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日本国憲法の精神
日本国憲法の精神
渡辺洋三


『国民主権の考え方からすると、国民は一人ひとりが政治の主体でありますから、中立ということはありえないことです。日本語の「中立」というのは、たとえばAとBという人が争っている、その争いにたいして関係のない第三者のCという人が中立だ、という意味です。

けれども、政治についてはすべての国民が当事者ですから、第三者にあたる人はいないわけです。そういう意味で、国民主権の原則からは政治的中立という考え方は出てくる余地がありません。国民は、どんな立場でもいいのですが、とにかくなんらかの政治的立場を持っていなければならないはずです。

ところが日本では「どの立場にも属さない」ことが政治的中立という言葉で語られています。こういうことが通用するのは日本ぐらいではないでしょうか。 日本人は自分の政治的立場を明らかにして議論するということをしません。

私はこれを日本社会の非政治的体質と呼んでいます。自分の政治的立場を明らかにして行動すると、何か片寄っているというようにみられがちです。ほんとうは、片寄っていない人というのはいないはずなのです。

例えば自民党から見れば共産党は片寄っているし、共産党から見れば自民党は片寄っているわけで、つまり、相対的なものです。それが日本では、どこにも属さないことが片寄っていないことになるという変な理解とすりかわってしまいます。

これは非常に大きな問題です。日本の社会で政治運動がたいへんやりにくいということも実はこれと関係があります。政治運動を行うと、片寄っている特別な人間のように見られるという社会的土壌は、根本的に民主主義の歴史が浅いというところからくるのだと思います。このように、日本社会における政治的後進性というべきものが国民の意識の中にもあるのです。』
by mudaidesu | 2005-08-20 22:52 |


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