靖国とかアメリカとか


エグイ文章を見つけた。」のつづき。そこで紹介した文章で、


ワシントンでの中国に詳しい日本ウオッチャーは大多数がいまの日中間の緊迫を「中国の対決的姿勢」や「日中両国の戦略利害の衝突」 「中国の反日の国是」に帰する。


とか古森さんは書いてるけど、この人、前から「靖国問題で、アメリカの有力者は、日本ではなく中国に批判的」と一人で頑張ってる。





靖国問題、ワシントンは中国の態度に批判的

揺れる靖国問題、改めて米国側の本音を聞く


ちなみにこの媒体は、古森さんのあの黒人蔑視文章が載ったのと同じもの




気合いの入った「反中派」もアメリカにはそれなりにいるのはたしか。そういう人たちは、靖国問題でも中国を批判的に見るのもわかる。でも、それはあくまで「反中」だからかと。

靖国問題で、「靖国参拝やめたほうがいいよ」とか、日本を批判的に見てたり発言してる人たちは別に「反日」だからではない。ふつーに「親日」でしょうそういう人たちは。「親日」だからこそ、日本のことを心配して、靖国問題について発言したりしてるわけで。あとは、リアリストだったら、アメリカの国益を心配してたり。日本がアジアべったりも嫌だけど、アジアでゴタゴタされても迷惑だろうし。(ナベツネ on NYT  ヤスクニとソフトパワー


というか、古森さんが伝えるアメリカの声って、古森さんしか言ってないような。それと、古森さんの受け売りで発言する政治家や知識人くらい。古森さんには悪いけど、古森さん、だいぶムリしてると思う。


というか、靖国問題についてのアメリカ人の反応については、古森さんの言ってることって、森本敏さんにしろ、村田晃嗣さんにしろ、岡本行夫さんにしろ、他の親米保守知識人たちの言ってることと全然違うでしょう。みんな、「アメリカでヤスク二、ヤバイヤバイ」ってかんじかと。


最近人気者になってるテッシーこと手嶋龍一さんもそう。手嶋さんなんて、小泉さんが「ブッシュ大統領に靖国行くなと言われても行く。ブッシュ大統領はそんな大人気ないこと言いませんけどね」と言ったことについて、「それは事実と違う。ブッシュ大統領は去年すでに懸念を表明してる」と言ってた。懸念って日中関係についてだろうけど、それは直接言わないだけで、靖国どうよ?って意味なのは明白。

僕としては、古森さんより、この人たち(親米リアリスト)の方がずっと信用できる。





親米といえば、岡崎久彦さんで、この人は靖国参拝賛成だけど、こんな文章を書いたみたい。↓


【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 遊就館から未熟な反米史観を廃せ

「靖国」の尊厳すら損ないかねず 《唾棄すべき安っぽい議論》

 
8月20日の米紙ワシントン・ポストに保守派の論客として知られるジョージ・ウイル氏が論説を掲げ、安倍晋三氏は新総理となったら靖国に参拝すべからずと論じている。

その理由として挙げているのは、単に日中関係が悪いから修復する必要があるということだけであり、米国の世界戦略にとってどうのこうのという論点は全くない。むしろ、全体の書きぶりは、歴史家ウイル氏らしく、中立的、思索的であり、日本に対する非難のトーンはない。

たとえば、中国が内政干渉する以上、日本は言うことを聞けないとの態度に対しては、ネルソンの火掻棒理論を紹介している。

トラファルガーの海戦の前に、火掻棒を手にしてネルソンは言った。「火掻棒をどこに突っ込もうとおれはかまわない。ただナポレオンがここに突っ込めと言うなら、おれは他の所に突っ込む」。これを良いとも悪いとも言わず、中立的な歴史的な例として紹介しているだけである。

ただ、他のすべての個所はユーモアと余裕をもって書いているのに、一カ所だけ文勢が激しいのは、遊就館の展示についての次の部分である。

「遊就館の展示によれば、『大東亜戦争』は、ニューディール政策が大不況を駆除できなかったので、資源の乏しい日本を禁輸で戦争に追い込むという、ルーズベルト大統領の唯一の選択肢として起こされたものであり、その結果、アメリカ経済は完全に回復した、と言う。これは唾棄(だき)すべき安っぽい(あるいは、虚飾に満ちた、不誠実な=dis-gracefully meretricious)議論であり、アメリカ人の中で、アンチ・ルーズベルトの少数ながら声ばかりは大きい連中が同じようなことを言っていた」

ウイル氏は引用され得る少数論の存在もちゃんと示しながら、この論に対する侮蔑(ぶべつ)の態度を明らかにしている。そして更に「小泉氏も安倍氏も、靖国参拝の際、遊就館には行っていない」と公平に付記している。

全体の論旨には賛同できない点はある。というよりも、彼は私の尊敬する歴史家であるが、現実に動いている国際情勢については事実の誤認がある。

 《知のモラル上許せぬ展示》

2005年4月に中国で起きた反日デモは靖国とは何の関係もない。日本の安保理常任理事国入り反対は、官製デモの目的であり、靖国参拝の結果ではない。

昨年10月の小泉総理参拝の前に、私は、反日デモは警察の厳戒態勢内の少数の抗議運動以外は有り得ないとして、総理の参拝を支持したが、現にデモはなかった。8月15日の参拝後もそうだった。

昨年の総理参拝のころから、日本の対中国投資は再び活発になっている。問題は首脳会談がないという人為的な障害だけであり、むしろ、こんなものは無視した方がよいという歴史観に基づく判断もあってよいと思う。

この論文を読んでいて、ウイル氏が歴史家としてのインテレクチュアル・インテグリティー(知性のモラル)上、真に許せないと思っているのは遊就館の展示だと思う。

この展示には、日本では他の国より弱いかもしれないが、世界的にどこでもある反米主義の一部が反映されている。過去4年間使われた扶桑社の新しい教科書の初版は、日露戦争以来アメリカは一貫して東アジアにおける競争者・日本の破滅をたくらんでいたという思想が背後に流れている。そして文部省は、その検定に際して、中国、韓国に対する記述には、時として不必要なまでに神経質に書き直しを命じたが、反米の部分は不問に付した。

私は初版の執筆には全く関与しなかったが、たまたま機会があって、現在使用されている第2版から、反米的な叙述は全部削除した。

 《これでは靖国をかばえず》

戦時経済により、アメリカが不況の影響から最終的に脱却したことは客観的な事実であろうが、それを意図的にやったなどという史観に対しては、私はまさにウイル氏が使ったと同じような表現-歴史判断として未熟、一方的な、安っぽく、知性のモラルを欠いた、等々の表現-しか使いようがない。

私は遊就館が、問題の個所を撤去するよう求める。それ以外の展示は、それが戦意を鼓吹する戦争中のフィルムであっても、それは歴史の証言の一部であり、展示は正当である。ただこの安っぽい歴史観は靖国の尊厳を傷つけるものである。私は真剣である。この展示を続けるならば、私は靖国をかばえなくなるとまであえて言う。(おかざき ひさひこ)


http://www.sankei.co.jp/news/060824/morning/seiron.htm


  

そして、こんな記事が。↓


靖国・戦史博物館、展示内容変更へ 歴史観が一面的と


靖国神社が運営する戦史博物館「遊就館」が、館内で展示している第二次世界大戦での米国の戦略に関する記述の一部について、「誤解を招く表現があった」として見直し作業を始めたことが24日、わかった。この記述をめぐっては、遊就館の歴史観に理解を示す言論人からも「一面的な歴史観」との指摘があり、同館としても主観的な表現があることを認め、内容を変更することを決めた。同館展示物の大幅な記述の変更は異例。

内容を変更するのは「ルーズベルトの大戦略」と題して、第二次世界大戦での米国の戦略について触れた部分。

この記述では、まず「大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた」と当時の米国経済の窮状を説明。また、「早くから大戦の勃発(ぼっぱつ)を予期していたルーズベルトは、昭和14年には米英連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意志に行き詰まっていた」として、米国内に反戦世論があったことを紹介している。

その上で、「米国の戦争準備『勝利の計画』と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」と表現し、米国は国内経済の復興を目的に対日開戦を志向したと解釈できる内容だった。

こうした記述について、同館では4月ごろから見直しの検討を始め、7月ごろから本格的に見直し作業に入ったという。

この記述をめぐっては、元駐タイ大使の岡崎久彦氏も24日付本紙「正論」で、「安っぽい歴史観は靖国の尊厳を傷つける」と指摘、同館に問題の個所の削除を求めていた。岡崎氏は「早急に良心的な対応をしていただき感動している」と話している。(08/25 03:56)

http://www.sankei.co.jp/news/060825/sha029.htm




岡崎さんは「つくる会」の教科書の執筆者で、反米的な記述をなくしたってのは有名な話だけど、↑の靖国についても、ようするに、アメリカ人に気を使え、ってことでしょう。

岡崎さんは「アングロサクソン信仰理論」の人だから理解できるけど。


でもさ、古森さんの言うとおりなら、岡崎さんはこんな提言しないでしょ。


岡崎さんは、アメリカ人たちの靖国問題への視線が厳しいってことをよく知ってるからでしょう。靖国参拝賛成派の岡崎さんも、古森さんの伝えることにまったく同意しないってことでしょう。

そして、他の靖国派の人々もそれをよく知ってるんでしょう。アメリカからの視線がものすごく厳しいってことを。だからこそ、靖国神社がこういう判断したんでしょう。古森さんが伝えることを靖国神社周辺の人たちが信頼していたら、こんなことしないでしょう。

古森さんの伝えてることがおかしいってのは(ほんの一部の意見を大多数のように装ってるのは)、靖国神社や靖国派の人々によって証明された、と言っちゃっていいかと。よね?




それはそうと、靖国神社さんと靖国派のみなさんの、なんたるへタレっぷり。


「中国侵略についての記述についてはすまんかったけど、アメリカについては全然すまなくない!」って態度ならまだわかるけど、その真逆ってなによ・・・・・・なんか、僕まで悔しい気持ちが湧いてくるんだけど。


岡崎さんって、リアリストっぽいところもあるのに、なんで「つくる会」系なんだろう?って前は思ってたけど、この路線って、対米関係で傷ついた心を癒すための反中韓・愛国ナショナリズムってかんじで、たちが悪い。

岡崎さん自身は、そんなに反中韓・愛国ナショナリズムを煽らないけど(たぶん)。というか、岡崎さんの場合、アングロサクソン信仰をモロ出しして元も子もないから、「誇り」だの「自尊心」だのそういう次元じゃないし。


でも、古森さんなんかはまさにそういう系。

抑圧移譲というか、なんというか、正直、もっとも醜いナショナリズムの形ような気がする。

全然美しくない。

全然「美しい国へ」じゃない。「誇り」も「自信」も持てない。んじゃないかな。




というか、マジで靖国神社もこの路線に乗るの? 

それって、靖国イデオロギーからすりゃ、まさに英霊への冒涜じゃないの?アジアの平和と有色人種の自由のために白人たちと戦ったんじゃないの?名誉白人にしてもらうために白人にひざまずいて、その埋め合わせとしてアジア人に対して傲慢になるって、そりゃ、正反対じゃん。頭クラクラしてくんだけど。







最後に、加藤紘一さんのサイトから。



自宅全焼という事件が起きてから、1週間が経ちました。

犯人に対する怒りはもちろん強いのですが、少し客観的に今回の事件を見る余裕も生まれてきたように思います。

犯人は65歳、自分と似たような年齢でした。また、どうも母が散歩に出かけたのを見届けてから、ガソリンを撒いて火をつけたのではないかという風に思える部分もあり、本人に対する憎しみの感情に向き合うというよりは、どうしてこんなことをする人が生まれてきたのか、何が彼を追い込んだのか、ということを考え始めています。

たぶん、彼もいろんな意味での閉塞感があったでしょう。割腹自殺を図った直前、実家の近所にある食堂で最高の品――1300円の天丼――を1時間かけて食べています。そのあとにはポケットに500円しかありませんでした。そして、車の助手席には、雑誌『SAPIO』が転がっていたといいます。(以下略)


http://www.katokoichi.org/



この後、過剰流動性や根無し草系の話をするんだけど、処方箋に国家を安易に持ってくるんじゃなくて、身近な絆からって発想みたいね。





靖国問題について
ナベツネ on NYT  ヤスクニとソフトパワー
ヤスクニ・リターンズ  靖国参拝と海外反応 1
ヤスクニ・リターンズ  靖国参拝と海外反応 2
ヤスクニ・リターンズ  靖国参拝と海外反応 3
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by mudaidesu | 2006-08-27 20:02 | ナショナリズム | Comments(28)
Commented by bat99 at 2006-08-28 01:02 x
はじめまして、bat99と申します。
 以前よりこのプログを愛読させていただいていましたが、今回トラックバックを送りましたのでご挨拶までに。
Commented by t at 2006-08-28 03:42 x
>全然「美しい国へ」じゃない。「誇り」も「自信」も持てない。んじゃないかな。

ご存知かと思いますが、中国語や韓国語では、USAのことを

美国

と書きますね。

「美(しい)国へ」

どうするのでしょう?吸収合併?

Commented by mudaidesu at 2006-08-29 02:30
bat99さん、こんにちは。ありがとうございます。私もbat99さんのところは以前拝見しました。


>中韓には毅然として対応し、圧力には屈しないけど、アメリカ様には言われる前に直しておきますと思われて仕方がないじゃないか。

>反靖国の私にしてもかなり情けない気分になったんだが、靖国支持派の人たちはどう考えているんだろう。


なんか、靖国神社のみなさんのことを考えると、切なくなってきました。ただまあ、首相参拝を期待したり、政府との関わりを持った公的な存在であろうとすることを靖国神社が狙ってる限り、同情は禁物なんですかねえ。

それにしても、小泉さんにしろ、靖国神社にしろ、公と私をセコく使い分けてますよね(笑)。
Commented by mudaidesu at 2006-08-29 02:31
tさん、こんにちは。

ああ、すっかり忘れてました(笑)。というか、数日前までは「美国ってアメリカじゃん」とか思ってたのに、↑を書いてるときは忘れてました(笑)。まさに「美しい国へ」ですね(笑)。

正直、私はアメリカ人もアメリカも好きだし、基本的には「親米」なんですよね。でも、古森さん系正論諸君!系安倍さん系のアメリカ様々っぷりは気持ち悪いです。

まあこの人たちの好きな「アメリカ」は、私の好きなアメリカとは全然違うんですが。
Commented by mudaidesu at 2006-08-29 02:32
ところで、産経さんにも、こういう文章が出るようになってきたようで。



【正論】東京大学名誉教授・衞藤瀋吉 靖国問題に休戦ラッパを鳴らそう

・・・首相の参拝問題について、この最大利益点を探すとすれば、私は「遥拝」を勧めたい。わざわざ九段まで行かずとも、官邸で靖国神社に遥拝し、心中「参拝せず、ごめんなさい。対外友好政策を打ち建てるために中国や韓国にも配慮します」と宰相としての苦衷を述べて、はるかに伏し拝めばよいではないか。・・・

靖国神社側もまた、変ってほしいと思う。明治以来、英霊を祀(まつ)る社(やしろ)として国民的評価を得てきた靖国神社は、その評価を継承すべく、柔軟な姿勢を以て歴史の推移、国内外の情況の変化に対応すべきである(どう変るべきかの私見はここでは触れまい)。

あまりに旧態依然として時を過ごすと、いずれも国民の信頼を失うことにもなりかねないと私は思っている。

http://www.sankei.co.jp/news/060827/morning/seiron.htm
Commented by Kayo at 2006-08-31 20:10 x
多大な負担を負わせたお詫びに、マルクス経済学者による、詳細なヤスクニ・ルポのリンクです。これはお奨め。詳しいし、女子大生は綺麗だし、先生は楽しそうなキャラ。
http://walumono.typepad.jp/blog/2006/07/
post_0fe2.html
いや、これで行かないで済んだというか、行ったら途中で自家中毒起こしそうだというのが良く分かりました。

あと、日経BPに載っていたこちらも。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/
20060711/106043/
↑ でリンクのある記事、中国人が靖国に行った感想も興味深いかと。

コモリ記者、一体何があったんでしょうね。みっともない振る舞い、というのは本来日本人の最も忌み嫌うことだと思うのですが。

Commented by mudaidesu at 2006-08-31 23:19
kayoさんに「多大な負担を負わせ」てるのは私ですよ(笑)。

で、読んだらまたコメントします。

あと、向こうでも書きましたが、他のも興味あります。
Commented by mudaidesu at 2006-09-02 03:17
>女子大先生ルポ

なんか淡々としてますね(笑)。


>あと、日経BPに載っていたこちらも。

そこの先にあった、

中国人が靖国神社に行きました
http://business.nikkeibp.co.jp/article/
manage/20060704/105680/

も興味深いですね。というか、キャッチーなタイトルがいいですね(笑)。


というか、靖国&遊就館ルポって人の個性がよく出ますよね。いろいろ読んでみたいなと思いました。一般から公募しておもしろいのを選んで本にしたらどうかな、とか思いました。有名知識人(自分の役割を裏切れないですしね)の紋切り型のよりおもしろいかも。
Commented by Kayo at 2006-09-03 19:24 x
疲れていてブログも、、、とおっしゃっていましたが、ご無理なさらないでお大事にね、mudaidesu さん。

疲れに更に拍車をかけさせてお付き合い頂いている「エグい文章」のMindyちゃん、ヤスクニとアーリントンは違うっつーの(平常心だとこんな感じ)
http://www.foreignpolicyforum.com/
view_article.php?aid=379

Japan Focus から転載された、ロンドン大SOAS Breen 教授
(19世紀日本政治思想、日本の宗教などが専門)
http://hnn.us/articles/12297.html

謎の多い、鎮霊社について。神社との一問一答。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060829/
mng_____tokuho__000.shtml

↑で言及されている、田中清玄について。松岡正剛書評。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1112.html
Commented by Kayo at 2006-09-03 20:14 x
靖国についての感想、から逸脱しますが、「戦艦大和の最期」作者の子息、吉田望の靖国論。
http://www.nozomu.net/journal/8.php
goo ニューズから、高野孟、靖国分祀についての突っ込み。
http://news.goo.ne.jp/news/goo/seiji/20060815/
20060815-002001-gedit.html

純粋に兵器を興味深くご覧になる方(アメリカにも多い)
http://www.tekipaki.jp/~label/mc4126/tokusetu2/
yuusyuukan.htm

先生からして「興味がなかった」という青山国際学院の生徒さん、課外授業の場合、、、
http://www.aoyama-web.co.jp/welcome/students/
yushukan/index.html

気を取り直して、ガチガチ保守を自負する方の(失礼ながら)意外な感想。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/
iblog/C1570102516/E20051119231751/index.html

普通の日本人の心情は本当はこうかな、やっぱ行くべきか、、、一度は。と思った人様のブログ。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060109/p1
Commented by Kayo at 2006-09-03 21:03 x
何だか山のようにリンクが降り積もってしまいました、、、しかも微妙にずれて来ている気もしたり。すみません。

玉本論文も指摘していますが、靖国の存在は特異に思われてなりません。
玉本さん、中村元なども指摘したように、日本の伝統を語るのなら、斃れた敵にも手を合わせたのではないか、そして国家神道の中でも海軍と陸軍の元に置かれていたこと、維新の後に発足していること、などが。

最近は語られなくなりましたが、かつてGHQの統制の元でありながら原爆の人的被害を伝える為に、一号の紙面を割いた New Yorker のような視点が今後ますます重要かと思っています。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/nakao/class/
journalism_2002_01/journalism_02.html
http://www.kyoto-seika.ac.jp/nakao/class/
journalism_2002_01/journalism_03.html 
Commented by mudaidesu at 2006-09-05 00:42
こんにちは。「続エグイ文章」のコメント欄にもちょっと書きました。


>疲れていてブログも、、、とおっしゃっていましたが

あれ?そんなこと私言いましたっけ?(笑)


>ご無理なさらないで

ナマケモノなので大丈夫です(笑)。



それで、いろいろ興味深いものありがとうございます。とりあえず、読んだものだけちょっとコメント。
Commented by mudaidesu at 2006-09-05 00:42
>mindy

「キャラ立ち」してますよねこの人(笑)。


>ヤスクニとアーリントンの違い

アーリントンは宗教施設じゃないってところが一番大きいですよね(ついでに墓)。あとは、本人や遺族が嫌だと言えば無理強いしないところ。アーリントンと同じでいいなら、アーリントンと同じような施設つくりゃーいいのに(
墓はムリでしょうけど)。

まあ「日本の伝統」って言っても、「靖国は全然日本の伝統じゃないし(梅原さんとか)」って言われちゃうし、つらいとこなんでしょうけど。

まあ、私的な宗教団体でありながら、国家の公的な役割を担おうってのがそもそもムリがあるんで、そこらへん無視して議論してもなー、ですよね。
Commented by mudaidesu at 2006-09-05 00:43
>In contrast, Arlington National Cemetery does not dwell on the glory of any war. There is no museum on the grounds with weapons or similar relics. It is a quiet place of reflection.


このへんどうなんでしょうね。たとえ(特定の)戦争を賛美しないって言っても、一応「ヒーロー」ってことになってるでしょうし。国家の所業としての戦争そのものは別に賛美してないが、国家に命を捧げた人々は賛美する、ってことでしょうか。この二つは厳密に考えると違うのかもしれませんが、国家側はわざと混同させるというか、この二つを繋げようとしますよね。


一応。まだチェックしてないですが。

Yasukuni: http://www.yasukuni.or.jp/english/
Arlington: http://www.arlingtoncemetery.org



ところで、ベトナム戦争を擁護するアメリカ人に会ったことないんですよね。(私の知り合いだった)宗教右派の人たちさえ、共産主義は悪だと考えながらも、ベトナム戦争はうーんってかんじでした(元々は民主党の戦争ですし)。まあ、私の周りが偏ってたのはたしかでしょうけど(地域性もありますしね)。
Commented by mudaidesu at 2006-09-05 00:43
>John Breen

非常に丁寧で冷静でインフォメイティブですね。


What is perhaps unique to the Yushukan war museum -- it certainly offers a striking contrast to, say, the Imperial war museum in London -- is the curious absence of the enemy. The visitor to the galleries on the Sino-Japanese war, the Russo-Japanese war, the Manchurian 'incident' and the Pacific war looks in vain for a sighting of the enemy. There are no representations of Chinese, Russian, Korean, American or British soldiers; no weaponry, uniforms, flags or other trophies of war.

A Yasukuni priest explained this was because the Yushukan was not really a museum at all, but an 'archive of relics'. The Yushukan does refer to itself in its own publications, however, as 'the oldest war museum in Japan' and, the point is that, like museums everywhere, the Yushukan exhibits construct a narrative about Japan's modern wars; the absence of the enemy distorts the narrative.
Commented by mudaidesu at 2006-09-05 00:43
It disguises two deeply hurtful facts about the Pacific war: the first is the fact of perpetration; the second the fact of defeat.

Relics of Chinese, Russian, Korean, American or British soldiers would recall the defeats suffered by the Japanese army, and might also bring to mind the wrongs that Japan perpetrated. By eliminating the enemy, the Yushukan remembers a war that was only ever glorious; it obliterates the possibility that not all the Japanese war dead died glorious deaths, that lives lost (Japanese or others) were lives wasted, and that war was brutal and squalid. The exhibits prompt reflection only on heroism, loyalty and self-sacrifice.・・・


The curious absence not only of the enemy but also of the peoples conquered by Japan's armies enables the Yushukan to recall a glorious war of liberation: Japanese soldiers fighting heroically and successfully to liberate Asia.

http://hnn.us/articles/12297.html
Commented by mudaidesu at 2006-09-05 00:44
この部分の説明が丁寧ですね。これ系の批判をする人は日本にはあまりいないような。私自身はロンドンの戦争博物館については知らないですが、多くの日本人は、ロンドンのも↑のような違いがあったとしても、なんだかなー、と感じるでしょうし。まあ、日本でこういう批判が出るとしたら、右からですかね。





>謎の多い、鎮霊社について。神社との一問一答。

なんだかが靖国さんもいろいろ大変ですね。そっとしておいてあげたいですが、↑で書いたように「公的(国家的)な存在」であろうとしつづける限り、こういうツッコミはしょうがないですかね。



>田中清玄

なんだか凄い人みたいですね(笑)。


他は読んでからまた反応しますね。
Commented by mudaidesu at 2006-09-05 00:46
靖国の問題ってほんとややこしいし、いろいろ絡み合ってるし、ねじれてるから、一筋縄ではいかないんですよね。何度も書いてますが、時と場合とノリで、私自身の考え方が変わってきますし。靖国にに想い入れのある元日本兵や遺族の方々に文句つける気はさらさらないですし。

右派の人でも、表向きは紋切り型の主張をしていたとしても、誠実な人だったら、内心いろいろ悩んだりしてると思うんですよね。そういう、悩みとか迷いとかを表現した右派の方々の文章とか読みたいなー、みたいな。別に催促してるわけじゃないですよ(笑)。


そういえば、中曽根さんが、「首相の役目は、天皇陛下が参拝できるような環境を作ること(分祀にしろ国際環境にしろ)」みたいなこと言ってましたが、保守なら、まさにその通りだと思うんですよね(天皇参拝そのものにも問題はいろいろあるんでしょうけど)。小泉さんの軽薄な参拝に、反中韓気分で拍手喝采してる保守論壇知識人たちはちょっと・・・
Commented by mudaidesu at 2006-09-05 00:50
これに関連して、

最近「富田メモ」問題について対談した際の、宮台発言ピックアップです
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=393


ここで宮台さんが「(消えゆく)遺族たちへの義理」みたいな話をちょっとしてますが、私にもそういう感覚(遺族だけでなく、戦友を失った元兵士たちも含む)はあるんですよね(義理ってよりシンパシーでしょうか)。

「英霊たちへの義理」って感覚も多少はありますが、私自身はあまり強調したくはないんですが。「物語の再生産」や「物語の復活」(=結局は「英霊の消費・利用」)みたいのが嫌ですし。

というか、国家や天皇の過去へのオトシマエって意味だけでの「英霊への義理」ならまだしも、この回路は絶対に未来に向けてのもの=英霊再生産への伏線になるのは確実でしょうから。

そもそも、おまえは霊の存在を信じるのか?とマジに問われるとツライというかなんというか・・・それに「国家が打算で創造した霊」なら余計に私は受け入れ難いですし。幽霊みたいな牧歌的な話ならガチガチに考える気はないんですが(幽霊見たことないですが(笑))。
Commented by mudaidesu at 2006-09-06 01:06
つづきです。


>吉田望の靖国論

すごいですね。これはいろいろ書いてあるし貴重ですね。というか、この人もサヨクにされちゃうんですかね(笑)。この人みたいな保守な人がほとんど見られないのが寂しいですね。




>高野孟、靖国分祀についての突っ込み。

丁寧でわかりやすい文章ですね。なんか、ほんと、靖国さんも大変だなーと。靖国さんとしては、必死に理論的というかテクニカルな話をして、分祀はムリだっつーの、って言ってるようですが、それはともかく、やっぱ、靖国さんが譲りたくない根本のところは、靖国信仰の核となる「正しいあの戦争」観の問題だと思うんですよね。

だから、靖国理論の論理的矛盾を突いてもなー、みたいな(それにどうせ高野さんも言うとおり「まあいい加減な話で、分祀でも抹消でも廃祀・再合祀でも「神主が決心すれば決まることだ」と中曽根が言うのは案外本当ではないか」でしょうし)。
Commented by mudaidesu at 2006-09-06 01:07
理論的に都合がついたとしても、分祀しちゃったら、傍目からは「靖国も東京裁判を認めた」と認識されちゃうでしょうし。高野さんが「戦後の靖国神社は天皇不在になった」みたいなこと書いてましたが、ほんとそんなかんじですね。「天皇の神社」というより、純粋に「近代日本の戦争を賛美する神社」になっちゃったのかなーと。とすると、「天皇の参拝ナシ」より「A級戦犯分祀」の方が、もしかしたら靖国信仰にとっては痛手かなーと。


それに、お客さんの問題がありますよね。天皇信仰の靖国信者はもうジリ貧になってくと読んでて、新しい天皇抜きナショナリズムの担い手のお客さん相手に商売してくしか生き残る道がない、と計算してるとか。
Commented by mudaidesu at 2006-09-06 01:07
>純粋に兵器を興味深くご覧になる

戦争を知らない私としては、その気持ちはわかります。正直、私も兵器を見るとわくわくしちゃいますし。子どものころも、戦闘機やら戦車やらの図鑑をボロボロになるまで見てたような。これって、ひそかに残虐や殺戮への欲望なんかが隠れてたりするんですかね?このへんの心理の話はうといんでわかりませんけど。

でも、特攻兵器はなんだかわくわくはしませんね。しょぼいしちゃちいから逆に生々しいんですかね。このへん、多少なりとも、というか、無意識のうちに想像力がちゃんと働いちゃってるんですかね。他の兵器もちょっと真面目に考えると、わくわくどころじゃないんですが、やっぱり、そこまでいちいち考えないんですかね、「わくわくしちゃう」なんて平気で言っちゃう私は。と、自分なりに正直に自分のことを考えてみました。


>“走る棺桶”

しょぼいですね。
Commented by mudaidesu at 2006-09-06 01:08
そういえば、こんなサイトがありました。

http://www.luzinde.com/

ついでにこちらも。ウケます。日本人へのあふれんばかりの愛をかんじます。
http://www.warspite.jp/

というか、だいぶよしりんの影響受けてますよねこれ作った人も(笑)。冷静vs感情的。




>青山国際学院の生徒さん、課外授業の場合

なかなか興味深いですねえ。もうちょっと長い文章で書いてほしかったですね。さすがに高校生?くらいになれば、先生の期待するようなものを書こうとするなんてことはないでしょうから、正直な感想が聞けるような。




>ガチガチ保守を自負する方

昨今の基準じゃ全然「保守」っぽくないですね(笑)。
Commented by mudaidesu at 2006-09-06 01:08
>やっぱ行くべきか、、、一度は。と思った人様のブログ。


『この施設を見て回って、ぼくが連想したのは、韓国ソウルの米軍基地の向かい側にある戦争記念館という施設に行ったときのことだ。自国の戦争の歴史そのものを総合的に展示し、礼賛するという態度において、遊就館と戦争記念館は酷似している。

遊就館は、何度も展示の仕方を変えているらしいので、現在の展示のやり方は戦争記念館のそれを参考にしたものではないかと思えて仕方がないが、はっきりしたことは分からない。

主に朝鮮戦争における米軍との協力関係と、その後の反共的な国作りの礼賛に主眼を置いた戦争記念館と、現在の遊就館の展示のあり方とが類似しているように思えたことは、この地域におけるアメリカと米軍の存在の大きさ(そしてその変容、再編)を考えたときに、示唆的であると思う。

はっきりいえば、ぼくには遊就館も戦争記念館も、どこかアメリカ資本によるテーマパークのように思えたのだ。』



このへん、やっぱ「新しいお客さん」(天皇抜きナショナリズムの担い手)を意識してるんでしょうかね。
Commented by mudaidesu at 2006-09-06 01:12
『靖国や遊就館が行っているのは、結局のところ、無数の無名の死を区分し選別し、利用可能なものだけを現在の国や支配体制の論理にあわせて都合よく価値付け(加工)して用いている、ということだろう。戦場で死んでいった多くの無名の人々の死も、そこでは権力にとって利用可能なものとしてしか扱われない。・・・・

状況はその意味では、なにも変わっていない。無名の人々を「虫のように」死なせることで生き延びる大きな仕組みの存在は、変わらず肥大し続けているのだと思う。そのように死んでいく人たちの生と死が非人間的なのではなく、それらの死を自分たちの都合に合わせて区別し、価値付け、選別する、生きる者たちの行いが非人間的なのだ。「遊就館」や戦争記念館の思想は、そうしたものである。』



やっぱ、これが基本ですよねえ。まあ、近代国家ってのはそんなもんなんでしょうけど(だから全否定する気はないんですが)。でも、これを自覚せずに、無邪気に、他人の献身的な自己犠牲を美化して感激してちゃ、あまりに「物語」の作り手であるエライ人たちに都合よい子くんですかね。


最後の原爆についてはまだ読んでないんでまた。
Commented by mudaidesu at 2006-09-07 02:32
ジョン・ハーシーやnew yorkerの話は(バーチェットも)、何度か聞いたことありました。リンク先(リンクになってませんが)にも紹介してあるダワーの本でも書いてあったような。あと、NHKかどっかのドキュメンタリーでも細かくやってたのを見た記憶があるような。



『『ヒロシマ』は,4章に分かれているでしょ? (資料を指し示しながら)第1章は,「音なき閃光」……。じつは,ハーシーはこれを,(『ニューヨーカー』に)4回にわたって連載しようとします。

なぜかというと,雑誌ですからね,いっぺんにこれを全部載せることはできない。で,普通なら,連載で4回分ぐらい。それでもものすごく分量の多い記事になります,1回分でもね。そういうふうにしようと思っていたんですが,編集者がこれを見て,4回に分けるのはやめにしようと,1回で(全部)出すべきだと考えた。
Commented by mudaidesu at 2006-09-07 02:32
1回で出すというのはどういうことかといいうと,他の記事を全部やめにして──想像してみてください。日本にもある週刊誌がね,一冊まるまる,ひとつの記事しか載ってない──そういう状態にしようというふうに考えた,ということで,もうひとつはね,これはもう,編集者も社長もいっしょになって,徹底的に推敲した。文章をなおした。

ハーシー自身も,そうとう時間をかけて,3か月かけてつくったんだね。さらに,それに手を入れた。それで,8月31日号にだすっていうことを考えるわけですが,他の記事を書いていた人たちは,どういうことになったか。他の記事を書いていた人たちは,自分の校正ゲラが来ないんだよね。あるいは,(校正ゲラが)来ても,来て校正して戻しても,それは載らなかったということが起こった。
Commented by mudaidesu at 2006-09-07 02:33
広告は載っているんですよ。広告取りはしているんですが,その広告取りの営業をしている人たちも,出版社のなかのほとんどの人たちが,数人を除いてはね,こういう記事が8月の31日号に出るという計画をだれも知らなかった。それで8月の31日に,知らずにですね,この楽しそうな表紙の『ニューヨーカー』を買うとね,みなさんが開けてみたとおり,A REPORTER AT LARGEというタイトルがあって,そっから先は,全部ヒロシマの話でうまっていた。』




こういう象徴闘争って(黒塗りの一面とか)、日本のメディアはやったことあるんでしょうかね?シンボリックなイメージで勝負するって意味では、欧米のメディアは写真をうまく使いますよね。日本のメディアはそのへんうまくないような。

別に、欧米メディアがエラくて日本のがダメと言う気はないですが、なんか勝負どころでの勝負強さ(なにが「勝ち」かはわかりませんが、後世の人たちが見て「アッパレ」と思うようなことをやりきること)みたいなものは見習ってほしいんもんです。というか、日本のジャーナリストたちってほとんどアメリカのジャーナリズムを手本にしてるっぽいですが、いったい何を学んでんのやら。
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