ルワンダ」と「帰ってきたウルトラマン」


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by mudaidesu | 2006-03-01 22:17 | 映画
エリ・エリ・レマ・サバクタニ


昨日、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と「ホテル・ルワンダ」を観た。

















「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」は、好きな映画トップ3に入るかもしれない「ユリイカ」のコンビの映画。青山真治と宮崎あおい。「NANA」のところで触れたけど、「ユリイカ」ほんと良かった。すげーなこの青山真治と思った。とか言いながらも、青山の映画は「ユリイカ」しか観てなかった。

「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」公式ページ

宮崎あおいと浅野忠信単独インタビュー



この映画は、藤崎康という批評家によると、「わかりやすさという強迫観念にとりつかれた『テレビ的なもの』に抗う、果敢な映画である」そう(「論座]2月号)。というか、とりあえず、観て。ってかんじ。

映画の前半は、(僕のイメージする)イエス・キリストのような風貌の浅野忠信と中原昌也が、ただひたすらサンプリング用の「音取り」に励んでるシーンの連続。もちろん、やたらに長いカット連発。そして、やっと出てきた宮崎あおいは、メーテルみたいな格好で「ユリイカ」のときのようにただブスっとしてるだけ。

飽きそうな映画なんだけど、不思議とまったく飽きない。最初から最後まで集中しっぱなし。やはり絵がすばらしいからかな。何度も鳥肌立った。とりあえず、観てよ、だね。好き嫌いは分かれるだろうけど。テレビでガンガンCM打ってるけどちょっと心配。

観て、感じてくれ。ってなとこ。
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by mudaidesu | 2006-02-10 00:54 | 映画
ホテル・ルワンダ


昨日、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」の2時間後に観た。実は観るつもりはなかった。正直「いまさらもういいよ」とか思ってた。でも、井筒監督が「虎ノ門」で「観にいけ!」って言ってたし、興行成績に貢献しよう!と思って行った。たいして入ってないかと思ったら、小さいところだけど毎回超満員みたい。

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by mudaidesu | 2006-02-10 00:26 | 映画
映画 「ザ・ロック」 


ちょっと前、マイケル・ベイの「ザ・ロック」をまたま観た。実はこの作品好き。僕の中では、90年代のアメリカ・アクション大作NO1が「ターミネーター2」。これはダントツ。他の追随をまったく許さない。で、NO2が「ザ・ロック」。





脱獄不可能の刑務所があったアルカトラズ島に、神経性毒ガスを奪ったテロリスト軍団が観光客を人質にしてたてこもった。タイム・リミットは40時間。FBIは化学兵器のスペシャリスト(ニコラス・ケイジ)と、33年前アルカトラズ島を脱獄したという男(ショーン・コネリー)を「ザ・ロック」と呼ばれる鉄壁の要塞へと送り込む。 ・・・エド・ハリスが、「テロを決行しなければならなかった」テロリストのリーダーとしての内面的葛藤を熱演してみせる。・・・(伊藤文恵) amazonから



↑の内容紹介文読むとつまらなそう。写真もダッセーし。でもおもしろい。「ザ・ロック」はストーリーもさることながら、細かい台詞とか「間」がすごくうまい。編集のタイミングが絶妙。次から次へとイケてる台詞がナイスなタイミングで出てくる。何度観ても飽きない。毎回、クスッとしてしまう。

この映画の音楽は有名だけど、この音楽、その後の映画音楽にすごい影響を与えてる。似たような曲があちこちで使われてる。「踊る大走査線」でも音楽真似してるでしょ。たしかに「ザ・ロック」の音楽はかっこいい。はずかしいくらいベタな音楽なんだけど。もちろん映像なしじゃ絶対に聴けない。映像なしで聴いたら身体のあちこちが痒くなるのは確実。

マイケル・ビーンがチョイ役で出てんだけど、イケてる。おまえはそういうのやらせたら最高だなと。役柄としては、「ターネーター」と「エイリアン2」のときとほとんど同じ。「ザ・ロック」じゃだいぶチョイ役だけど。


僕好みのこんな↓台詞もあった。

エド・ハリスとショーン・コネリーのやりとりで。ちょっとだけなんだけどイケてた。エド・ハリスのキャラはテロの首謀者。末端の兵士にを使い捨てにする国家の冷酷さに、国家の嘘つき野郎ぶりに、ついにぶち切れた伝説的将軍。極右的。白人至上主義系じゃなくて、真の自由を!系。国家権力ふざけんな系。(ランボーにも通じるところがあるかも。)

一方のショーン・コネリーは、元イギリスのスパイ。アメリカの国家機密を盗む任務中、捕まっちゃった。イギリス政府には見捨てられるし、アメリカ政府には裁判なしでネルソン・マンデラより長く獄中にぶちこまれる。ようするに、こっちも国家権力に酷い目に会わされた。

その二人が敵同士なんだけど、エド・ハリスが、


The tree of liberty must be refreshed from time to time with the blood of patriots and tyrants.  Thomas Jefferson. 

(自由の木は圧政者と愛国者の血を吸って育つ。トーマス・ジェファーソン。)僕解釈:よーするに、善と悪の戦いによって、善の犠牲の上に自由とは勝ち取られるものだと。

と、ジェファーソンの言葉を引きながら、自分のテロ行為を自由のための闘いだと正当化し、いかに自分が「愛国者」かと早口でまくしたてると、ショーン・コネリーが間髪入れずに、


Patriotism is the virtue of the vicious.  Oscar Wilde.

(愛国心とは悪党の美徳である。オスカー・ワイルド。)

と切りかえす。シブイ。シブすぎる。

そのときのショーン・コネリーの声もまたシブイ。で、そう切りかえしたら、いきなりエド・ハリスに銃でガツンとぶったたかれる。そして、ショーン・コネリーは、痛がりながらも、


Thank you for making my point.

(私の言ったことを証明してくれてありがとう。)


いや~、なかなかうまいですねえ。この流れ。

オスカー・ワイルドさんは18世紀イギリスの方だそう。サミュエル・ジョンソンの「Patriotism is the last refuge of a scoundrel」(愛国心はならず者の最後の逃げ場所である)は有名だけど(筑紫さんも、「愛国心特集」で引用してました(笑))、ワイルドさんのは知らんかった(「オージーの誇り!!! Australia on Fire」で紹介しちゃったけど)。

人間の考えることって昔からたいして変わってないね。

まあ、「ザ・ロック」のここの部分はイケてたけど、マイケル・ベイの映画に共通するトーンはあまり好きじゃない。「アルマゲドン」あたりに顕著に出てるけど。安易すぎて。ヒロイズムが。


そうそう、エド・ハリスとマイケル・ビーンのやり取りも味がある。マイケル・ビーン(海軍特殊部隊長)がエド・ハリスに対して「私もあなたの気持ちはよくわかる。私があなたに同意するのを神は知ってる。私たちも、国家やペンタゴンに怒ってる。けど、だからって、反逆して良いわけじゃない。我々は誓ったはずじゃないか。この国を内外の敵から守るということを。」みたいなことを叫ぶ。

まあ、純粋な右翼的な心情持った同士のやり取りですが。このマイケル・ビーンはイケてました。このすぐ後に、マイケル・ビーンたちはぶち殺されちゃうんですけど。切ないシーンです。このシーンだけのためにビーンは出てるようなもん。まあ部隊をあずかるコマンダーとしては、圧倒的に不利な状況なら武器を捨てて投降すべきのような気もしますが・・・。

ショーン・コネリーが娘に会うシーンもなかなかいい。アクション大作とは思えないほど繊細に仕上がったシーン。ベタベタしつこくないのがいい。その前のカーチェイスもすごい。ついでに、一番最後にやられる役なのが「コマンドー」に出てきた人ってのがなんか感慨深かった。

ま、「ザ・ロック」もいろいろツッコミどころは満載だけど、そんなことは気にしない気にしない。
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by mudaidesu | 2006-01-06 00:42 | 映画
窪塚洋介と平成ネオ・ナショナリズムはどこへ行くのか


中島岳志

「論座」一月号。以下引用。コメント欄に感想というか、ちょっと思ったこと。


私たちの世代(1975生まれ)は、一見すると「ゆるく」て「まったり」している。しかし一方で、共通する「熱さ」も持ちあわせている。シラケ・新人類世代のポストモダン的「ズラし」を超えて、オルタナティブな価値や社会のあり方を見いだしたいという欲求が広範に共有されている。ひそやかに自己主張も強い。

この世代的な「ゆるくて熱い」心性は、「現在の20代は政治・社会問題への関心度が高い」という各種の社会調査の結果にも表れている。特に環境問題や平和問題へコミットしたいという欲求は強く、各種のNPO活動に参加する者も多い。そして、このような世代的傾向こそが、ここで「平成ネオ・ナショナリズム」として再定義しようとする新しいナショナリズムのあり方を下支えしている。



私の世代のナショナリズムと、ポストモダンが主流だった80年代的シラケ・新人類世代の表象するナショナリズムでは、その性質が大きく異なる。

80年代に、あえて愛国心やナショナリズムを声高に叫ぶことは、かなり奇抜なことであった。少なくとも戦後民主主義的なパラダイムが存在するなか、「愛国者であることを公に自称するのは不謹慎である」という社会的ディスクールが成立していた。そのため、シラケ・新人類世代で「自分はナショナリストだ」と称する人々は、愛国心やナショナリズムを不適切なものとみなす社会のまなざしが確立しているからこそ、逆説的にナショナリストを自称することでアイデンティティを獲得することができた。

これは暴走族(と一緒。)「自己を不適切であると想定し表象する」ことでアイデンティティを獲得しようとすることこそ、80年代シラケ・新人類世代のナショナリズムの形。ナショナリストであることを自称する福田和也が、パンクロック好きであることをことさら強調し、保守論壇で頭角を現した宮崎哲哉が、自己を「札付きの不良」という言葉で既定しようとしていた・・・。彼らは90年代後半に論壇における地位を確立し、「保守」や「ナショナリスト」という系譜に位置づけられ始めると、さらにそこから自己を意図的にズラし、上の世代の「オヤジ保守主義者」たちに対してアイロニカルな態度をとり始めた。・・・彼らの主体のあり方は、ポストモダンを批判しつつ、ポストモダン的な行動様式をとるというアイロニーを内包していた。ここでは、彼らが「真正のナショナリスト」であるか否かが問題なのではなく、「自分はナショナリストである」と表明したい彼らの欲望・心性にこそ、シラケ・新人類世代のナショナリズムのあり方を考察する上で着目すべきポイントがある。

このような「フェイクとしてのナショナリズム」のサブカル的パロディーが、鳥肌実の右翼芸

これは戦中派の精神主義的ナショナリズムや団塊の世代の「革新ポーズで心情保守」ナショナリズムとも、性質を大きく異にしていた。



80年代末から90年代初頭にかけて冷戦が崩壊し、戦後民主主義批判が論壇の主流を占めるようになると、憲法改正や首相の靖国参拝を主張することが必ずしも少数派ではなくなり、「私はナショナリストである」と標榜することが不謹慎でも何でもなくなっていった。・・・ナショナリズムは素朴な形で遍在化し、そのラディカルなフェイク性を急速に失っていった。

一方で、団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアの「ゆるくて熱い」心性は、90年代のナショナリズムの台頭と共振していった。「正論」や「諸君!」を中心に展開された一連の左翼批判言説は、強力な価値やビジョンを希求する若い世代に「外国の言いなりになるばっかのニッポンって、マジ、カッコ悪いッスよ」「自虐史観ってヤバくない?」というメッセージとして咀嚼され、着実に、そして広範に浸透していった。

さらに、このような流れは、エコロジーや反戦運動、オーガニック、ニューエイジ的スピリチュアリティーなど、以前は左翼運動との関連性が強かった潮流と接合していった点でも新しい。ここではナショナルな価値の追求が「母なる大地へのリスペクト」につながり、環境保護や有機農業へのコミットや、イラク戦争を遂行するアメリカへの抗議活動を生み出しているのである。

彼らはイデオロギーを超えて、「熱い抵抗」に吸引される傾向が強い。小林よしのりのゴーマニズムに心を揺さぶられつつ、高田渡や岡林信康の反戦プロテストソングを熱唱する。そこにある論理的矛盾は、「矛盾」として認識されていない。



窪塚洋介・・・成績優秀。しかし、詰め込み式の勉強に疑問をいだき、まじめな高校生活からフェードアウトする。「毎日毎日やることねぇし、金もねぇ/とりあえずマックかカラオケか/コンクリートの居心地がスゲェ気持ちいい/そんな楽しくてくだらない日常のループ」の中で、彼は「オレハダレダ?」というアイデンティティの問題にぶつかる(「GO・・・窪塚洋介」)。

「自分には個性がないんじゃないかってすっごい考えたりしました。俺の個性って何だろう・・・何が好きなんだろう?」



この「自分探しの旅」は、渋谷のストリート文化やヒップホップへとつながり、01年になって「俺は俺のことが知りたい/俺は俺の生きている世界のことが知りたい」という欲求から、一気にナショナリズムへと接続する。そのきっかけになったのが、・・・映画「GO」への出演


「在日」アイデンティティへの反発の中で「俺って何なんだ!」と叫ぶ杉原(主人公)は、それを演じる窪塚自身と逆説的にシンクロし、映画の主題とは反転する形で、窪塚をナショナリストへと変貌させた。


「在日」であることを過剰に強いられる杉原と「日本人」であることを無自覚的に生きてきた窪塚。一方は「在日」という枠を越えて生きる道を選び、一方は自覚的に「日本人」として生きる道を選ぶことになるが、その方向性は明らかに対照的で、両者の歩みは決定的に矛盾している。しかし、この矛盾は、窪塚の中では「矛盾」として認識されてない。むしろ「社会システムへの抵抗」という心性を共有する主体として、強い一体感をもって捉えられている。

では、「在日」であることを強要する社会に抗った杉原に対して、窪塚は何に抗おうとしたのだろうか?

それは、物質的欲望と権力的欲望を最大限に拡張させたアメリカ的システム(窪塚擁護ではバビロンシステム)であり、それに支配され「腑抜けで虚勢され」た現代の日本である。


窪塚が抗おうとする日本は、「アメリカの東京裁判史観にプロパンガンダされ、韓国・中国に内政干渉される『ヨワヨワ』でダセえ日本」であり、それを乗り越えるために、今こそ「真の日本」に目覚めなければならない。そして、「俺が手に入れるべき『本当の自分』」は「日本が手に入れるべき『本当の日本』」とともにある。



そのような彼が、同時期に「俺の話だ」と感じ、強くシンクロした小説がある。ヒキタクニオの『凶気の桜』

ここに登場する女子高生の次のような言葉は、この映画のコンセプトを象徴している。「私ね、日本っていう国は好き。でも最近の日本人は嫌い。でも、一人好きになった」

窪塚にとって打破すべき対象は「フェイクとしての日本人」であり、「純粋な精神を喪失した欲望まみれの日本」である。さらに、ワールドカップになると「ニッポン」を連呼する「ぷちナショナリスト」たちに対しても、彼は苛立ちを隠さない。ここには福田和也や宮崎哲哉のようなアイロニーは完全に欠如し、屈折のないロマン主義がむき出しの形で存在している。




























彼はこの映画の製作過程で、ストリートサイドからの「平成維新」を訴え、ヒップホップやマルコムXの精神を原動力とする社会変革を構想し始める。不純物を一掃し、「真正の日本」を求める心性。

これは同時に、窪塚をニューエイジ的世界へと誘った。



ニューエイジ的世界観と結合したナショナリズム。

これこそが、現在、20代を中心に台頭しはじめている「平成ネオ・ナショナリズム」のかたちである。ニューエイジ的生命主義からオルタナティブな世界のあり方を志向し、エコロジー、反戦平和、メディテーション、有機農業などへの関心が、縄文的アニミズムの称揚や「母なる大地」との一体感を唱えるナショナリズムと結びついているのである。これは窪塚一人の傾向ではなく、広く10代後半から20代にかけて支持を集めるヒップホップやストリートカルチャーの大きな潮流である。


しかし、この窪塚的なナショナリズムのあり方は、何も目新しいものではない。日本はこのようなナショナリズムの潮流を歴史的には経験済みである。・・・昭和初期。

この時期、国柱会をはじめ日蓮主義教団や生長の家、大本教、ひとのみち教団(のちのPL教団)などの新興宗教や橘孝三郎らによる新しい農本主義が台頭し、それと超国家主義ナショナリズムが結びついてったことはよく知られている。

橋川文三は、この超国家主義を「極端なナショナリズム」と捉えるのではなく、「現実の国家を超越した価値を追及する」思想潮流と見るべきことを説き、明治の伝統的ナショナリズムと昭和維新世代のナショナリズムの断絶を強調した。そして昭和初期のナショナリズムが、宗教的存在論の追及を基盤とするホリスティックな世界観を内包している点を指摘


「平成ネオ・ナショナリズム」は、まさにこの昭和初期の超国家主義ナショナリズムのあり方と近似している。石原慎太郎や小林よしのりの言論、「つくる会」の活動の広まりなどを軸として近年の日本ナショナリズムの高揚が指摘されるが、このような旧世代のナショナリズムとはズレる形で、新たな「平成ネオ・ナショナリズム」が形成されつつあると見るべきだろう。後者は前者の言説を否定するのではなく、主体的なデコーディング(読み替え)によって受容し、これまでのものとは異質のナショナリズムを構築している。
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by mudaidesu | 2006-01-03 20:47 | ナショナリズム
国連と貧乏国とインド人  極妻とノブオと大島渚と藤竜也


国連平和維持活動等で一番、人を出してるのが南アジアの三国。

Monthly Summary of Contributors of Military & Civilian Police Personnel  UN

↑のページの「ranking(2005年11月)」を見るとわかるけど、人を出してるのは貧乏な国ばっか。南アジアやヨルダンやナイジェリアやエチオピアやネパールとか。

僕の知ってたインド人とかパキスタン人とかって、国連の話が好きなんだよね。というか、紛争解決や集団安全保障や平和維持活動や平和構築の話を真剣に議論する。やっぱ、当事者意識があるんだよね。そいつらはエリートもエリートで兵士を送り出す側で送られる側には絶対ならないけど。それでもノブレス・オブリージュを感じた。表現が適切じゃないかも(笑)。

インド人男性たちのウケる話があって、知り合いにたくさんインド人がいたんだけど、こいつら最高。1人の家に遊びに行ったら、地獄絵図を目撃。5人のインド人の男が部屋暗くして、パンツ一丁で、エロビを見ながら、ビール飲んで、素手でカレー食ってた。惚れそうになった。

こいつら、20前後のくせして、おっさんみたいなビールっ腹。みんなエリートの息子。親父が国連職員だったり、インドの国連代表部の人だったり、どっかのインド大使だったり、大学の先生だったり。あんな腹してるくせに、テニスが上手かったり。で、こいつらの作るカレーがまた美味い。

で、こいつらにもちゃんとインド人の彼女がいるんだけど、テニスするときは、女たちは脇でおしゃべりしてるだけなの。テニスやらないの。いやー、カルチャー・ショック。


ところで、GYAOで 「極道の妻たち」の一作目を観たんだけど、なんか感動した。なぜかって、「ビーバップ・ハイスクール」でノブオ役だった俳優が出てたから。城東の山田役(たぶん)の人もいた・・・。同じような演技だった。ついでに清水宏次郎まで出てた。

この作品は前にも観た記憶があるけど、やっぱ岩下志麻いいよ。かたせ梨乃はウザイけど。


ついでに、やくざもの繋がりで「ドンを撃った男」も観た。 もうGYAOでは観れないけど。こんな映画。これVシネのようだけど良かった。おもしろい。実在した人をモデルにしてるようだけど。

というか、極妻もこの映画もそうなんだけど、数十年前はやくざネタがテレビで流れてたの?なんか、映画ではニュースやワイドショーが抗争について詳しく報道してんだけど、最近はそういうのないよね?映画ではやくざが記者会見とかやっちゃってるし。昔は、何々組がどうしたこうしたってのがお茶の間のネタになってたの?


ついでだけど、大島渚の「愛のコリーダ」もGYAOで観れますよ。阿部定の話。無修正じゃなくてボカシ入りまくりだけど。ほんとニッポンはへタレ。映画に対する冒涜。僕はちゃんと修正してないのを何度か観ましたよ。つか、これフランス映画と言えるし。ほんとニッポンはへタレ。せっかく藤竜也が全開でビンビン頑張ってんのに。ニッポン情けなさすぎ。

この映画はすごい好き。すごいですよ。なにがすごいって、エロビと同じ描写なのに、全然エロビじゃない。エロいんだけど、エロさが違う。陳腐な言い方すれば、芸術。絵は全然美しくないんだけど、なんか美しい。ほんとすごい。大島万歳!

この作品ほどダルイ気分になれる映画はない。なにもかもどうでもよくなる。究極の堕落に憧れる。
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by mudaidesu | 2005-12-23 01:43 | 世界
オールド・ボーイ 韓流!?


やっぱこの映画、すげぇ。

以前、超テキトーな感想書いたけど、もう一回。つけたすだけで、またテキトーだけど。


























公式ページ。充実してます。予告編もあります。
http://www.oldboy-movie.jp/ 


簡単な内容紹介↓

1988年、平凡なサラリーマン、オ・デス(チェ・ミンシク)は何者かに誘拐、監禁され、何と15年もの歳月を経て突然解放された。なぜこのような仕打ちを受けたのか真相を突き止め復讐すべく、すぐさま彼は行動に移すのだが…。

日本のコミック(土屋ガロン&嶺岸信明)を原作に『JSA』のパク・チャヌク監督が手がけ、2004年度カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した戦慄の韓流サスペンス映画。暴力シーンはもちろんのこと、パワフルでインパクトに満ちた描写の連続には観る側が疲弊するほどだが、それ以上に、まさに衝撃的という言葉がふさわしい結末には圧倒される。韓国映画界の充実度を改めて痛感させられる問題作。ぜひとも体調を整えた上で、これ以上の予備知識を入れずにご覧になることをオススメする次第である(的田也寸志 アマゾン)



この映画はちゃんと映画館に行ってきた。一応、観ようとは思ってたんだけど、明日行こう!と思わせたのは井筒監督。

テレ朝の「虎ノ門」という番組に「こちとら、自腹じゃ!」という井筒監督のコーナーがある。井筒監督が自腹で映画を観にいって、その映画に文句言うってコーナー。井筒監督はたいていの映画をボロクソ言っちゃう。でも、「オールドボーイ」は大絶賛だった。なので、気合い入れてこの映画観にいった。別に、井筒監督の映画評に普段から同意してるわけじゃないんだけど。

でもねえ、期待しすぎやっぱダメね。ってのは映画観終わった後の感想。それに、井筒監督がテレビで、「ギリシャ悲劇やね」なんてしみじみ言うから、内容がだいたい想像できてしまったのもイタイ。一番盛り上がるところが簡単に想像できてしまった。「韓流&ギリシャ悲劇」と言ったら、どういう内容か想像できちゃう。

あと、最初の30秒がめちゃくちゃかっこいい。マジで良すぎ。震えまくりだった。だから、おおおおおっと、また期待値上がりまくっちゃったんだよね。

一応、カンヌで実質一位(「華氏911」が一位ってのはネタでしょう)だし、まあ、これ系の日本映画に比べりゃはるかにすげーなとは思った。主演のおっさん(チェ・ミンシク)すげーと。日本でこれ作ったら、絶対Vシネになっちゃうよと。


でね、数ヶ月前にDVDでまた観たんだけどね。やっぱいいっすよ。この映画。すごい。で、この前また観たんだけどね。三回も観ちゃった。計五回。やっぱ、すげぇ。よくあることなんだよね。最初は、う~ん、と思っても、回数重ねるうちにどんどんすごいと思えてくることは。

音楽も全部いい。どの曲もシンプルなんだけど独特。ほんとすばらしい。

映像もすばらしい。めちゃくちゃ凝ってるし。一つ一つあげてもキリないけど、やっぱ一番かっこよかったのは最初の30秒と、それと同じシーンが途中にあるんだけど、それ。そのシーンの音楽も超かっこいいし、絵の撮り方がすごいイケてた。どっかからパクってきたようなシーンもあったりするけど、パクり方がかっこいい。というか、よりイケてるシーンにしちゃってたりするのがたいしたもん。

ウケたのが、ビルでの格闘シーン。これみんな言ってたけど、ゲームの「スパルタンX」じゃん。そして、これワンカット。すげー。(ジョン・ウーの「ハード・ボイルド」の病院でのワンカットにはさすがにおよばないが。)

ミド(カン・へジョン)は、まゆげが気になっちゃったし、猫なで声というか、半分泣きの入った猫なで声がめちゃくちゃうざいんだけど、

あの、


ああ おじさん ・・・ おじさん ・・ ああ おじさん ・・・


というところ、

さすがに何回も観てると、字幕なんだけど、ほんとに「おじさん、おじさん」日本語で、言ってるように聞こえてくる。不思議。


というかねえ、井筒監督がこの映画にすごい衝撃を受けた理由は、彼に娘さんがいるからだったんだね。僕としてはストーリーそのものはあまり気にならなかった。いや、おもしろかったんだけど。なんか、この映画、ストーリーにはああだこうだ言う気があまりおきない。ストーリーのどこが弱いとか、動機がどうだとか、いろいろ考えさせられたとか、そういう感想を言う人が結構いたんだけど、そういう点については、たいして考えが浮かばないんだよね。この映画に関しては、ただ、観て、おお!と思うっていうおバカな鑑賞の仕方。


この監督(パク・チャヌク)の「JSA」も観たが、なかなかいいね。「オールドボーイ」と対照的に、「JSA」は地味ーに作ってある作品。それと、韓国にゃ、いい俳優が結構いるね。この主演のオッサンはほんとすごいですよ。というか、いつの間に、韓国、こんなの作れるようになっちまったのよ?

韓流といえば「冬ソナ」ですが、一応見ましたよ。
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by mudaidesu | 2005-11-30 23:51 | 映画


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